
※本稿は、堂本かおる『絵本戦争 禁書されるアメリカの未来』(太田出版)の一部を再編集したものです。
■禁書運動は、黒人史から「LGBTQ」へと波及
批判的人種理論へのアンチとして保守派が始めた黒人史をテーマとする書籍の禁書運動は、すぐさまLGBTQにまで対象が広がっていった。
LGBTQとは、レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)、クエスチョニング(Questioning)またはクィア(Queer)の頭文字をとった言葉で、その他さまざまな性的マイノリティを含む総称として使われている。性的マイノリティには他にもアセクシュアル(Asexual)、ノンバイナリー(Non-binary)、パンセクシュアル(Pansexual)などさまざまあり、LGBTQ+、LGBTQA+などと表されることもある。なお、本書では性的マイノリティ全般を指してLGBTQと表記することとする。
アメリカにおけるLGBTQに対する不寛容の理由は、おもにキリスト教に基づく。米国は人口の7割がキリスト教徒であり、非常にキリスト教色の強い国だ。キリスト教には多くの教派があるが、米国における最大多数派はプロテスタントの福音派、次いでカトリックだ(※1)。
※1 https://www.pewresearch.org/religious-landscape-study/database/(2024年12月20日最終閲覧)
■LGBTQや同性婚を受け入れないキリスト教徒
福音派は聖書の教えを重視する。そして旧約聖書の「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記 1:27)という記述から、性別は男女のふたつのみであること、また男女のペアによる生殖を非常に尊ぶ。そのため、LGBTQを受け入れない信者は多い。
福音派は信者の多さから教会には絶大な力があり、政治にも深く関与する。こうした宗教右派は中絶や同性婚への強い反対を示し、それらを政治的に制限しようとする。
また、カトリックもLGBTQへの忌避は強い。たとえば、ニューヨーク市では毎年6月に世界最大規模のLGBTQイベントであるプライド・パレードが行われる。パレードでは、700以上ものLGBTQのグループが思い思いのカラフルな衣装でマンハッタンをマーチし、その観衆は200万人を超える。一方でニューヨークはカトリック教徒の多い都市でもある。
毎年3月に、同じくマンハッタンでアイルランド系住民がカトリックの聖人を祝う、聖パトリック・デイのパレードが行われるが、2015年までLGBTQグループの行進は許されていなかった。さらにニューヨーク市内でもっとも共和党支持者の多い地区スタテン島で開催される聖パトリック・デイ・パレードにLGBTQグループの参加が認められたのは、2024年だった。
■2015年に同性婚を合憲としたアメリカ最高裁
もっとも、信仰の篤さは人によって異なる。また、LGBTQに関する考えもさまざまで、LGBTQ当事者にもキリスト教徒は多くいる。キリスト教徒であるからといってLGBTQに不寛容とは限らない。
アメリカ最高裁判所は2015年に同性婚を合憲とした。これはアメリカにおけるLGBTQ運動の歴史に大きな足跡を残すものだ。しかし、トランプ政権第一期に保守派の最高裁判事の任命が続き、続くバイデン政権で米国初のオープンリー・ゲイかつ同性婚者の閣僚となったピート・ブティジェッジ運輸長官(民主党)は、合憲の裁定が覆される可能性を示唆した。
最高裁判事は終身制であり、多くの場合は高齢による引退が起こると大統領が指名、上院が承認することによって新たな判事が決まる。判事は9名で、リベラル派と保守派のどちらが多数を占めるかで、判決に大きな影響が出る。トランプは第一期政権時に3名の保守派判事を指名、バイデンはリベラル1名を指名。
現在の最高裁判事は保守6名/リベラル3名と大きく保守に傾いている。ブティジェッジはこのことを懸念していたのだ。さらにリベラル3名の中に高齢のソーニャ・ソトマイヨール判事が含まれており、トランプ政権第二期で保守派の判事がさらに増える可能性もある。
■トランスジェンダーの下院議員がされたこと
バイデン大統領は、2022年に同性婚などの権利を保護する「結婚尊重法」に署名。これにより同性婚は立法化され、最高裁で覆されることはなくなった。
2024年には初のオープンリー・トランスジェンダーの下院議員としてデラウェア州選出のサラ・マクブライド(民主党)が当選。するとサウスカロライナ州選出の下院議員ナンシー・メイス(共和党)が、連邦政府敷地内のトイレを、出生時に割り当てられた性別と異なる者が利用することを禁ずる法案を提出した。トランスジェンダーのトイレやスポーツに関する問題は近年、大きく取りざたされているが、このような法案が出されたことは、今後大きな影響を与えるだろう。
こうした社会的、政治的な背景もあり、LGBTQ関連の書籍や絵本を学校から排除する運動が起きた。わけてもトランスジェンダーを描いた本の禁書が目立つ。ただし、本書で取り上げるのは幼児が対象の絵本であり、公共の場での問題であるスポーツやトイレの話は出てこない。LGBTQの家族や、ごく幼い時期の性自認にまつわる物語となっている。なお絵本ではLGBTQではなく、プライド(Pride)が使われることが多い。
