子や孫の喜ぶ顔が見たい――その純粋な気持ちが、自身の首を絞める結果につながることがあります。特に年金が頼りの生活のなかでは、身の丈以上の出費が老後設計を大きく狂わせることも珍しいことではないようです。

盤石のはずだった老後。しかし、徐々に綻びが…

公立中学校で教鞭をとっていた都内在住の斉藤浩さん(仮名・72歳)。真面目にコツコツと働き、生徒たちからは「厳しいけれど、愛情深い先生」として慕われていたといいます。

退職金とそれまでの貯蓄を合わせ、手元には約3,000万円の貯蓄。自身の年金が月20万円ほどあり、5歳年下の妻の収入も合わせれば、月35万円程度の収入があります。そのため、老後の生活に不安は微塵も感じていませんでした。

「妻とは退職をしたら、日本全国の温泉を巡ろうと話していました。現役時代は忙しくて、土日もほとんど稼働していたので、なかなか時間が取れませんでしたからね。ようやく手に入れた穏やかな時間に、何をしようかとウキウキしていました」

斉藤さんは当時をそう振り返ります。金融広報中央委員会『家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査](令和5年)』によれば、金融資産を保有する70代・二人以上世帯における金融資産保有額の平均値は2,188万円、中央値は1,100万円です。3,000万円という斉藤さんの資産は、平均を大きく上回る、まさに「安泰」と呼べる水準でした。

そんな斉藤さんの順風満帆なセカンドライフに、さらなる彩りを加えたのが孫の存在でした。60歳前に初孫が誕生。聞いてはいたけれど、こんなにも無条件で可愛いものか――と斉藤さんは思ったそうです。

「初めて抱いた時の、あの柔らかさと温もりは忘れられません。この子のために、自分ができることは何でもしてやりたい。そう純粋に思いました」

斉藤さんは、可愛い孫のために「お小遣い」を渡すようになります。息子夫婦は恐縮しましたが、「じいちゃんの楽しみを奪わないでくれ」と笑い、会うたびに1万円、2万円と渡し、月平均3万円程度になっていたそうです。息子夫婦はあくまで子どもの将来のために貯金していたといいます。

当初、斉藤さんにとって月3万円の出費は決して大きな負担ではありませんでした。むしろ、孫の将来の一助になると思えば、喜ばしい投資とさえ感じていたのです。

しかし、その「喜び」の形が、少しずつ歪んでいきます。

数年のうちに、長男夫婦に第二子、さらには長女夫婦にも2人の子どもが生まれ、斉藤さんの孫は4人になりました。

「孫が増えるのは、もちろん嬉しいことです。ただ上の子にはしてやって、下の子にはしない、なんて不公平なことはできませんよね」

斉藤さんは、4人の孫全員に、平等に月3万円程度のお小遣いを渡し始めました。月々の出費は、3万円から一気に12万円へと膨れ上がったのです。

想定外のしかかる医療費…狂い始めた老後資金計画

月12万円、年間で144万円という出費は、年金暮らしの身には決して軽いものではありません。総務省統計局『家計調査報告(家計収支編)2024年平均』によると、高齢無職世帯(世帯主が65歳以上)の消費支出は、2人以上の世帯で月額256,521円。斉藤さんの孫への出費は、平均的な高齢者世帯の生活費の半分近くに達するほどの金額になっていました。

またソニー生命保険株式会社『シニアの生活意識調査2024』によると、孫のための出費は平均で年104,717円。150万円弱の出費は、はっきりいって多すぎといえるでしょう。

さらに追い打ちをかけるように、想定外の事態が発生します。5歳年下の妻が、持病を悪化させてしまったのです。これまでパートで家計を助けてくれていた妻は、仕事を辞めざるを得なくなりました。収入が減っただけでなく、定期的な通院や検査、薬代など、医療費の負担が月を追うごとに増えていきました。

「妻の医療費は、多い月で5万円を超えました。孫へのお小遣いと妻の医療費を払うと、それだけで私の年金は消えてしまう。食費や光熱費など生活費を払えば、毎月確実に赤字です。その赤字を、貯金から補填する日々が続きました」

3,000万円あったはずの貯蓄は、みるみるうちに減っていきました。通帳の残高が2,000万円を割り込んだとき、斉藤さんはようやく恐怖を覚えます。

「このままでは、本当にまずいことになる。妻の身に何かあったとき、十分な治療を受けさせてやれないかもしれない。自分たちが介護施設に入ることになったら……と、急に将来が不安になったのです」

斉藤さんは、ついに「ギブアップ」を決意します。息子夫婦、娘夫婦に事情を話し、孫へのお小遣いを終わりにしたいと伝えました。子どもたちは皆、「大丈夫。お父さんたちの生活が第一だよ」と理解を示してくれたそうです。

ある日の週末、いつものようにお小遣いを期待していそうな孫たちに、「おじいちゃんおばあちゃんからのお小遣いはもう終わり」と長男がいいました。

頭を下げる斉藤さんに、孫たちはきょとんとした顔を向けていました。沈黙が流れたあと、一番年長で、小学校に上がったばかりの孫が、悪びれる様子もなく、純粋な疑問といった口調でこう言ったのです。

「え、そうなの? じゃあ、お小遣いくれないなら、もうここに来てもつまらないじゃん」

その一言は、斉藤さんの心に深く、鋭く突き刺さりました。

ショックでした。言葉が出ませんでしたね……。小遣いをくれないなら、存在価値がないと言われたようで。しかし、そう言わせたのは、孫のためにと小遣いをあげ続けた私の責任です。本当に、愚かでした」

斉藤さんはいま、お小遣いを渡すことはやめましたが、公園に連れて行ったり、一緒に本を読んだりと、お金のかからない形で孫との関係を再構築しようと努力しているといいます。

「孫へのお小遣いはお年玉とか、お盆玉とか。常識の範囲であげるようにしています」

[参考資料]

金融広報中央委員会『家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査](令和5年)』

総務省統計局『家計調査報告(家計収支編)2024年平均』

ソニー生命保険株式会社『シニアの生活意識調査2024』

※写真はイメージです/PIXTA