◆石破首相を「どこまでも醜い、奇妙な生き物」と表現

 参院選比例区で当選を果たした日本保守の北村晴男氏の発言が波紋を広げています。“敗北を喫した石破茂総理が衆議院を解散する”との誤情報を引用して、<どこまでも醜い、奇妙な生き物>だと、自身のXアカウントに投稿したのです。



 この発言に対して、各所から批判の声があがっています。『行列のできる相談所』(日本テレビ系)で共演していた橋下徹氏は自身のXアカウントで、<これまでは単なる一弁護士で好き勝手言えたが、これからは税金で飯を食っていく公人の国会議員だ。発言の仕方を一から勉強しろ>と、かつての仲間をいさめました。



 また、普段は石破首相に批判的なネットユーザーも、さすがに擁護のしようがないといった様子です。一線を越えた誹謗中傷である。これが大方の認識です。

◆今回の一件があらわす「現代の政治が抱える問題」

 言うまでもなく、北村氏の発言は論外です。しかしながら、これを個人の問題として矮小化するわけにもいきません。なぜなら、今回の一件には現代の政治や選挙が抱える問題がわかりやすくあらわれているからです。

 まず、北村氏の“悪口”には全くセンスがありません。政治家の仕事が言葉を使って人々を動かすことだとすれば、北村氏はその資質を欠いていると言わざるを得ないでしょう。

 これは、悪口がよくないという意味ではありません。むしろ、悪口ほど言語能力が問われる技術はないということです。

 では、北村氏はなぜ言語能力を欠いているか、具体的に見ていきましょう。

◆北村氏が石破首相を「醜い」と称する心理

 北村氏が石破首相を「醜い」と称する心理には、彼の主義主張と石破氏の政治姿勢が相容れないものであるという思いがあります。

 しかしながら、相容れないと表明しただけでは北村氏自身が正しさや優位性を証明できません。そこで、石破氏のビジュアルを揶揄することで、自らの正義を主張する方法を選んだのです。彼の立場を踏まえて言うならば、“保守ではない石破はブサイクなのだ”というメッセージを込めたかったのですね。(編集部註:29日の会見で北村氏は「外見は全然問題にしていない」と述べた)

 石破=醜い=間違っている。こういう論理を打ち立てるために、刺激的な言葉を単純に直列で並べたわけです。

 しかしながら、今回の炎上が示したように、この種の表現は自分への逃げ道を塞いでしまうことにもつながります。刺激的なメッセージを強い言葉で伝えようとすると、内容と語句の形状が密接につながっているために、ひとたび間違うと身動きが取れなくなってしまうのです。

 つまり北村氏のアジテーションは攻撃に全振りしすぎなのです。

◆SNSによって加速した“歯止めの効かない軽薄さ”

 かつての政治家は、もっと言葉に対する警戒心を持っていました。「言語明瞭、意味不明瞭」と揶揄された竹下登元総理の分かりづらい国会答弁も、政治家にとっていかに言葉が命取りになるかを知っていたからこその自衛の手段だったのです。

 しかしながら、そうした曖昧模糊とした対話の中から、お互いの腹を探り合って、論点、妥協点を見出していく熟成の様が、かつての政治にはありました。

 それが様変わりしたのが、平成以降の劇場型政治です。そしてSNSによって加速度的に政治の言語が劣化していっています。

「いいね」をクリックするのと同時に理解できる程度の平面的な文章が秒単位で拡散されていく。その一方で表面的な刺激だけは濃縮され、支持する人達の声も増幅されていく。

 そんな歯止めの効かない軽薄さが選挙の主流になってしまったことが、今回の参院選であらわになりました。北村氏の“暴言”は、その象徴的な例なのです。

◆SNSが負の感情に対してもたらす“成功報酬”

 そしてもう一つの問題は、そうした暴力的な言動がSNSでの影響力と結びついたときの依存性です。SNSへの依存はヘロイン中毒に似ているという説もありますが、北村氏を見ているとそれもうなずけます。

 その理由は、SNSが負の感情に対して大きな成功報酬をもたらす構造を持っているからです。

 つまり、ある日突然北村氏は石破首相を「醜い」と言うようになったのではない、ということです。『行列ができる相談所』に出演していたころの余裕とユーモアのある語り口が、政治に関わるようになってから様変わりしてしまいました。そして、その過程にSNSが深く関与しているのです。

 対立する勢力に向けた批判、罵倒、呪詛を喜ぶフォロワーが増えていき、自身の影響力の大きさに自信と快感を得る。そうした日々の繰り返しが、今回の暴言を生む温床となったのです。

 当然それはワナです。フォロワーから悪口を期待され、応えようとすると、負の感情の奴隷になってしまう。瞬間的な「いいね」は、そこで立ち止まって考える余裕を奪います。するとフォロワーから承認という形だけの報酬を追い求めることになる。

 北村氏のように、学識、職歴、資産、社会的地位を持つ70歳近い立派な人物であっても、なにかの拍子にこのルートに乗っかってしまうと、冷静な判断力を失ってしまうのです。

 だから、今回の騒動は北村氏個人だけの問題ではありません。

 SNSを上手く活用した人間が有利な選挙戦だとするならば、ゾンビのような中毒者が勝者となる。そんな危険な時代を迎えているからです。

文/石黒隆之



【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

日本保守党の北村晴男氏 写真/産経新聞社