7月の参議院選挙では参政党が14議席を獲得し、躍進した。文筆家の御田寺圭さんは「支持層の半数近くが女性であることに驚きが持たれていたが、偶然ではない。家庭に入って家事や育児を頑張りたいと思っている女性たちの支持を集めたのではないか」という――。

■参政党の「少子化対策」に集まった批判

参政党大躍進という歴史的結果を残した参院選――世間ではその熱も冷めつつあるようだが、一部のSNS女性たちはいまだ参政党の「少子化対策(から見える女性観)」にえらくご立腹の様子である。

しかしながらこの際はっきりと予言しておく。

子どもを産む産まないは個人の自由であるというのはそのとおりだしこれからも変わらないだろうが、しかし「産む女性」の社会的な尊敬の度合いは急激に上昇し「産まない女性」のそれを大幅に上回るフェーズが向こう十数年において待ったなしで始まる。

「産む女性」の復権は主としてふたつの文脈から後押しされる。

日本の出生数はご存じのとおり年々激減していて、当たり前だがそれは「社会保障の担い手」の減少を共起している。一人当たりが支えなければならない高齢者の数の相対的な増加は、そっくりそのまま社会保険料の増大をもたらし、それは若い世代の人生の先行きを曇らせる“重荷”になっている。

■参政党が気づいた「鉱脈」

「あえて産まない」を選択した女性は、いまでこそ先進的で洗練された“あるべき”女性の生き方として称賛されているが、そのムードは徐々に陰りを見せていく。社会保障のリソースやマンパワーが逼迫する状況になり、この制度がかえって若い世代の生活や将来に暗い影を落とす性質が世の中に知れ渡っていくほどに、彼女たちは「稼ぎは自己投資や自己利益のために最大限使い切って、年を取ったら産んだ人の子や孫にカネやリソースをタカって悠々自適な老後を送る気満々の人」であるという眼差しを向けられる。

もうすでにそのような潮目の変化が生じつつある。世の中では子育て世帯の女性を中心にして「なんで産んだ側の私たち(の子どもや孫世代)が、産んでない側の人たちの老後の面倒を見ないといけないの? それって全然フェアじゃなくない?」という不満を持ち始めている。参政党はここにある種の「鉱脈」があることに気づいていた。

■「他人の子どもに面倒を見てもらう」ことになる

これからの時代において「産んだ側の人」は、この国の未来の労働者・未来の消費者・未来の納税者・未来の福祉インフラの担い手を名実ともに“生み出している”ことを評価されるようになる。参政党代表・神谷宗幣氏がいちいち大げさに称賛するまでもなく、世の中全体から「お母さんは偉い!」というリスペクトの眼差しが陰に陽に注がれるようになる。

逆に「あえて産まなかった女性」の道徳優位性は日本の財政悪化とシンクロするように低下していく。ただでさえ先細っている社会保障費を浪費する存在として見なされるようになり、しかもやたら長生きなので男性以上にたっぷり社会保険介護保険を享受してあの世に逝くもんだから、世間からの風当たりはじわじわと強まっていく。

この国の社会保障制度が賦課方式を採用している以上、産む産まないという営為は個人的なものとして完結せず一定の政治性がともなうのは避けられない。それが不快だというのであれば、SNSでかしましい「選択的子なし女性」は、社会保障の賦課方式をやめて個人積立方式にすることを政治に求めるなりなんなりするしかない。「自分は面倒だから子どもなんか産まないが、年老いたら他人の産んだ子どもには全力でご厄介になります」と宣言しているに等しい人びとが価値中立でいられるわけがないのは、だれの目にも明らかなのだから。

■「うっすらとしたナショナリズム」の文脈

産む女性の社会的名誉を上昇させるもうひとつの文脈は「うっすらとしたナショナリズム拡大」である。

「うっすらとしたナショナリズム」とはなにか、それをわかりやすくいうと、今回の参政党大躍進の背景にあった「日本が日本人のものではなくなる!」という大衆の不安感情・危機感情の高まりのことだ。

参政党の支持が拡大している最大の要因のひとつは円安を背景に起こっているインバウンドによって「世間の人たちの暮らしの主観的な視界(生活者の景色)が変わった」ことにある。これまで自分の家の周りで外国人の姿などめったに見なかった人たちのもとにも、円安によって大量に流入する外国人が視界に現れるようになった。このことで世の中の多くの人に「日本はもう、日本人だけの国ではなくなるのかもしれない」という(だからといって排外主義とまで大袈裟に表現するべきではないが)漠然とした不安感や危機感が芽生えた。

