アメリカのトランプ大統領が敵視し空爆したイラン。市民はどんな暮らしをしているのか。2023年にテヘランで取材し本を上梓した金井真紀さんは「女性にスカーフ着用が義務づけられているイランだが、いろいろな形で抑圧に抗う人もいる」という――。

※本稿は、金井真紀『テヘランのすてきな女』(晶文社)の一部を再編集したものです。

■2023年、イランの首都テヘランで取材を敢行

ドバイからテヘランに向かう飛行機は空(す)いていた。フライトは約2時間。早朝便だったのでぐーぐー寝た。それでエマーム・ホメイニ国際空港に着陸する瞬間までわたしはすっかり忘れていた。

「あ、そうだ。髪を隠さなきゃ」

シートベルト着用のサインが消えて、乗客たちがごそごそと動き出す。わたしもごそごそと鞄からスカーフを取り出した。

これまでもイスラム教の国に行くときや日本でモスクを訪ねるときなどに、スカーフで髪を隠した経験はあった。でも多くの場合、外国人や異教徒は無理しなくていいというムードがあり、スカーフは一時的な装飾品に過ぎなかった。

イランはそうではない。外務省の渡航情報にも「イランでは、満9歳以上の女性は外国人・異教徒であっても例外なく、公共の場所ではヘジャブとよばれる頭髪を隠すためのスカーフと身体の線を隠すためのコートの着用が法律上義務付けられています」と明記されていて、イランの領土内ではずっとスカーフをしていなければいけないのだった。

わたしがもってきたのは正方形のスカーフ。それを三角形に折って、適当に頭に巻きつけた。おでこにピタッと押しつけて前髪を隠したいのに、コツがわからなくてフワッと浮いてしまう。やり直してもうまくいかない。

■外国人・異教徒であってもスカーフ着用が義務

マレーシアモロッコトルコでは、わたしがスカーフをかぶっていると、「お、日本人なのにスカーフしてる」とか「なかなか似合っているじゃない」なんて笑いかけてくれる人がいたけれど、イランではそういうリアクションは一切なかった。ここでは女はスカーフをするのが当たり前なのだ。靴を履いている人を見て、いちいち「おや、靴を履いてますね」と言わないのと一緒。そしてたぶん、人々が他者のスカーフに無反応なのにはもうひとつの理由がある。

イランでスカーフの着用が強制されたのは1979年イスラム革命後。それから半世紀近く、スカーフの問題は女性たちにつきまとってきた。きちんとかぶれば政治的・宗教的に従順であることを示し、ぞんざいにかぶれば、あるいはスカーフをつけずに街を歩けば権力へのレジスタンスとみなされる。スカーフのかぶり方が悪い、と警察に連行されて命を落とした女性までいる。

それに抗議する人々が「反スカーフデモ」をおこなった2022年秋のニュースをおぼえている読者も多いだろう。イランでは、スカーフはすごくセンシティブなアイテム。「あら、あなた、スカーフがお似合いね」なんてレベルで気軽に話題にできることじゃないのかもしれない。

■イラン女性のスタイルを真似るのは楽しいが…

そんなことを思いながら空港のトイレに入り、鏡の前でスカーフの巻き方を検討した。

スカーフのふちを耳にかけて尼(あま)さん風にすれば、落ち着きがいいだろうか。両端は顎(あご)の下で結ぶべきか、背中に流すべきか。正直に言うと、このときわたしはちょっとワクワクしていた。政治的イシューを超えて、ファッションの工夫は楽しい。鏡に映る自分のスカーフ姿が新鮮だった。つまりこれイラン女性のコスプレをする楽しさであって、あくまでもスカーフの強制が非日常だからのんきなことが言えるのだ。ということもちゃんとわかっていて、それでもやっぱりどこか浮かれていた。

