西成に潜入した『ルポ西成』でデビューし、6月に新刊『ワイルドサイド漂流記 歌舞伎町・西成・インド・その他の街』を刊行したルポライターの國友公司さんと、TBSを退職し、現在はフリーの映像ディレクターとしてバラエティ番組『国境デスロード』(ABEMA)などを手がける大前プジョルジョ健太さん。

 その作風から、とにかく過激なものばかり追い求めている二人なのかと思いきや、彼らが本当に見たいのは、実は「危険」ではないそうで――。(全2回目の2回目/1回目から読む)

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「俺は若い」と言い聞かせながら登山

大前 『ワイルドサイド漂流記』の中で、取材ができそうなチャンスが訪れたけれども声をかけるかどうしようか迷う、という場面がありました。その気持ちにもすごく共感したのですが、そういう時こそ行ってみたら面白いことが起きる。飲み会と同じですよね。

國友 飲み会には僕はあまり良い思い出がないんですけど(笑)、でも思い切って一歩踏み出した取材で、後悔したことは一度もないかもしれません。行く前は面倒くさいなと思っても、終わってみれば「良かった、声かけて」という思いしかないんです。

大前 声かけて失敗したとしても、そんなこと忘れますしね(笑)。

國友 ホームレスのおじさんに「明日、丸一日炊き出しに行くから一緒に行こうよ」と誘われた時も、「マジかよ……」と思ったんですけど、行ったら行ったでいろんな収穫があったんですよね。

――どんなに好きな仕事でも、長く続けているとモチベーションが落ちてくることもあると思います。お二人は自らを危険に晒すハイカロリーな取材を続けていますが、どのように仕事に向き合っているのか気になります。

國友 年齢とともにバイタリティが落ちているんですよね。西成に行ったのは26歳の時で、大学卒業してまだ1年目だったから何も分からないまま働けましたが、正直今は「こうやったらどのくらい稼げる」とか「こうやったら効率的」とか、ある程度分かってきてしまっている部分があって。だからこそ、無駄なことができなくなってきている。その結果、どんどん行動力が落ちている気がしています。“お金のためじゃない取材”をもっとやっていかなくてはと考えています。大前さんはどうですか?

大前 僕はそもそもあまりバイタリティがないタイプですが、自分のことをまだ「若い」と思っているんです。今30歳ですが、40歳になってもそう言っていると思います。「もう30だからおっさんだよ」とかファッションで言うような、「ファッションおっさん」だけには絶対にならないぞと思っているので。

――それは本当に「若い」と思って言っているのですか? それともあえて口にしている?

大前 あえて言っていますね。30代になると「もう若くはないよ」と言われる機会も多いのですが、「僕はまだ若いので」とずっと言っていると、実際に動けます。以前、アンデス山脈を4時間くらいかけて登っていたのですが、みんなが「しんどい」と疲れてきた時も、「俺は若いんで大丈夫です」と言うと元気になる(笑)。

國友 自分に言い聞かせるのが大事ですね。

大前 あとはモチベーションを保つために「問いを立てる」ということをやっています。無理矢理にでも仕事ごとに自分の中で疑問を立てて、それをクリアしていく。「問い」や「テーマ」を持っていれば、モチベーションは落ちない気がするんです。

武蔵小杉の“トイレ逆流タワマン”取材

國友 僕は編集者などに「ここに行ってこい」と言われて取材をすることが多いのですが、実際に取材をして戻ってくると、「そこまでやったんだ」「そこまでやると思ってなかった」と言われますね。自分でやりたいと思って始めたことではないのに、いざ現場に行くとどんどんのめり込んでしまうんです。

大前 例えば、どんなことで「そこまでやるんだ」と言われたんですか?

國友 以前、台風の影響で武蔵小杉のタワーマンションのトイレが逆流して、あたりが汚物だらけになったことがあったんですよ。その実態を取材してこいと言われて、とりあえずタワマンに行ったのですが、住人にいきなり声をかけても当然誰も答えてくれない。そこで、内見に行きましたね。不動産屋さんに行って、「あそこのタワマンに住みたいんですけど、そろそろ安くなるんですかね?」とか言いながら内見の手続きをして。そこまでいけば何でも聞き放題じゃないですか。「いや、実はトイレが全然直ってなくてね」とか、いろいろ聞き出すことができました。

大前 なるほど。勉強になります!

