現在では「自由と平等」を標榜するアメリカ合衆国だが、1640年代から1865年まで、アフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化されていた。19世紀前半のアメリカの富は黒人奴隷の労働の搾取に負うところが大きかったのは歴史上の事実である。

 人間が商品として売買され、人として扱われなかった事実からアメリカ人は目を背けてはならない。そのことを伝える写真と資料がアメリカのサイトで公開されていた。

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1.奴隷は、船にぎゅうぎゅう詰めにされアフリカ大陸から運ばれた。

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2.奴隷船内部の“積み込みプラン”。隙間なく並べられているのはすべて人間だ。

3.アメリカに到着すると、男も女も子どもたちも競りにかけられた。多くの場合、家族は散り散りになった。

「奴隷大セール」1855年1月10日 ・20~26歳までの頑健な男3人、・42歳の女、名前サリー、料理上手、・23歳の女、名前リーズ、6カ月の子どもあり、・12歳から20歳までの若い男17人 など

4.プランテーションや家庭に売られた奴隷たちは、ひどい扱いを受け、祖末な小屋に大勢で寝泊まりし、日中は炎天下の長時間労働を余儀なくされた。

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5.

6.奴隷が逃亡を図ったときには、すぐさま令状や懸賞金が出され、犬を連れた男たちの一団が彼らを追跡した。

懸賞金100ドル、17歳の黒人女性エミリーが逃亡したことを伝えるポスター。

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懸賞金200ドル、“ニグロ”5人(40歳ぐらいの夫と30歳ぐらいの妻、その3人の子どもたち)が逃亡したことを伝えるポスター。

7.1863年1月1日に発布された奴隷解放宣言のもと、アメリカは奴隷を自由にするための一歩を踏み出した。しかし、さまざまな不公平は現在にいたるまで続いている。

via:viralnova[https://web.archive.org/web/20150313134636/http://www.viralnova.com/americas-horrific-past/]・原文翻訳:mallika

 ちなみに日本での人身売買に関する最古の記録は『日本書紀』676年(天武天皇5年)の売買許可願いである。下野の国司から凶作のため百姓の子どもの売買の申請が出され、不許可となっている。しかし、この許可願いの存在から、それ以前の売買の存在が推認されている。

 大宝律令・養老律令でも禁止はなされていたが、密売が行われていた。また奴婢の売買は公認されていた。人買いの語が多く見られるのは鎌倉時代、室町時代である。「撰集抄」には幼童、青年、老人さえ金で売られることが記され、「閑吟集」には「人買船は沖を漕ぐ、とても売らるる身ぢやほどに、静かに漕げよ船頭どの」という歌がある。

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 謡曲では「隅田川」「桜川」などが、古浄瑠璃の山椒大夫とともに有名である。戦国時代、安土桃山時代には、多くの日本人が、大名やポルトガルを始めとするヨーロッパ商人たちによって、奴隷として世界中に売り飛ばされていた。これが豊臣秀吉によるバテレン追放令や、江戸幕府による鎖国体制の原因の一つになったとも言われる。

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