■ママ、もしくはパパがふたりいる家庭の描写
幼児が対象である絵本において、LGBTQ関連の作品には2つの大きなサブカテゴリーがある。両親が同性愛者、つまり「ママ、もしくはパパがふたり」の家庭描写と、子どもの性自認の物語だ。
10代となって性自認が揺れる様子や、性的指向を強く自覚し、恋愛をし、他者の偏見や社会の規範と戦う姿も描かれるヤングアダルト作品とは異なり、おもに幼い子どもが主人公となる絵本では性愛を描くものはない。
多くの場合、子どもにとって両親は人生で最初に出会う、もっとも重要にして親密な関係を築く相手だ。とくに物心もつかない月齢や年齢の子どもには親の外観も性別も性的指向も、その他の属性も一切関係なく、自分を100%愛し、育ててくれることだけが意味を持つ。
■『My Moms Love Me』(私のママたちは私を愛している)
『私のママたちは私を愛している』は、性別が示されない赤ちゃんの一人語りによる物語だ。朝起きてから夜眠るまでの、母親2人に存分に愛されて育つ赤ちゃんの一日が、柔らかな暖色のイラストによって描かれている。
朝日の中でママとマミー、2人の母親にあやされ、離乳食を食べている。3人でピクニックに出掛け、農場のかわいいブタの親子と触れ合い、親子で踊る。帰宅の車中では3人で歌い、家に着いたらお風呂の時間。夜は嵐になるものの、ママたちがいるから安心していられる。やがてベッドタイムとなり、絵本を読んでもらって眠りにつく。ママとマミーは赤ちゃんを挟んでいつも微笑んでいる。
両親が同性愛者の子どもも、そうでない子どもも、各ページから溢れ出るあたたかい愛に、この一家は両親と赤ちゃんの3人で家族というひとつの単位なのだと知る。
■『All Are Welcome』(みんな歓迎)
「ママ、もしくはパパがふたりと子ども」を主人公とする絵本は他にも多種出されている。『My Two Dads and Me』(私の二人のダッドと私)、『Heather Has Two Mommies』(ヘザーには二人のマミーがいる)、『Daddy, Papa, and Me』(ダディ、パパ、そしてボク)など、両親が男性/女性の同性愛者、両親の人種が異なる、親子の人種が異なる、子どもの年齢がもう少し年長など、さまざまなバリエーションがある。
いまや絵本は多様化の描写がスタンダードとなっており、教室や街中など多くの子どもや大人が描かれるシーンではさまざまな人種・民族、宗教装束、身体障害者などが描かれている。
高い評価を得てニューヨーク・タイムズのベストセラーとなり、全米教育協会の推薦図書リストにも掲載されている『みんな歓迎』は、いたってシンプルな内容だ。小学校の初日に子どもたちが保護者に連れられて登校する。子どもたちは校庭でのサッカー、音楽の時間、お絵描きの時間、先生が本を読んでくれる時間を経てランチタイムを迎える。やがて下校時刻となり、迎えにきた親とともに帰宅し、また明日……。
■深い憂慮を感じざるを得ない教育委員の発言
楽しいのは、目を凝らせば凝らすほど、たくさん描かれている子どもと大人たちの中に多様性を見出せることだ。さまざまな人種だけでなく、ヒジャブを被ったイスラム教徒の女の子、ヤムルカと呼ばれるユダヤ教徒の小さな帽子を被った男の子、ターバンを巻いたシク教徒のお父さん、メガネをかけた子、双子の女の子、車イスの子、白杖をついた子、白人のお母さんと黒人の女の子、アジア系のお母さんと白人のお父さん……。絵本のカバーを裏返せば、そうした子どもたち全員が描かれたポスターになっている。
読み手の子どもたちは自分に似た子ども、友だちに似た子ども、まだ出会ったことのない子どもたちを、きっとそこに見つける。
この絵本がペンシルバニア州のある学区で禁書とされた理由は、描かれている両親の中に「女性2人」「男性2人」のカップルが含まれていることだった。加えて、同学区の教育委員会メンバーである男性は「合法的な移民と外国人侵略者の区別がない」とも語っている。
作中には、授業の一環として子どもたちが世界地図を見て自分がどの国から来たかを指差すシーンがある。6人の子どもたちはそれぞれ中米、南米、アフリカ、オーストラリア、インドネシア、そして日本を指している。この絵から合法移民と不法滞在者、まして存在しない「外国人侵略者」を特定することは不可能であり、そもそもその必要性はない。こうした思考を持つ人物が教育委員会に在籍し、禁書の決定を下していることに深い憂慮を感じざるを得ない。
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ライター
大阪出身、ニューヨーク在住。CD情報誌の編集を経て1996年に渡米。ハーレムのパブリックリレーション会社インターン、学童保育所インストラクターを経てライターとなる。以後、ブラックカルチャー、移民/エスニックカルチャー、アメリカ社会事情全般について雑誌、新聞、ウェブに執筆。
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