覚醒剤の売人に「松屋と吉野家、どっちが好き?」

國友 『国境デスロード』は「危険な場所に行った」ということばかりが注目されがちですが、実は編集していて一番面白い部分は別のところなんじゃないですか?

大前 僕自身は「危険地帯の人」という自認はなくて、あくまで「人」を掘っているつもりです。國友さんも、その場所で起きた現象というよりは「ここに暮らす人はこういう人だ」というのを丁寧に描いているじゃないですか。

國友 そこは共通していますね。僕には伝えたいことは特になくて、自分が見たいものをただ見ているだけなんですが、大前さんが一番見たいものはどんなものですか?

大前 誰かの知らない表情とか、自分にだけ打ち明けてくれた話とか。「心を許してくれたんだな」と思う瞬間が一番嬉しいかもしれません。『国境デスロード』で言うと、鉱山に行って危ないところを撮っている時よりも、結局取れた金が0円だったのに、奥さんの前で気まずそうに虚勢を張る父親の姿とか。そんな瞬間を見るのがとても好きですね。

國友 世間では「危ない人」だと思われている人の、普通の人と変わらない瞬間を見た時は興奮しますよね。

大前 「この人も僕たちと同じ人間なんだ」ってことですよね。分かる気がします。

國友 僕は覚醒剤の売人に「松屋と吉野家どっちが好きなんですか?」とか聞いちゃいます。「僕は松屋派なんですよね~」とか言ってみたりして。

大前 「松屋ってカレーもうまいから!」とか(笑)。

國友 そういう会話をしている時に、心が通っていると感じられるのかもしれないです。危険なことをしている人にも素の顔がある。そこを見たいなと思いますね。

大前 それは取材する上で一番難しいですし、一番やりがいがある部分でもありますね。

「こいつの人生は良くなってほしいな」と思う

國友 ホームレスの取材をする時、正直に言うと、「ホームレスが一人でも減ったらいいな」とか、そういうことは特に思わない。ただ、取材を通じて仲良くなった人に対して「こいつの人生は良くなってほしいな」と思うんです。

大前 僕も似ているかもしれません。エクアドルに行ったからといって「エクアドルが発展してほしい」と思うわけではないのですが、それまで漠然としたイメージしかなかった「エクアドル」「不法移民」という言葉が、「ジュセがいる場所」とか「ダニエルくん」に変わる。そんなふうに、ただの名詞が固有名詞に置き換わるのは嬉しいなと思います。

 ダイビングが好きなんですけど、潜って上がってきて見ると、海がそれまでと全く違って見えるんですよ。海に対する解像度がものすごく上がるから、今まで見ていたよりずっと下にも世界が広がっているんだという想像ができるようになる。それと似ているのかもしれません。

國友 僕もそんなふうに思える場所を増やしていきたいと思います。

國友公司(くにとも・こうじ

1992年生まれ。栃木県那須の温泉地で育つ。筑波大学芸術専門学群在学中よりライター活動を始める。水商売のアルバイト東南アジアでの沈没に時間を費やし7年かけて大学を卒業。2018年、西成のドヤ街で生活した日々を綴った『ルポ西成 ―七十八日間ドヤ街生活―』でデビュー。その他の著書に『ルポ歌舞伎町』、『ルポ路上生活』がある。

 

大前プジョルジョ健太(おおまえ・ぷじょるじょけんた)

1995年大阪府生まれ。法政大学社会学部社会学科卒業後、TBSに入社し、『あさチャン!』『ラヴィット!』『サンデー・ジャポン』などを担当。2023年に自身が立案した『不夜城はなぜ回る』が「ギャラクシー賞」を受賞。その後24年にTBSを退社、現在はフリーのディレクターとして活動。『国境デスロード』は第51回放送文化基金賞の「エンターテインメント部門」の奨励賞を受賞。

国境デスロード
ABEMAで配信中

文=國友公司、大前プジョルジョ健太
撮影=佐藤亘

(國友 公司,大前 プジョルジョ健太/ライフスタイル出版)

國友公司さん、大前プジョルジョ健太さん。