わたしは体の線が出ない大きめのパーカーと幅の広いパンツに身を包み、髪を隠すスカーフの巻き方はへたくそなまま、無事にイランへの入国を果たした。

■スカーフをしながら「政府が大嫌いなの!」

街を歩けば、女性たちの「スカーフに対するスタンス」はさまざまだった。きっちり髪を隠している女性を多く見かける地区もあれば、申し訳程度に首まわりにスカーフを引っかけて髪の毛丸出しの人が多く集う自由な雰囲気のカフェもあった。世代別に傾向があるわけでもなさそうだ。チャドルと呼ばれる大きな黒いマントで頭から足元まで全身を覆っている若い人もいたし、スカーフはせずフード付きのジャケットを羽織って「警察がきたらこのフードをかぶればオッケーよ」とウィンクする年配の女性もいた。

そしてどこの国のどの人もそうであるように、外見と内面は必ずしも一致しない。一分の隙もない完璧なスカーフ姿の女性とカフェでおしゃべりしていたときのこと。途中で通訳のメフディーさんがトイレに立って、ふたりきりになった。するとにこやかだった彼女の表情がふっと引き締まり、わたしの耳に口を寄せて英語で囁いた。

「I hate our government!(わたし、政府が大嫌いなの!)」

抑えた声で、キッパリと。同胞には聞かれたくない本音を外国人であるわたしにそっと伝えたのだ。そうか、人はだれもが一色ではないのだな、と思った。信仰心と政治信条、家のしがらみと近所づきあい、妥協できることとどうしても譲れないこと。さまざまなグラデーションのなかで人は生きている。

■テヘランでは日本語で政治の話をするのも危険

渡航前、何人かのイラン通から「外で政治の話をしないように。たとえ日本語で話していてもわかるから気をつけて」と注意されていた。だからわたしは街中では余計なことは言わず、ただうろうろきょろきょろしていた。取材が済むと、50代の男性通訳メフディーさんの車に戻る。そして助手席に乗り込むやいなや、わたしは鼻息荒く質問を繰り出した。

「ねえ、メフディーさん! また教えてほしいことがあるんですけど」
「なんでもどうぞ」
「さっきカフェのおじさんが『去年までは女性が街中で自転車に乗ることはなかったけど、今は自転車に乗っている女の人をたまに見かける』って言ってましたよね。あれはどういう意味ですか?」
「2022年に激しいデモが起きたでしょ。その前とあとで、街の雰囲気がずいぶん変わったんですよ」

■500人の死者を出した「反スカーフデモ」

メフディーさんは、マニュアル車のギアをテキパキと切り替えながら説明してくれた。

2022年9月13日テヘラン市内を歩いていたマフサー・アミーニーさんが逮捕された。スカーフのかぶり方が不適切だという理由で。彼女は警察の取り調べ中に意識を失い、搬送先の病院で3日後に亡くなった。22歳だった。当局は病死と発表したが、警察で暴行された疑いが濃厚だ。アミーニーさんの死が伝えられると、「反スカーフデモ」が全土に拡大した。

日本のメディアやSNSにも、スカーフを脱ぎ捨ててデモに参加する女性たちの姿が流れた。カメラの前で長い髪をバッサリ切って抗議する大学生、教室で声をあげる女子高生たち、涙ながらにデモを応援するおばあさん……。デモの参加者には男性たちもいた。これは単にスカーフの問題ではない、女性だけの問題でもない、国民に我慢を強いてきたイランの政治体制を変えたいんだ、という気迫が溢れていた。欧米メディアによれば、警察の弾圧によって500人を超す死者と大量の逮捕者が出たという。

反スカーフデモは数カ月続いたが、結局は政府によって蹴散らされた。だけど同時に奇妙なことが起きた。デモの収束からほどなく、具体的には2023年春ごろから警察の取り締まりが劇的にゆるくなったのだ。街中にうじゃうじゃいた風紀警察が明らかに減ったという。たとえスカーフをしていないところを警官に見つかっても、逮捕はされず口頭注意で終わるようになったともいう。

