
※本稿は、鈴木裕介『「心のHPがゼロになりそう」なときに読む本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■必要なのは「安心」よりも「信頼」
「信頼」という言葉について、もう少し掘り下げたいと思います。
社会心理学者の山岸俊男(やまぎしとしお)は、その著書『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)の中で、「信頼」と「安心」という言葉の違いに触れています。
山岸先生によれば、「信頼」とは、「相手がいい人であり、自分に好意を持っている」から「裏切らないだろう」と期待をすることを指します。つまり、相手の人間性や自分との関係性をポジティブにとらえ、相手を信じて関係性を結ぶのが「信頼」に基づいた人間関係ということです。
それに対して、「自分を裏切ると、相手自身が損をするから裏切らないだろう」という期待は、「安心」に基づいた人間関係に当たります。
本稿では「安心」を「不安がなく、安らげること」という意味で使っていますが、それと区別するために、ここでは山岸先生の意味する「安心」を便宜上“安心”と表記します。
例えば、「組織を抜けたら刺客が差し向けられて暗殺される」というルールの中で、「この組織を裏切る奴はいないだろう」と考えるのは、信頼ではなく“安心”に基づいた関係づくりになります。
集団主義的な社会のもとでは、対人関係における不確実性をなくそうとするために、お互いが監視し合ったり、そのルールから外れたものを排除するような形で、お互いが“安心”できるようにしているのです。
しかし、対人関係にはそもそも“不確実性”が伴うものです。その不確実性を排除しようとするのではなく、飲み込んだうえで関係を結ぼうとするのが「信頼」だと山岸先生は言います。つまり、誰かを信頼するということは、“安心”に比べて裏切られるリスクが高い行為なのです。
■「損得勘定」をやめるだけで、人生は豊かになる
人生の初期設定において、身の回りの大人が気分屋だったり、不安定だったりした時、人は他人を信頼しないようになります。
「信頼が報われる」よりも「信頼が裏切られる」経験のほうが多ければ、「他人を信頼しない」という方針を選択するのは合理的に当然のことだからです。
そうした人たちは“安心”に基づいて他者と関係性を結ぼうとするので、しばしば「相手に常に何かを捧げていないと落ち着かない」状態になり、相手に対して取引を持ちかけるような関係の築き方をしてしまいます。
要するに、「自分は一緒にいると役に立つから、離れないでほしい」といった関係性のつくり方ですよね。これは“安心”の考え方です。
こうした「自分は役に立つから、この人は一緒にいてくれるのだ」という関係は、「価値があるうちは一緒にいてくれるけど、価値がなければ見捨てられるだろう」という不安と背中合わせですから、それだけで心を満たすのは難しいでしょう。
日本人は世界の中でも「他者を信頼する傾向」が極めて低い人種といわれています。そこには、相手を信頼するリスクをとるよりも、相互監視を通じて裏切ったら相手が損をするという“安心”によって社会を成り立たせてきたという背景があります。
裏切られ、傷つくことを恐れる人は、なかなか他人を信頼できません。しかし、それでは、信頼が報われた時に得られる豊かさも得られないのです。
人間関係における「信頼」と“安心”の違いを理解することは、生きづらさを抜け出す大きなヒントになるでしょう。支配や取引関係もなく、役に立つかどうかという観点を前提としない、信頼関係に基づいた「つながり」というものが存在するのです。
■どんな状況でも「自分は大丈夫」と思えるか
常に「相手にとって役に立つかどうか」という観点から人間関係を構築していると、次第に自分自身のことも「役に立つかどうか」という視点でしか評価できなくなっていきます。
すると、相手にとって「価値がある」と感じるうちは「自分は大丈夫だ」と自信を持てますが、その前提が崩れると、その自信はもろく崩れ去っていきます。
このように「仕事で成果が出ている時や周囲の期待に応えられているうちは大丈夫だ」と感じられる感覚は、「自己効力感」と呼ばれています。相手に何かを捧げることで自信を得ることと同じであり、どちらかというと“安心”の感覚に基づいた自信と言えるでしょう。
一方で、たとえ成果を出していなかったり、周囲の期待に応えられていなくても「自分は大丈夫だ」と思える感覚は、「自己肯定感」と呼ばれています。
こちらは、「他者にとって役に立つかどうか」「価値があるか」という視点からだけで自分を評価しない、いわば「信頼」の感覚に基づいた自信です。
「自分は成果を出していなくても大丈夫」という自己肯定感は簡単には揺らぎづらいのに対して、「成果を出しているうちは大丈夫」という自己効力感は相手の状況や自分の状況によって移り変わりやすいといわれています。
仕事の難易度が上がれば成果を出しづらくなりますし、歳をとったり、体力が落ちたり、病気になったりといった変化によって自分の能力は常に変わり得るからです。
■「自己肯定感は“浮き輪”のようなもの」
だからこそ、生きづらさから抜け出すためには、どんな状況でも「自分は大丈夫」だと思える感覚、つまり自己肯定感を身につけることのほうが重要になってくるのです。
努力して、立派な成果を出して「みんなに貢献したぞ!」と感じても、高められるのは自己効力感のみで、自己肯定感は無関係です。
臨床心理学者の高垣忠一郎(たかがきちゅういちろう)は、「自己肯定感は“浮き輪”のようなもの」と言います。人生という海の中で、ネガティブな感情の波に襲われても、浮き輪があれば浮上できますよね。どんなに絶望的なことがあっても、「自分は大丈夫」と思えていれば復活できます。それは、浮き沈みのある成果や評価とは関係のない、もっと根源的な、存在レベルでの肯定です。
逆に、その浮き輪がないと、沈まないために常に全力で泳いでいなくてはなりません。それだけではなく、日常生活の中のネガティブな感情の渦に簡単に飲み込まれ、すぐに沈んでしまうのです。
落ち込みやすくて、浮かび上がりにくい。これでは、生きづらくて仕方ありません。浮き輪のあるなしは他の人からは見えないため、実はものすごいハンデ戦を強いられていると言えます。まさに、超ハードモードなのです。
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内科医・心療内科医・産業医
2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)などがある。
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