「貧困」と聞くと、食べるものにも困るような状況を思い浮かべるかもしれません。それは「絶対的貧困」と呼ばれ、生命の維持さえ困難な状態を指します。しかし現代の日本で深刻化しているのは、それとは異なる「相対的貧困」です。本記事では長岡FP事務所代表の長岡理知氏が、Nさんの事例とともに、隠れ貧困の実態に迫ります。※相談者の了承を得て、記事化。個人の特定を防ぐため、相談内容は一部脚色しています。

「絶対的貧困」と「相対的貧困」

貧困を表す言葉に「絶対的貧困」と「相対的貧困」があります。

絶対的貧困とは「人として生存する最低限の生活レベルが維持できない状態」のことを指します。つまり衣食住に事欠き、生命の維持さえ困難な状態のことです。開発途上国の貧困をイメージすると理解できると思います。これに対して「相対的貧困」とは、「ある国のなかで、所得の中央値の半分に満たない所得で生活する状態」のことです。特に日本のような先進国においては、相対的貧困の様子は特徴的です。隠れ貧困と呼ばれることがあります。

一見、スマートフォンを携帯し、分譲マンションや戸建て住宅に住み、自動車を所有し、身なりも整っているものの、実際の生活は極めて貧困というケースは少なくありません。光熱費を滞納していたり、高齢になって老齢年金しか収入がないのに住宅ローンの残債が残っていたり、実は食べるものにも事欠いていたりする状態の人がかなりの割合でいるのです。

厚生労働省による2022年の国民生活基礎調査を見ると、日本の相対的貧困率は15.4%(相対的貧困の指標となる貧困線(等価可処分所得の中央値の半分)127万円)。これはアメリカに次ぐ規模です。世帯員ひとりあたり可処分所得127万円以下で生活している世帯が、15.4%存在します。65歳以上の高齢者だけを抜き取ってみると、相対的貧困率は20%、そのうち独身の高齢女性だけを抜き取ってみると44%にも達します。

イメージと違う貧困が増えている

2025年現在、かつての富裕層が相対的貧困に落ちる状態が問題になりつつあります。高級住宅街に立派な戸建て住宅を所有しているにもかかわらず、手持ちの現金がなく、極めて貧しい生活を余儀なくされている高齢者が増えているのです。その特徴を表す言葉として「ハウスリッチ・キャッシュプア」があります。これはアメリカの不動産用語なのですが、「自宅は自己所有、しかし現金はない」という意味です。ひとつの貧困の形として捉えられています。

貧困ならば、不動産を持っているなら売れば済むじゃないかと若い人は考えがちです。確かに自宅が自己所有の場合、自宅を現金化する方法はいくつかあります。自宅を担保に融資を受け、亡くなったら銀行に譲渡するリバースモーゲージや、自宅を売却してお金を受け取り、家賃を払って住み続けるリースバックなどの新しい手段が生まれています。

しかしこの仕組みを使えばいいというのは、体力のある健康な若い人の発想かもしれません。高齢者にとっては不安が先行するのです。自分自身の価値観や家族状況、健康状態、世間体などから、リバースモーゲージリースバックを使うことに抵抗があります。

ハウスリッチ・キャッシュプアに陥るのは、現代の高齢者の「住宅に対する価値観」も影響しているでしょう。持ち家を買って一人前だとか、持ち家が住処の最終目標といった価値観は、現代の高齢者に非常に多いと思います。この価値観が老後の貧困を招いている現実があるのです。このハウスリッチ・キャッシュプアに陥ったかつての富裕層の事例をご紹介します。

夫が遺した目黒の豪邸と貯蓄1億3,000万円

<事例>

Nさん 77歳

目黒区に戸建て住宅を所有

夫は6年前に他界

就職した経験なし

老齢年金 月あたり17万円

貯蓄額 550万円

固定資産税 年間約35万円

Nさんは77歳。目黒区高級住宅街に大きな戸建ての自宅を所有しています。高い塀に囲まれ、ガレージのシャッターは開けっ放しで高級輸入車が停まっているのがみえます。このみるからに高級住宅という佇まいの家は、Nさんの夫が生前、新築で購入したものです。Nさんの夫、Kさんは大手メーカーの役員をしていました。若いころからひたむきに働き、出世の階段を昇りつめたのです。企業内の派閥争いも苛烈で、袋叩きに遭いながらも運よく役員になった人物のようです。

40代後半のときに、夫Kさんが父親から相続していた目黒区の土地に注文住宅を建てました。時代はバブル期。「土地から買うとしたらとうてい無理だった」といいますが、建物だけでも1億円という物件です。現代の相場では驚きませんが、当時としては破格の値段だったはずです。

引退時の年収は3,200万円。退職慰労金は6,000万円でした。夫Kさんの現役時代、妻Nさんは専業主婦。出世街道をひた走る夫はNさんの自慢でした。都会育ちで品がよく、仕事ができて収入も高い、そんな夫を自慢するあまり、周囲からは嫌われたこともあるようです。

妻Nさんはいつのころからか、見栄っ張りの性格が際立つようになりました。浪費が目立つようになり、質素だった家具や食器を高級品に替え、ファミリーカーだった自家用車を高級輸入車にし、高級百貨店以外では服を買わなくなりました。

その一方で夫の部下に横柄な態度を取ることもしばしば。夫の部下に「私の夫のためにあなたたちも頑張りましょうね」などといって、社内で一気に悪い評判が広がったこともあります。夫の部下が自分の召使いであるかのように勘違いしたのでしょう。

