参院選と都議選で、石丸伸二氏の政治団体「再生の道」は獲得議席ゼロに終わった。「石丸旋風」は終わったのか。『京大思考 石丸伸二はなぜ嫌われてしまうのか』(宝島社新書)の著者で、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「再生の道の『多選の制限』や『教育を最優先』といった主張は誰もが納得できるものだ。今回の選挙では、石丸氏の『まともさ』が仇となったのではないか」という――。

■「石丸旋風」は本当に終わったのか

石丸伸二氏の政治団体「再生の道」のスタートは華々しかった。都議選への立候補の呼びかけに1128人もの応募者が集まった。3回もの試験を行い、最終面接はYouTubeで公開する仕掛けは、多くの注目を集めた。しかし、選んだ42人を35の選挙区に擁立したものの、全員が落選した。

すべての得票数を合わせても約41万票にとどまり、都知事選で石丸氏が得た票数の4分の1ほどに過ぎなかった。知事と議員では選ぶ対象も選び方も違うから、単純な比較はできないとしても、昨年の熱狂を思えば、寂しい結果と言わざるを得ない。

続く参院選では、東京選挙区に「再生の道」公認で出馬した吉田あや氏が約13万票を取ったものの、最下位(第7位)当選の塩村文夏氏(立憲民主党)の約52万票に遠く及ばず、15番目だった。ほかにも比例代表では9人の候補者を立てたが、東京都では合計で11万票であり、吉田氏の票数をさらに下回り、都議選での合計得票数の3分の1にも届いていない。

石丸氏は、7月20日の投開票日の記者会見で、「たとえば党首討論。地上波(テレビ)で呼んでいただきたかった。本当にそう思います」と述べていた。果たして、党首討論に出ていたとしても、どれだけ存在感を示せたのだろうか。

逆に昨年の都知事選では、小池百合子知事や蓮舫氏と比べれば、はるかに「地上波」への露出がなかったにもかかわらず、次点に入った。その勢いを振り返れば、「石丸旋風は終わった」と思われても仕方がない。

では、なぜ、この2回の選挙で、石丸氏の勢いは止まったのだろうか。

■「大将」と「参謀」の不在

しばしば指摘されるのは、石丸氏自身が参院選に立候補しなかった点である。石丸氏の知名度は高く、街頭演説には人が集まる。ジャーナリストの櫛田泉氏は、「現代ビジネス」への寄稿〈だから参政党に蹴散らされた…全員落選の《再生の道》関係者が語った「石丸伸二への恨み節」〉のなかで、関係者の証言として、石丸氏が立候補していれば、都議選でも多数を当選させられたと可能性を指摘している。

一方で「再生の道」という政治団体は、政党要件を満たしておらず、メディアで取り上げられにくい。候補者ひとりひとりは、真面目で意欲にも経歴にも富む人たちだが、それだけでは注目されにくい。参院選で「チームみらい」を率いたAIエンジニアの安野貴博氏が、政治団体の顔として露出していたのに比べると、「再生の道」の大将=石丸氏の不在は、票を集めるためには痛手だった。

大将だけではなく、“参謀”もいなかったのかもしれない。正確に言えば、「再生の道」には多くのスタッフがおり、石丸氏を支えているに違いない。けれども、昨年の都知事選で事務局長を担った藤川晋之助氏の姿はない。「選挙の神様」の異名をとり、テレビや雑誌、ネットメディアで、石丸伸二躍進の裏側を語ってきた藤川氏は、石丸氏とは袂を分っただけではなく、今年3月に、この世を去っている。

■「再生の道」の「目標」とは

大将本人が出陣しないばかりか、かつての参謀を欠いていた。この2点は、たしかに「再生の道」が議席を得られなかった要因として挙げられよう。とはいえ、そんなことは、石丸氏には百も承知だろう。都議選の投開票日翌日には、「党としての最優先は『広く国民に政治参加を促す』こと。候補者の政治参加、有権者に対しては選択肢をたくさん提示した」として、意義を強調している。

また、社会学者の西田亮介氏も、石丸氏との共著『日本再生の道』(幻冬舎新書)の冒頭で、「(候補者を)セレクションできるほど人が集まっている時点で、石丸さんの仕掛けの半分はすでに成功していると言ってもいいと思います」(同書22ページ)と評価している。

なるほど「政治屋の一掃」を掲げる石丸氏からすれば、立候補したいと考える有権者が増え、政治のために政治をする人たちを駆逐する道筋をつけられた、そう評価するほかない。実際、「再生の道」の「目標(Objective)」は「2025年6月の都議選に向けて候補者を擁立する」としか書いていなかった。

■「政策がない」との批判は、想定の範囲内

都議選での「地域政党として、広く国民の政治参加を促すとともに、自治体の自主性・自立性を高め、地域の活性化を進める」という「目的(Purpose)」、そして、「多選の制限のみ(2期8年を上限とする)」との「綱領(Charter)」も「政策がない」との批判があった。しかし、石丸氏はこれも想定の範囲内だったと、西田氏に語っている(『日本再生の道』38ページ)。

参院選では「Purpose-目的-」を「教育への投資を優先し、持続可能な社会を構築する」、「Charter-綱領-」に「教育への予算配分を重視する。ブロードリスニングをもとに政策を打ち出す。任期は2期(12年)を上限とする」と打ち出した。

「政策がない」かと言われれば、そうではない。そして、西田氏との共著では「1人当たりGDPを維持することが大事」(同書211ページ)といった経済政策をはじめ、外交や社会保障についても方針を示しているとはいえ、なかなか伝わりづらかったのではないか。

