
1954年、イタリア南部パエストゥムで発掘された地下神殿の中から、青銅の壺に残されたオレンジ色の粘着物が見つかりました。
学者たちは「これは神に捧げられた供物の名残ではないか」と推測しつつも、その正体は70年にわたり解明されないまま放置されてきました。
しかし最近、英オックスフォード大学(University of Oxford)の研究で、この「神への捧げ物」の正体がついに明らかになりました。
その正体は私たちも日常的によく食べる「ハチミツ」だったとのことです。
研究の詳細は2025年7月30日付で科学雑誌『Journal of the American Chemical Society』に掲載されています。
目次
- 青銅壺に残された「謎の物質」
- ハチミツの「分子の指紋」が2500年後に浮かび上がる
青銅壺に残された「謎の物質」
紀元前6世紀、現在のイタリア南部カンパニア州にあたるパエストゥムは、ギリシア人によって築かれた植民都市でした。
その地に建てられた地下神殿では、8つの青銅製の壺が空の鉄製ベッドの周囲に円を描くように並べられていました。
これらの壺には、かつて粘性のある液体が注がれており、その一部は外側にもこぼれていた痕跡がありました。
考古学者たちは、これが「ハチミツを神への供物として捧げたものではないか」と推測しました。
当時のギリシア神話では、神ゼウスが幼少期にハチミツを食べて育ったという伝承があり、ハチミツは「不死の象徴」とされていました。
しかし1970年代から1980年代にかけて行われた複数の科学分析では、壺の中から糖類は一切検出されず、動植物性の脂肪やロウに近い成分が主体であると報告されてきました。
ところが2019年、オックスフォード大学が壺の残留物を展示のために受け入れたことが転機となりました。
研究チームは残留物の中心部を丁寧に採取し、現代の最先端技術を用いて再調査を開始したのです。
ハチミツの「分子の指紋」が2500年後に浮かび上がる
今回の再分析では、赤外分光法(FTIR)や熱分離型GC-MS、陰イオン交換クロマトグラフィー(AEC-MS)、さらにはタンパク質を分解して解析する「ボトムアップ型プロテオミクス」など、複数の手法が組み合わされました。
その結果、現代のミツロウやハチミツと非常によく似た化学的特徴が、壺の残留物から確認されました。
特に決定的だったのは、ハチミツに特有の「ヘキソース糖」が高濃度で検出されたこと、そしてローヤルゼリーの主要タンパク質(MRJP1・2・3)が検出されたことです。
これらのタンパク質は、セイヨウミツバチ(Apis mellifera)由来であることも突き止められました。

さらに銅製の壺内での化学反応により、ハチミツ中の糖が「フラン類」と呼ばれる耐久性の高い成分に変化し、保存されていたことも明らかになりました。
銅イオンが微生物の活動を抑え、糖の分解を防いだ可能性があるのです。
また、残留物にはハチの巣(ハニカム)そのものが供えられていたとみられ、焼けた砂糖のようなにおいを放つ褐色のフィルムも検出されました。
これは加熱や経年劣化によって糖がカラメル化したことを示しており、「焼けたハニカム」のような状態に変質していたと考えられます。
長年、謎に包まれてきた「神への捧げ物」の正体は、科学の力によってついに明かされました。
かつての祈りが込められた甘い黄金――それは腐ることなく、神殿の壺の中で2500年の時を静かに待ち続けていたのです。
Mysterious 2,500-Year-Old ‘Gift to The Gods’ Finally Identified
https://www.sciencealert.com/mysterious-2500-year-old-gift-to-the-gods-finally-identified
Is this what 2,500-year-old honey looks like?
https://www.eurekalert.org/news-releases/1092229?
元論文
A Symbol of Immortality: Evidence of Honey in Bronze Jars Found in a Paestum Shrine Dating to 530–510 BCE
https://pubs.acs.org/doi/10.1021/jacs.5c04888
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
ナゾロジー 編集部

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