■2023年から風紀取り締まりが緩くなったワケ

どうしてそういう変化が起きたのか、政府や警察はなにも説明しない。だから真相はわからないのだけど、人々は「政府は国民の反感が増大するのが怖い。だから取り締まりをゆるめて、ガス抜きをしているんだろう」と分析している。

「メフディーさんも、取り締まりがゆるくなったと感じますか?」
「そうですね。わたしの娘はスカーフしないから去年までは警察に連行されたけど、今年からはスマートフォンに『注意してください』ってメッセージが届くだけなんですよ」

さらっと言うから仰天した。

「えっ。娘さん、連行されたの?」
「そうそう。これまでに3回かな」
「スカーフをしていない罪で?」
「そうです。1回はわたしの車を運転しているときに監視カメラに撮られて、わたしのところに警察からメールがきました。車の持ち主に連絡がくるんです。その連絡を受けた運転手は車を警察にもっていかなければいけない」

去年までは、スカーフをしない女性が車に乗っていたことがバレると、罰としてその車が14日間警察に押収されたという。うわ、イラン政府、いやらしいなぁ! このルールは、スカーフをしていなかった女性に罰金を課すのではなく、乗っていた車を使用禁止にするのがミソである。たとえばタクシーの運転手さんだったら、14日間も車が押収されたら生活できない。だから「お客さん、スカーフしてくださいよ」と言わざるをえない。市民どうしで監視させる、じつにいやらしいやり方だ。

■スマホに監視メッセージが届くように

ところが2023年になって警察の対応が変わった。メフディーさんの娘はスカーフのかぶり方が不適切でも連行されなくなった。髪を見せたまま車に乗って監視カメラに撮られても、スマホに「あなたは○月○日にスカーフをしていませんでした。今後は注意してください」のメッセージがきて終わりだった。

「14日間も車を押収する制度はなくなったみたい」

運転席のメフディーさんはおだやかな表情でそう言って、右折するタイミングを見計らっている。

うまく右折できて、ひと呼吸置いて、質問した。

「娘さんは、なんでスカーフをしないんですか?」
「うーん、なんでだろう。わたしもそこはちゃんと聞いてないけど。亡くなったアミーニーさんに申し訳ないからスカーフをしないんだ、って言ってたかな」

■警察に連行されても抵抗を続ける女性たち

娘が何度も警察に捕まって父親として心配じゃないんですか、という質問は飲み込んだ。大切なひとり娘なのだ、心配に決まってる。でも娘はもう30代。スカーフをするかしないかは本人が決めること。そう考えているのだろう、このお父さんは。

結局、旅のあいだ、わたしはスカーフをかぶり続けた。とくにメフディーさんの車の助手席に乗せてもらうときは、ここは監視カメラから丸見えなんだぞ、と自分に言い聞かせていた。スカーフを脱いでいいですかと問えば、きっとメフディーさんは笑って「どうぞ」と答えただろう。今はもう14日間車が押収されることもないんだし。でも。強い意志もないくせに粋(いき)がっている場合じゃないと思った。目下のわたしの任務はレジスタンスに参加することではなく、まずは人々の話を書き留めることなのだ。

個人的にひとつ問題があった。わが一族は頭に汗をかく体質。祖母も母もちょっと運動すると髪から雫(しずく)がしたたるほどの汗っかきで、わたしもそれを受け継いでいる。

11月のテヘラン、日差しが強い日は車内の温度がぐんぐんあがる。すると頭皮がむずむずしてきて、わたしはスカーフを外してぶん投げたくなるのだった。政治、宗教、ファッション、汗っかき……。スカーフ問題は、さまざまな要素をはらんでいる。

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金井 真紀(かない・まき)
文筆家・イラストレーター
1974年千葉県生まれ。テレビ番組の構成作家、酒場のママ見習いなどを経て、2015年より現職。著書に『はたらく動物と』(ころから)、『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『マル農のひと』(左右社)、『世界のおすもうさん』(和田靜香との共著、岩波書店)、『戦争とバスタオル』(安田浩一との共著、亜紀書房)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし』(カンゼン)など。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Abram81