些細なことで怒りやすい人の深層心理は何か。早稲田大学名誉教授の加藤諦三さんは「家族の返事一つでテーブルをひっくり返してしまう人の無意識にあるのは怒りと敵意であり、さらにその奥には人との結びつきを求める心理がある。自分と家族の心が結びついているという確信と安心感がなく、不安だから、おかしな反応をしてしまう」という――。

※本稿は、加藤諦三『不安をしずめる心理学』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

■不安な人は結局、誰とも心が結びついていない

不安の原因の一つは、隠された怒りや敵意です。これは、その人が無意識の中に抱いているもので、意識されたものではありません。

自分は一人、敵意に満ちた世界で無力なまま放り出されていると感じている。

要するに、人を信じられないということです。

こうした周囲の世界に対する無意識の怒りや敵意が不安の原因ですから、本人はその原因を理解していません。

例えば、「妻の返事の仕方一つで怒り出す」「出迎えの仕方一つで怒ってしまう」「子どもが、『お父さんお帰りなさい』と言って、玄関で喜んで迎えないと、テーブルをひっくり返して家の中で荒れる」「不機嫌そうに黙り込んでしまう」……。

そういう夫の無意識にあるのは怒りと敵意であり、さらにその奥にあるのは、人との結びつきを求める心理です。

他人と心がしっかりと結びついている、という安心感があれば、そんなことで怒ったりはしません。

表に表われるのは、「すぐに怒鳴る」「テーブルをひっくり返す」ですが、その心の底の無意識の部分では、家族との安定した関係を望んでいるのです。

経済的結びつきではなく、血のつながりでもなく、本当に心の触れ合い……安定した関係、自分と他者の心が結びついているという確信と安心感です。

それなのに、人を信じられず、不安だから、おかしな反応をしてしまう――表にあらわれた現象としての反応は攻撃的ですが、望んでいるのは「他者と結びつきたい」という人間的な願望なのです。

夫は心の底の、さらにそのまた底では安心したいと思っています。不安だからこそ、これだけ怒ってしまうのです。

では、なぜ不安かというと、この場合でいえば、他者、妻と心から結びついていないからです。

■無意識の意識化

ロロ・メイのこんな言葉があります。

「臨床的にしばしば観察される現象であるが、反抗的な意味で独立的で、孤立した人間は、他の人々と確認された関係を結びたいという欲求と願望」(『不安の人間学』〈著〉、小野泰博〈訳〉、誠信書房、『不安の人間学』174頁)

重要なのはこの後に続く言葉で、その欲求と願望を「抑圧している」といいます。

つまり、当の本人は、他の人々と確認された関係を結びたいという欲求が、自分の無意識に存在することを意識できていないでいるということです。

ですから、不安の解決というのは、一つはこの「無意識の意識化」です。「自分は、本当は心と心がしっかり触れ合った、確かな関係が欲しいのだ」と気がつく。

「自分はいままでそれを持っていなかったのだ」と気づく。

メイが言う「反抗的な意味で独立している」というのは、「俺は誰の世話にもならない、一人でいるのだ」というようなことです。これは、自立でも独立でも何でもありません。

本当の独立、自立というのは、あくまで人とのかかわり合いの中において、独立、自立しているということです。

何かあるとすぐに傷ついて怒る人、もっと言えば傷つきやすい人というのは、不安に悩まされています。それらの人は自分では意識していないところに問題を抱えています。

こういう人たちが独立、自立しようとして頑張って座禅を組む、水をかぶるという修行を繰り返し、心が傷つかないように鍛えても強くなろうとしても、それは無理なのです。自分の不安の実態を理解して、その原因を取り除く努力をしない限り変われません。

■無意識の敵意

アドラーは「攻撃的不安」という言葉を使っていますが、まさにその通りです。不安というのは、外に助けを求めるシグナルとして機能します。

いまの時代は、さまざまに無意味な情報があふれていて、人々は時代に置いてきぼりにされているかのような不安にも悩まされている。悩んでいる大人は、子どもと同じように、助けを求める一方で、それと同時に攻撃性を表わしています。

「ある型の不安が攻撃感情の土台をなしていることはしばしば発見されることである。」(前掲書『不安の人間学』57頁)

言い換えると、怒っている人は多くの場合、不安に悩まされているということです。何かあると、すぐに傷ついて怒る人たちも不安なのです。

不安と劣等感と敵意は深く結びついて、そのパーソナリティーを形成している。つまり、不安のさまざまな症状がその人のパーソナリティーとして表現されます。

なぜ、妻の出迎え方一つで、そんなに怒ってしまうのか。それは、結局その人が、こういうパーソナリティー、つまり劣等感が強く、無意識に隠された敵意を持っているからということです。

こういう人はおそらく、自分の心の底にある隠された敵意に気がつくだけで、世界が驚くほど違って見えます。

ものの感じ方、認識の仕方が一変し、そして周囲の世界は、その人にとって、これまでのような敵意に満ちたものではなく、まったく別の世界になります。

自分には隠された意識があるから、こんなふうにさまざまなことを感じるのだ、と気づくと、世界に対する感じ方が変わってくるのです。

■行動しないで嘆き続ける

このように認識の仕方が変わって、行動すると、さまざまなことを解決できる一歩となるのですが、これまで述べてきたような不安を抱えている人たちというのは、まず行動しません。いつも嘆いているだけです。

その結果、不安で顔がやつれてきます。そればかりか敵意を隠さずに、他人に対して攻撃的になる人もいます。

口を開けば、人の悪口を言う人がいますが、それもやはり不安だからです。その不安から解放されたいがために、批判的なことを常に口にするのです。

ですから、不安ではない人から見ると、「この人は、なぜこんなことで人の悪口を言ったり、人を批判したりするのだろう?」と思うはずです。

何か少しでも行動すれば解決するのに、行動しないで嘆き続ける――それは不安な人は誰もが、自分の無意識に動かされているからです。無意識の退行欲求に動かされ、嘆いていることが快感で心地よいのです。

退行欲求とは、子どもが母親にあやしてほしいと思うような自己中心的な心理です。

人間というのは、この退行欲求とそこから抜け出そうとする成長欲求の葛藤の中にあります。

マズローは「成長欲求に従うことは、リスクと負担が伴う」と述べていますが、普通の人は、その成長欲求と退行欲求の葛藤の中で、それでも成長欲求に基づいて何とか生きていくので、人生を最後まで生き抜いていけるのです。

一方、嘆いているだけの人もいます。なぜかというと、嘆くことで、本人の退行欲求が満たされるからです。また、満たされているので、嘆くことがやめられません。

そして本人も気がついていませんが、実は嘆くことによって周りの人を攻撃しているのです。

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加藤 諦三(かとう・たいぞう)
早稲田大学名誉教授
ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員。『人生を後悔することになる人・ならない人』など著書多数。

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