詳細画像はこちら

昔は失敗続きだった中国ブランド

中国の吉利汽車は最近、英国で自社ブランド(吉利)の販売を開始すると発表した。当初の計画より10年以上遅れてのことだ。

【画像】スロバキアでのみ販売された中国車【クオロス3を詳しく見る】 全11枚

AUTOCARが初めて吉利を取り上げたのは2004年、中国の新興市場と産業に関するレポートの中でだった。吉利初の市販車である『ハオチン』は、当時中国で最も安価なクルマだった。驚くことに価格は2400ポンド(約48万円)相当だが、装備は極めて簡素で、旧型のダイハツ・シャレードをベースにしていた。

詳細画像はこちら
吉利が英国投入を計画していた『エムグランドEC7』

2年後、吉利は英国に本拠を置くマンガンブロンズ・ホールディングス(MBH)と合弁会社を設立。上海でロンドン名物のブラックキャブ『LTI TX4』を生産し、中国のタクシー運転手を使い古されたフォルクスワーゲン・ジェッタやサンタナから引き離す計画だった。

上海モーターショーでは金色に塗装したX4を展示するなど、アピールに力を入れたが、この計画はうまくいかなかった。現地のタクシー運転手にとって高価だったこと、そして中国都市部でディーゼルエンジンが規制されたことが原因だ。

2011年末、財務状況が悪化したMBHは英国での吉利車の販売に乗り出す。最初に投入しようとしたのは『エムグランドEC7』だ。Cセグメントに相当するサイズでありながら、わずか1万ポンド(約200万円)というBセグメント車並みの価格設定がウリの、地味なハッチバック/セダンだった。

MBHは40店舗の販売網構築を計画し、当時CEOのジョン・ラッセル氏はこう述べた。「キアとヒョンデは英国で成功した。当社も吉利と協力すれば同様の成功を収められる」

同氏はさらに、今後5年間で毎年新型車を投入していくと付け加えた。次のモデルはフォード・モンデオに対抗する『エムグランドEC8』、続いて小型MPV、小型SUV、そして「中国人の実験的スピリッツを強調するモデル」が予定されていた。

おそらくラッセル氏は『グリーグル・パンダ(Gleagle Panda)』という小型車のことを示唆していたのだろう。もしそうなら、英国人は皆感謝すべきだ。その大きな目とぽかんと開いた口は、心臓の弱い人には耐えられないものだったから。

AUTOCARの中国担当記者は2012年初頭にエムグランドEC7を試乗し、硬くて安っぽい内装、燃費が悪くてパワー不足の1.8Lガソリンエンジン、ぎこちないマニュアル・トランスミッション、柔らかい乗り心地、軽いステアリングをレポートした。ただ、まあ、価格は1万ポンド程度だ。

しかし、2012年10月、MBHは390万ポンド(約7億8000万円)の赤字を抱えて経営破綻した。2007年以降、利益を上げることができていなかったのだ。

すでに同社の株式の20%を保有していた吉利は、タクシー製造子会社のLTIを救済し、英国への自動車輸出計画を断念した。これはブラックキャブの開発に専念するためだったのか、将来の英国進出に向けたブランドイメージ保護のためだったのか、筆者にはわからない。

もしかしたらその両方だったのかもしれないが、上海汽車(SAIC)が英国でのMGブランド再建に要した膨大な時間を考えれば、賢明な判断、少なくとも幸運だったと言える。

安全性や品質問題に直面

実は、英国進出が見込まれていた最初の中国ブランドは吉利ではなかった。2006年、スバルの輸入業者であるインターナショナル・モーターズ(IM)は「複数社」と交渉しており、最有力候補は奇瑞汽車とされた。奇瑞もまた、20年を経てようやく英国進出を果たそうとしている。

同時期、ランドウィンド(後にレンジローバー・イヴォークの模倣で悪名を馳せる)は、時代遅れな外観のSUV『X-ペディション』で欧州型式認証を取得した初の中国ブランドとなった。

詳細画像はこちら
ランドウィンドの『X-ペディション』は安全性が疑問視され、販売中止となった。

欧州担当取締役のポール・ウィリアムズ氏は約1万5000ユーロ(約260万円)で販売する意向を示し、英国市場も視野に入れていることをほのめかした。しかし、X-ペディションは衝突安全試験で恐ろしい結果を出し、即座に販売中止となった。

ほぼ同時期に、ブリリアンス(Brilliance)の『BS6』というセダンもまったく同じ運命を辿った。このモデルはBMWの中国合弁パートナーとして設立された企業によるものだった。

はるかに有望だったのはクオロス(Qoros)だ。奇瑞汽車イスラエルの国営投資会社が欧州市場向けに立ち上げたブランドで、「戦略的アウトソーシング」に基づいた計画を練っていた。

AUTOCARが2014年末にフォードフォーカスのライバルとなるセダン『クオロス3』を試乗した際、「同セグメントで最高クラスのクルマに匹敵する」と評価したが、販売はスロバキアのみに留まった。クオロスは3年後、為替レートを理由に販売拡大計画を中止した。

同じく2014年、長城汽車はハヴァル(Haval)ブランドの英国市場投入を検討した。しかし、発売直後に品質問題が発覚し、SUV『H8』の生産を一時停止せざるを得なかった。だが今では、『ジョリオン・プロ』という小型SUVを販売している。


■解説の記事
20年前、中国車の欧州進出はうまくいかなかった 試行錯誤と失敗 英国記者の視点
進化を続けるシートベルト ボルボの次世代安全装備 衝突時の状況に応じて自動調整
カスタムカー界隈で話題の解体場で見つけた貴重な「廃車」 20選 ジャンクヤード探訪記
米国で最も革新的だった自動車メーカー パッカードの興亡(後編) 戦争と合併、そして終焉

20年前、中国車の欧州進出はうまくいかなかった 試行錯誤と失敗 英国記者の視点