仮に、都知事選の際の「東京を動かそう」のようなスローガンがあれば、まだ違っていたのかもしれない。それだけではない。都知事選と比べて、都議選、参院選と石丸氏の言動が耳目を集めにくくなっていたのは、実は、石丸氏が「まともだから」ではないか。

■銀行時代の上司からの「評価」

石丸氏は、三菱東京UFJ銀行に勤務していた。当時の上司・内田稔高千穂商科大学教授は、石丸氏について「ド正論で突き進むという意味では、私が知っている石丸さんの延長線上にあった」と、動画サイト「ReHacQ-リハック」での対談〈【石丸伸二vs銀行の元上司】半沢直樹か否か…銀行時代、上司を詰めた理由とは?【高橋弘樹】〉で語っている。

石丸氏は、人を驚かせてやろうとか、目立ってやろう、といった山っ気(だけ)で動いているわけではない。それよりも、みずからの信じたことを発言し、その通りに行動する。そこに(のみ)価値を置いているから、たとえ「政策がない」と言われようが、大将も参謀も不在だろうが、気にしない。

だから、都知事選の際に、東京に人を集めようとするのではなく、反対に、「東京を動かそう」と、その人口一極集中を是正しようと訴えたのではないか。奇をてらおうとも思わず、鬼面人を驚かすわけでもない。純粋に「ド正論」を吐く。そこにこそ石丸氏の魅力があり、同時に、嫌われる要素もあった。

石丸氏との対談本のなかで、西田氏が「不気味で得たいが知れない者がドーン! と存在感をもつと怖いじゃないですか」と語っている(同書184ページ)ように、石丸氏の毀誉褒貶は、彼の“わかりにくさ”に由来していた。何をしでかすかわからないから、警戒する人たちも多い。その分だけ、期待した人もまた多かった。

悪名は無名に勝る、を地で行く。それが、「石丸旋風」の要因であり、彼のカリスマ性の要因だったのではないか。

■パワハラ的なコミュニケーションだったのに

もちろん、西田氏が「再生の道」の都議選を総括して語るように、石丸氏には「個人としてのカリスマとしての力は、まだある」のだろう(【西田亮介が解説】石丸伸二は「賞味期限切れ」?/都議選、国会攻防、参院選/公明党・佐々木さやか、元衆議院議員・山尾志桜里がドタキャン/現金給付や減税、ポピュリズム?/ポスト石破争い【週刊時評@ライブ】)。

そうであるからこそ、より一層、石丸氏の「まともさ」が際立ち、かえって弱みになっているのではないか。

参院選をめぐって印象に残ったやりとりがある。TBSラジオの開票特番のなかで、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏が、昨年の都知事選の同局の番組と比べると「石丸さん、エライ態度の違いだと思った」と切り出し、「非常にパワハラ的なコミュニケーションだと思っていた」と分析した。

■石丸氏は「丸くなった」のか

今回の石丸氏の様子が大きく違うとした上で、「自分の情勢が良くなると非常に高圧的になって、そうではなくなるとまた態度を変えるっていうところは、それってやっぱり、政治にかかわる人間として、果たして信用できるだろうかっていうことを思いながら聞いてました」と述べていた(【開票LIVE】参院選2025〈物価高・少子化・分極化〉~この選択は何を変えるのか?少数与党に下される審判は【JRN開票特別番組】)。

安田氏の言動に、水に落ちた犬を打つ雰囲気を感じるのは、私の勘違いなのだろう。安田氏によれば、石丸氏のほうが、「態度を変える」点で、「信用できるだろうか」と思わせるのだから。

まさに、こうした態度、いわば丸くなったかのような態度もまた、石丸氏から「不気味で得体が知れない」ところが減った、というよりも、ほとんどなくなったあらわれなのではないか。

■「ド正論」が極めて「まとも」だった

西田氏との対談本の末尾で石丸氏は、大阪を「第2首都」として、首都機能移転を提案している。「日本維新の会」の前原誠司共同代表が「副首都」を定める法案への協力を呼びかけたのは、石丸氏の構想と響きあう。

石丸氏にとっては「ド正論」なのだろうけれども、常識の範囲内に収まるくらいの「まともさ」にほかならない。都知事を目指しながら「東京を動かそう」とアピールしたときの驚きは、ここにはない。

参政党の「日本人ファースト」や、NHK党の「NHKをぶっ壊す」ほどの衝撃(出鱈目さ)とまでいかなくても、国民民主党の「手取りを増やす」のような、強く明確なメッセージに支持が集まっている。

「多選の制限」にせよ「教育を最優先」にせよ、どちらもパンチが弱い。弱いからダメだと言いたいのではない。「まとも」であり、誰もが納得できる。それゆえに、かつて多くの人が抱いたであろう「不気味」さは、どこにもない。

すると、もう石丸氏は終わってしまったのだろうか。いや、そう考えてはいけない。なぜなら、彼にとっては、他人から「不気味」に見えるか「まとも」に見えるのか、それはどうでも良いからである。石丸氏は、周りにどう映ろうと、これからも「ド正論」を吐き続けるに違いない。その限りでは、少なくとも彼のなかでは、「石丸旋風」は永遠に終わらないのかもしれない。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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街頭演説で支持を訴える地域政党「再生の道」の石丸伸二代表=2025年6月14日、東京都墨田区 - 写真提供=共同通信社