
人生100年時代、セカンドライフへの期待が高まる一方で、定年後の夫婦関係には思わぬ落とし穴が潜んでいます。長年連れ添ったパートナーとの「これから」をどう描くかが、豊かな老後の鍵となります。
モチベーションが落ちても、給与が下がっても…すべては老後のために
長年勤めていたメーカーを退職した高橋浩一さん(仮名・65歳)。60歳で定年を迎えたのち、再雇用制度で嘱託社員として働きました。
定年時に手にした退職金は2,500万円。老後のためと貯めてきた貯蓄と合わせたら、定年とともにリタイアして年金を受け取るようになるまでの5年間、無収入であっても問題ないように思えました。ただ、浩一さんは再雇用を選択。それは、より老後の生活を盤石なものにするため。結婚37年になる妻・芳子さん(仮名・63歳)と、お金の心配などしなくてもいい、穏やかな老後を過ごすためでした。
はっきりいって、定年後の5年間は、仕事へのモチベーションが上がらず、定年前よりも精神的には別の苦労がありました。ひとつは仕事内容。それまで最前線で働いてきましたが、定年後は前線部隊のサポートにまわりました。やりがいという面では、大きく劣るものでした。また給与は正社員から嘱託社員になったことで大きくダウン。さらに役職もなくなったので、給与は年収ベースで7割減となったのです。
「仕事内容も、待遇面も、定年前とは大きく変わる。5年間、完走できたのもリタイア後の生活を考えてのことでした」
厚生労働省『令和6年賃金構造基本統計調査』によると、50代後半・男性正社員の平均給与は月収で45.9万円、年収で753.8万円である一方、60代前半・男性非正規社員(正社員以外)の平均給与は月収で29.8万円、年収で460.7万円。月収では35%減、年収では39%減となります。さらに60歳まで役職者で、その手当もなくなると、浩一さんのように定年前後で給与が7割減となることも珍しいことではないようです。
定年後、気楽な立場でありながら、苦しい思いをしていた浩一さん。65歳で完全リタイアし、いよいよ年金生活に入ることができる――何とも言えない解放感を覚えたといいます。
定年時に手にした退職金は、手つかずで残っています。それもこれも、再雇用で働いたから。そんな自分へのご褒美も込めて計画していたのが、夫婦水入らずの海外旅行でした。
「結婚して、すぐに子どもができたから、新婚旅行に行っていないんです。そのあとも子育てがあり、また仕事も忙しかったので、長期休暇を取ることもなく、これまで一度も海外には行ったことがなかった。若いとき『いつかハワイにでも行ってみたい』と言っていたので、リタイアを機に実現したいと考えているんです」
浩一さん、旅行パンフレットをいろいろと集め、ある日、芳子さんに声をかけました。
「ハワイ、どうだ? 久しぶりに羽を伸ばしてこよう」
はしゃいで喜んでくれるかと思いましたが反応は薄く、むしろ、何かが冷たく張り詰めていました。それでも受け流していた浩一さん。しかし、そのあと、ダイニングテーブルに置かれた「ある一枚の紙」によって、その日常は崩れ去るのでした。ハワイのパンフレットの横に、無言で置かれていたのは、記入済みの離婚届でした。
「何が起きてるのか、一瞬理解できませんでした」
熟年離婚、他人事ではない!
浩一さんは言います。
「妻の不満なんて、まったく気づいていなかったんです。むしろ仲がいいほうだと思っていたくらいで……」
ふたりは37年前に結婚し、子どもにも恵まれました。浩一さんは平日は早朝に出勤し、深夜まで仕事。休日は疲れを取るために寝て過ごすことも多くありましたが、「家族の生活を守るために必死だった」と振り返ります。
「私は家族のために働くことが与えられた役割だと思ってきました。だからこそ必死だった。それが終わったこれからは、ふたりの時間を大切にしようと思っていたのに」
しかし、芳子さんの言い分は違うものでした。
「私は家政婦じゃない」
「あなたは家族を言い訳に好き放題やってきただけ」
「あなたは私の人生を考えたことある?」
突きつけられた言葉の数々に、浩一さんは頭を抱えました。家族のために必死だったのに、こんなに不満を抱えていたとは。家族のために必死になることは果たして罪なのだろうか――。さらに芳子さんが口にした「俺様ルール」という言葉も、衝撃でした。
「朝食は和食がいい。テレビは野球中継が見たい。主婦は昼間は家にいるもの――すべて自分勝手な『俺様ルール』であり、もう付き合いきれないと言われました……」
たしかに決まり事のような習慣はありましたが、それは自分だけのわがままだと思ったことはないといいます。
「和食は健康のためだったし、テレビだってチャンネルを変えてほしいなら言ってくれればよかった。友達と出かけることも、断っていたなんて知らなかった」
厚生労働省『人口動態調査』によると、離婚件数自体は2002年をピークに減少傾向にあるが、同居期間20年以上の熟年離婚は高止まり。結果、離婚件数に占める熟年離婚の割合は増加傾向にある。2020年には過去最高の21.5%を記録した。熟年離婚が高止まりしている理由としては、女性の社会進出や年金分割制度などが挙げられている。
「うちは大丈夫」と思っていた浩一さんですが、熟年離婚が他人事ではないことを痛感。サイン済みの離婚届を前に、これまでの結婚生活を振り返ったといいます。
「今さら過ぎた37年間をどうこうすることはできないし、私には私の言い分がある。ただ、これから先、現役時代のままではいかないことは、今回の件で痛いほどわかりました」
リビングのテーブルの隅には、ハワイのパンフレットがくしゃくしゃになって置いてあるとか。心を入れ替えようとしている浩一さん。近いうちに旅行の話を再開できるよう、芳子さんと対話を続けていこうとしています。
[参考資料]
厚生労働省『人口動態調査』

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