
自宅に住み続けながら、年金にプラスして生活資金が手に入る――。「リバースモーゲージ」は、持ち家はあるものの現金収入が少ない多くの高齢者にとって、非常に魅力的な制度に映るだろう。しかしその裏には、人生の最終盤で自宅を失いかねない深刻な落とし穴が。実情をみていく。
家だけは守りたかった寡婦
「この家に住み続けられるなら、なんでもします」
そういって契約書にサインしたのは、神田康子さん(仮名/69歳)。夫を亡くし、東京郊外の小さな一戸建てに一人取り残されてから2年が経っていた。
頼みの綱は月7万円の国民年金のみ。働きに出ようにも、長年の主婦業でこれといったスキルもなく、体力も衰えている。一人娘はシングルマザーとして必死に働いており、「迷惑はかけられない」という一心で、康子さんは日々の食費を切り詰め、光熱費に怯えながら暮らしていた。
そんなとき、メインバンクの担当者から提案されたのが「リバースモーゲージ」だった。「奥様、このご自宅を担保にすれば、ここに住み続けながら生活資金をお貸しできます。亡くなられたあとにご自宅を売却して返済いただくので、月々のご返済は利息分だけ。まさに一石二鳥の制度ですよ」。その言葉は、暗闇に差し込んだ一筋の光のように思えた。
「リバースモーゲージ」という救いの手
高齢の単身女性の経済状況は特に厳しい。公的データによれば、単身高齢女性の貧困率は男性よりも高く、その生活の厳しさが浮き彫りになっている。康子さんの月7万円という年金額は、厚生労働省が発表する国民年金の平均受給月額(令和4年度で約5万6,000円)よりは多いものの、都市部で文化的な生活を送るにはあまりに心許ない。
さらに、内閣府の「令和5年版高齢社会白書」によると、65歳以上の高齢者のいる世帯のうち8割以上が持ち家に住んでいる。これは、「資産はあるが、お金がない」という高齢者層が数多く存在することを示唆している。
娘に頼れない康子さんにとって、リバースモーゲージはまさに救世主だった。契約後、毎月10万円が口座に振り込まれるようになり、生活は一変する。以前のように食費を浮かすために夜ご飯を抜いて、早い時間に就寝する必要はない。暑くてもエアコンを付けられず、スーパーに涼みに行く必要もない。友人とお茶を飲める。なにより、「お金がない」という絶え間ない不安から解放されたことが、精神的に大きな救いとなった。
「これで娘に心配をかけず、夫が遺してくれたこの家で穏やかに最期を迎えられる」康子さんは心からそう信じていた。このとき、契約書に書かれた「融資極度額」や「金利変動リスク」といった小さな文字の意味を、深く理解しようとはしなかった。
長生きという「誤算」
契約から15年が経ち、康子さんは84歳になった。同世代の友人を次々と見送るなか、幸いにも大きな病気もせず、元気に暮らしていた。しかし、この「予想外の長生き」が、彼女の老後を根底から覆すことになる。
ある日、銀行から一通の封書が届いた。「融資極度額到達のお知らせ」。毎月10万円ずつ借り入れていた融資額の合計が、ついに上限の1,800万円に達してしまったのだ。融資は停止され、同時に利息の支払いを求める督促状が届きはじめた。
慌てて銀行に駆け込むと、担当者の口調は昔の優しさとは程遠い、事務的なものに変わっていた。
「神田様、契約は契約です。これ以上の融資はできません。今後は利息分をお支払いいただくか、ご自宅を任意売却して一括返済していただくことになります」
年金7万円の生活に戻った康子さんに、利息を払い続ける余裕などない。売却を拒否し続けると、ついに銀行は法的手段に乗り出し、自宅の競売を申し立てた。康子さんの手元に届いたのは、裁判所からの「担保不動産競売開始決定」通知だった。
「話が違うじゃないですか…! 住み続けられるっていったじゃないですか!」
康子さんの悲痛な叫びも、分厚い契約書の前では無力だった。法廷で争うことになった彼女は、弁護士の事務所でこれまでの経緯を語り、涙ながらにこう呟いた。