Kさんは現場主義の真面目な役員でした。長年の社内政治のストレスのせいでしょうか、70歳で引退した直後にガンがみつかり、その2年後には亡くなってしまいました。保険嫌いだったため死亡保険金はありませんでしたが、貯蓄は1億3,000万円が残されました。住宅ローンが高額であったこと、子供2人の留学費用がかさんだこと、所得が大きく増えたのは引退前の数年であることなどから、退職金を含めても貯蓄はさほど多くありませんでした。

Kさんの遺産の相続について、当初は息子2人が「お金には困ってないから母さんがすべて相続するといいよ。母さんが亡くなったときに残っていたらそれを僕らでわけるから」といっていました。しかし、それぞれの配偶者が強硬に反対したらしく、当初は法定相続分での相続をすることに。しかし自宅の評価額が高すぎ、法定相続分で分割すると自宅を相続する妻Nさんに現金が残らないことが判明。子供たちには法定相続分よりも少なく分割することにしました。それでも妻Nさんの相続財産は自宅と現金4,000万円でした。

4,000万円を湯水のように使う妻

金融庁の試算によると、老後に必要な貯蓄額は2,000万円とのことです。しかし妻Nさんの生活スタイルでは到底足りません。

妻Nさんは夫亡きあとも生活レベルを下げることができませんでした。孫の進学祝いや就職祝いとして高級ホテルでの食事会を開いては全額負担したり、自分の洋服を変わらずに高級百貨店で揃えたりと、現金が減っていくことに意識が向いていませんでした。

自宅の修繕費や維持費も相当なものです。屋根や外壁の塗装、エアコンや給湯器の交換、固定資産税、庭木の剪定、火災保険など、あらゆるものが高額です。トイレやお風呂も交換時期に入っています。

挙句の果てには、自宅のガレージに入ったままの高級輸入車を処分しないばかりか、さらに新しい車を買ったのです。妻Nさんは運転免許を持っていないにもかかわらずです。さすがに見栄だけで浪費はやめたほうがいいと子供たちは忠告しましたが、「お父さんの残した家が落ちぶれていくように見えて嫌」といいはじめ子供たちは渋々認めました。

ようやく現金が減っていることに気づいたものの、運が悪く、知人だという自称金融業者の若い男性が架空の投資話を持ち掛けたのです。運用すれば1年で倍になると誘われ、世間知らずの妻Nさんは1,000万円を渡してしまいました。

当然ながら連絡がつかなくなり……。子供たちが気づいて警察に被害届を出したものの、お金が戻って来る可能性はほとんどないとのこと……。

それでも子供たちには「まだお金は大丈夫だから」と説明しましたが、残っている現金はわずか数百万円のみ。収入は老齢年金と遺族年金の月17万円です。固定費が大きすぎてその収入と貯蓄では生活していくことがきません。

自宅を売却することを勧めたものの

この状態で妻Nさんは一人でFPに相談することに。

「金融詐欺に騙されたばかりなのに、また見ず知らずのFPに相談するのはあまりよくないことですよ」とFPが諭すものの、妻Nさんは必死。FPからは今後の対策として次のような選択肢を提案されました。

・子供たち2人から生活支援を受ける

・自宅を売却して高齢者マンションに引っ越す

これを聞いた妻Nさん、「子供に自分が困っているとバレるのは嫌です。墓場まで持っていく覚悟ですよ。あの怖い息子の嫁がなにをいうことか……」といいます。では、リバースモーゲージなどを使って現金を調達する方法はどうかと提案したところ……「自宅は長男に相続する約束をしているため、動かせません」と答えるのです。

「自宅は非常に高額で売却できる可能性があります。老後資金には十分でしょう。これは恵まれているといえます。高齢者マンションに引っ越すと安全で快適に暮らせますよ」とFPがいいます。「それに、現金も生命保険もない状態では、自宅を長男に相続すると次男の遺留分を侵害してしまうことになります。お子様2人はお母様に現金が残っていると思い込んでいるのではないですか?」どうやら、現金がないことを子供たちに告げるつもりはないようです。

ランニングコストが高すぎる自宅を所有していると、いくら節約してもわずかな年金と貯蓄では生活は回っていきません。自宅の所有にこだわるのは早くやめたほうがいいのですが、説得しても妻Nさんは受け入れる気はないようです。

しかし今後、介護や大病のリスクを大きくなっていき、現金はさらに必要になるはずです。子供たちと率直な話し合いをして、自宅を売却するか生活支援を受けるかを決めるようにアドバイスしたものの、自動車の売却さえしていない状態のまま先送りの状態ですが、破綻まで残された時間は長くありません。

時代とともに変わった「自宅」の価値

事例のNさんの場合は、自宅の市場価値が高いため、決断さえできれば深刻な貧困を避けることができます。しかしこれが地方在住の方の場合はどうでしょうか。

特に地方在住の富裕層の方の場合は、自宅の土地に高い価値がないことが多いでしょう。豪邸になればなるほど売れないのが地方の現実です。事例では子供世代が実家を欲しがっていましたが、地方では子供世代はもらわないように必死に避けるものです。まさに自宅が負の遺産となっているのです。

ハウスリッチ・キャッシュプアの状態は、高齢者だけではなく、現役世代にも顕著です。高額な住宅ローンを借りて自宅を購入したものの、現金での貯蓄がない状態では、家計のキャッシュフローはいずれ破綻するでしょう。定年退職時に貯蓄よりも負債が多い状態で、市場価値の低い物件を所有している場合は、高確率で相対的貧困に陥っていきます。

人口が減少していく日本社会では、たとえ高所得者であっても、自宅を所有すべきかどうかは専門家による家計診断を受けて判断することをお勧めします。

長岡理知

長岡FP事務所

代表

(※画像はイメージです/PIXTA)