先生のイジメで「不登校になった少年」→超イケメンのバンドマンに大変身…“4年間の引きこもり”だった少年の人生を救った『有名ロックバンド』の正体〉から続く

 ふくよかな体型を理由に、クラスメイトや先生からイジメられたことで小~中学校時代は「不登校引きこもり」になってしまった、元バンドマンで、現在は美容家として活躍するヒィロさん(42歳)。しかし伝説のビジュアル系バンド「Janne Da Arcジャンヌダルク)」と出会うことで見事、社会復帰に成功する。

 無事、高校にも通えるようになったと思いきや、彼に「さらなる試練」が立ちはだかる……。インタビュー2回目では、社会復帰からメジャーデビューするまでのヒィロさんの人生を追った。(全2回の2回目/最初から読む)

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吐き気と戦いながらの通学

――4年ぶりに再開した学校生活はどうでしたか?

ヒィロ 通学するだけでも大変でした。電車に乗るだけで吐き気が襲い、閉所恐怖症になってしまったんです。空いている電車のほうが気分がマシだったので、反対方面の始発駅から乗るようにしました。通常の倍以上の通学時間がかかりましたが、僕が選んだ道なのだから行けないとは言えません。耐えられず途中下車することも計算して、かなり早朝に家を出ていました。

 また、それまでほぼ勉強していなかったので、授業はさっぱり理解できません。でも同級生の大半が僕と同じくらいの学力だったので、あまり気にはならなかったです。

――クラスメイトに馴染むことはできましたか?

ヒィロ 色々な事情を抱えた生徒が集まる高校で、年齢が上の同級生や、ヤンキー、今でいう“陰キャ”など、様々なタイプがいました。そのためオタクで暗い僕も肩身が狭い思いをすることはなかったですね。

 何より、1年生のときに3人の親友ができたことが大きかったです。カラオケに行ったり、コンビニでカップラーメンを食べたり。友達のおかげで人と交わることに慣れることができたので、出会いに恵まれたと思います。

 ただ、不登校だったことは打ち明けられませんでした。彼らがそのことを知ったのは、2020年に僕が出演したテレビ番組が放映されたときなんです。くだらないプライドでしたが、不登校の過去を恥ずかしいと思っていました。

――高校では、念願のビジュアル系バンドを組むことはできたのでしょうか。

売れるバンドを作るため、徹底的なメンバー探し

ヒィロ それが僕の高校は、文化祭体育祭修学旅行などの学校行事が一切なく、クラブ活動すら存在しなかったんです。そのため軽音部もないし、楽器ができる友達もゼロでした。僕は少女漫画が好きで、矢沢あいさんの『天使なんかじゃない』の世界を夢見ていたので、愕然としましたね。

 でも、「だったら学校以外の人とバンドを組もう」と思い立ち、インターネットの掲示板や、楽器屋さんのチラシなどでメンバーを探しました。もし高校生活が充実していたら、楽しいことに流されて、僕はバンドマンになっていなかったかもしれません。

 アマチュアバンド活動をしながら高校卒業後はフリーターになり、20歳で初めてプロ志向のメンバーとインディーズバンドを組みました。いくつかのバンドを経て、事務所に所属できるようになったのですが、メンバーの脱退によって活動休止に陥りました。そのとき事務所の社長に「リーダーとしてバンドを立て直しなさい」と激励されて、「売れるバンドにするために、できることは全部やろう」と腹を括りました。

――“売れるバンド”には何が必要なのでしょうか。

ヒィロ 売れることを意識して、曲を全て書き直しました。そして、完璧なビジュアル系バンドに必要なメンバーの条件を検討しました。

 活動休止したバンドで残ったのは僕とドラムだけだったので、あと3人、どんな新メンバーが加入すると最もバランスがいいかを重視しました。5人並んだときのステージ映えを計算して、ボーカルは身長170cmから175cm、ギタリストの2人は155cmから165cm。また、メンバーのキャラが被らないように、ボーカルは万人受けするかっこいい系、ギタリストは元気で明るいタイプと、中性的な可愛い系。将来的にメイクを薄くしてメジャーデビューすることを想定し、美形のメンバーを徹底的に探しました。

 新メンバーを口説くとき、「1年半後に僕らは必ずメジャーに行く、できなかったら解散する。だから僕についてきて」と宣言し、実際に1年半後の2011年に「ν[NEU](ニュー)」はメジャーデビューを果たしました。

「みんなの肌は俺が守る」美を極めたV系バンドマン

――ヒィロさんが美容に目覚めたのは、その頃だったそうですね。

ヒィロ メンバーチェンジ前に、半年間バンド活動を休止していたとき、鏡をじっくり見て自分の老け具合に驚愕したんです。ステージ上ではメイクをしていたので、「自分はいつまでもかっこいいはず」と思い込んでいました。

 当時はスキンケアに対する意識が低く、メイク落としシートでゴシゴシ顔を擦って終わりでした。しかし、メンバーチェンジをして再始動をすると決めたとき、「男として憧れられる存在にならなければ」と決めたんです。そこから本格的にスキンケアやサプリメントを研究するようになりました。

 ファンの子たちに「みんなの肌は俺が守る」と言って美容好きキャラになっていたり、バンドメンバーに「バンドマンは髪が命だから」と、お金もないのに高額なドライヤーを無理やり購入させたりしました。

 ただ、当時はまだ男性がスキンケアをするのは珍しく、僕がライブハウスの楽屋でパックをしていると、対バン仲間からイジられましたね。しかし面白いことに、同世代のバンドマン達が30代になると、「化粧水何使ってるの?」「おすすめのサプリメントを教えてほしい」と頼まれるようになりました(笑)。

――美容の面でも万全を期して、メジャーデビューしたんですね。

ヒィロ 僕らは運良く、大きなプロジェクトとしてデビューさせてもらうことができました。しかし、それは同時に期待される結果も大きいということだったんです。

 輝かしい未来しか見えなかった僕らは、そこから苦しみ抜くことになりました。

(都田 ミツコ)

社会復帰する前の引きこもりだった時代のヒィロさん(写真:本人提供)