■「日本が日本人のものでなくなる」感覚の拡大

インバウンドだけでなく、外国人の移住者(移民)も増えている。そうしたなかメディアではいわゆる「川口クルド人問題」に代表される外国人問題も取り沙汰されるようになっていた。これによっても世間の人たちの外国人増加による「日本が日本人のものでなくなるのかもしれない」という感覚にますます主観的なリアリティが付与されることになった。

こうした社会状況において「『(純)日本人』の子どもを産んでくれる人」は、いままでとはまったく違った評価が与えられることは至極当然だ。街にある小中学校の新入生の大部分が外国人の子ども――といった状況が各地で拡大していけば、熱烈な愛国者や排外主義者でなくても「日本人の血を絶やさないために頑張ってくれているお母さんは偉い!」という認識を大なり小なり抱くようになる。「純粋な日本人であること」それ自体に一定のプレミアが付与される。

これからの時代において「産んだ側の人」は、この国の未来の労働者・未来の消費者・未来の納税者・未来の福祉インフラの担い手の供給といった実利的な貢献だけでなく、【日本(人)】という抽象的な枠組みを守るために尊い仕事を果たしてくれた人という、ナショナリスティックな文脈においても肯定的な再評価を与えられることになる。

逆に「あえて産んでない側の人」は、この文脈においても価値中立的ではいられず「日本が日本人以外によって蹂躙され塗り替えられないよう抗うことに(やろうと思えば協力できたはずなのに)なんら協力しない人」という眼差しを向けられるようになる。

■参政党は「潜在的ニーズ」に気づいていた

そしてきわめて重要なことだが、それぞれの文脈による「産んだ女性の道徳的復権」は、参政党が呼びかけたからそのように社会が変わるのではなく、子どもを産み育てる(もしくは産みたいと願う)女性が中心となって起こすボトムアップのムーブメントとして盛り上がっていくことだ。

社会保障持続可能性が問題視され、日本が日本人以外のものになるという危機意識が高まる――それらの社会的状況は「お母さんになることの道徳優位」を高め、結果としてこれまであまり声を大にして自分の意見を表明することのできなかった「伝統的価値観(早く結婚してだれかのお嫁さん・お母さんになりたい)」のもと生きることを望む女性たちにも脚光を浴びせる。参政党は他のどこよりも早く、こうした潜在的ニーズに先鞭をつけていただけだ。

■「さっさと家庭に入りたかった」女性たちが表面化

参政党の支持層のおよそ半分近くが女性である(なかでも子育て主婦が多い)ことに一部のSNS女性は愕然としているようだが、これは偶然ではない。女性であろうが社会に出て男性並みに働くのが論をまたない「善」だという風潮に流されるままとりあえず社会に出てみたが、いくら過ごしても「これじゃない感」が募るばかりで疲弊し、自分が本当に望んでいたのは、さっさと結婚して家庭に入って家事や育児を頑張って夫を支える幸せな生活を得ることだということに改めて気づかされる――そんな感覚を持っていた女性たちは、SNSのフィルターバブルの外側にはたくさんいたのだ。

そんな女性たちは、2020年代になってようやく自分たちの意見を託せる勢力が現れたと安堵しながら、世の中に表面化してきたのである。

■女性の「東西冷戦」が加速する

さらに付言するのであれば、「産んだ女性の道徳的復権」は女性運動として盛り上がるが、その発信源は西日本だ。NHKの調査を見ると、都道府県別の比例投票先で、野党第一党として参政党が選ばれた地域は西日本とくに中国地方九州地方に顕著に見られている。

政党の提唱する「別にバリバリ働く社会進出ルートを選ぶことは否定しないが、若くしてお母さんになるルートを選ぶ人がいてもいいし、そういう人を大切にするべきだ」という意見に共感する女性は西日本にいけばいくほど多くなる。そういう人たちの応援の声によって、参政党は西日本、とくに若年人口ボリュームの観点からいえば九州を拠点にした「(保守的・伝統的価値観を支持する)女性の政党」になる。

逆に東日本、厳密にいえば東京(および東京圏の話題が全国的な定説のような顔をして論(あげつら)われるSNS論壇)の女性は、これからも「さす九」などと地域差別丸出しの暴言をくり返すのだろうが、そういう言動がますます「女性の東西対立」を加速させることになる。

この「女の冷戦」は現時点では「女性は産む機械ではない」などと主張する東側陣営がいちおう「道徳側・正義側」ということになっているが、それだって永続的ではない。少子化社会保障費の増大・外国人の増加といううねりが国内で強まるにつれ、その潮目は次第に西側へと傾いていく。スマホやパソコンに表示されるSNSのタイムラインばかりが世の中を代表しているわけではない。そのフィルターバブルの外側では、いま大きな地殻変動が起こっているのだ。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら

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メディアのインタビューに答える参政党の神谷代表=2025年7月20日、東京都新宿区 - 写真提供=共同通信社