「リバースモーゲージなんてやらなきゃよかった……」
夫との思い出が詰まった我が家から、人生の最終盤で追い出されるかもしれない。その恐怖と絶望が、康子さんの心を押し潰していた。
リバースモーゲージのメリット・デメリット
康子さんのような悲劇はなぜ起きてしまうのか。ここで、リバースモーゲージの仕組みとメリット・デメリットをみていく。
そもそもリバースモーゲージとは、自宅を担保に入れ、そこに住み続けながら金融機関から融資を受けることができるローン商品。毎月の返済は利息のみか、元金に組み込む形が多く、契約者が亡くなったあとに担保の不動産を売却して元金を一括返済する仕組みが一般的だ。
メリット
住み慣れた家に住み続けられるという、生活環境を変えずに済むことが最大の利点だ。また、年金のように毎月一定額を受け取ったり、必要なときにまとまった資金を借り入れたり、定期的な収入を確保できる。加えて、相続対策にも有効で、家を遺す相手がいない場合、資産を有効活用することが可能である。
一見、いいことずくめにみえるが、数多くのリスクも潜んでいる。
デメリット
康子さんのように、想定より長生きすることで融資枠を使い切ってしまうケースは想定し得る。使い切ったあとは融資を受けられず、生活が一気に困窮する。
また、金利上昇リスクも孕んでいる。多くは変動金利のため、市場金利が上昇すると毎月の利払い額が増え、融資枠を圧迫するのだ。不動産価格下落リスクもあるだろう。契約後に不動産市況が悪化し、担保評価額が下がると、融資限度額が見直され、減額されることも。最悪の場合、追加の担保や元本の一部返済を求められてしまう。
メリットにて相続対策の話を挙げたが、トラブルの火種となることもある。子どもがいる場合、将来的に家を失うことになるため、通常は契約時に「推定相続人全員の同意」が必要となっている。
なかでも最大の問題点は、不動産価格が低く見積もられるリスクである。銀行は、将来の不動産価格下落リスクや、売却にかかる経費、すぐに現金化するためのディスカウントをあらかじめ織り込むため、担保評価額を市場価格より大幅に低く設定する。一般的に、市場価格の50%〜70%程度とされることが多い。たとえば、本人が「3,000万円の価値がある」と思っていても、銀行の評価は2,000万円、融資極度額はそのさらに8割の1,600万円、といった具合だ。この「評価額のギャップ」を理解していないと、「思ったより借りられない」「こんなはずではなかった」という事態に陥る。
悲劇を避けるために
リバースモーゲージは、計画的に利用すれば有効な選択肢になり得る。しかし、それはすべてのメリット・デメリットを理解し、将来のリスクを許容できる場合に限られている。康子さんのような悲劇を繰り返さないためには、第一に金融機関、不動産業者の説明を鵜呑みにしないことが重要だ。「いいこと」しかいわない担当者も少なくない。必ず契約書の隅々まで読み込み、少しでも疑問があれば何度でも質問する。
また、契約前に、弁護士やファイナンシャルプランナー、地域の消費生活センターなど、第三者の専門家に相談し、客観的な意見を求めることが望ましい。加えて、家族(推定相続人)と徹底的に話し合うべきだろう。将来のトラブルを避けるため、必ず事前に理解と同意を得ておく。
ほかの選択肢も検討することを強く勧める。家を売却して小さな賃貸に住み替えたり、自宅を保持したまま一部を貸し出したり、などほかの資金捻出方法と比較検討するべきだろう。
人生100年時代、老後の生活設計はますます複雑化している。リバースモーゲージは、そんな時代の不安が生んだ金融商品だが、安易に飛びつけば、康子さんのように最後の安住の地さえ失いかねない。「住み慣れた我が家」という最も大切な資産をどう活用するのか。その決断は、自分自身の冷静な知識と判断、そして家族との対話のうえで下すべきである。

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