ライフを犠牲にしたハードワークの行き着く先は何なのでしょうか? 国のトップによるメッセージに込められた空疎な熱意の正体を考えます。

◆「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる」発言が波紋

 自民の高市早苗総裁の「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる」との発言が波紋を広げています。

 国家のために私心を犠牲にして働くことを誓う意図があったものと思われます。ところが、これが社会全体で労働環境の改善に取り組む時代に逆行していると批判を集めているのです。

 10月6日には、『過労死弁護団全国連絡会議』も「政府が推し進めてきた健康的な職場づくりを否定し、古くからの精神主義を復活させるもの」との声明を発表し、発言の撤回を求めています。

 ネット上でも、“トップ自ら休みなく働くと言われたら、下の者もそうせざるを得なくなる”と懸念する声が多く見受けられました。

 一方で、高市総裁の思想や政治信条に共鳴する人たちや、起業家やインフルエンサーからは賛同する声が上がっています。“高市さんのような気合いのある人が少なくなったから日本がダメになった”とか、“国民にもそうしろと言っているわけじゃなくて、それぐらいの覚悟があるということ”と、新総裁にエールを送っていました。

◆賛否の根底にある“共通の構図”

 高市総裁の思想的な立場もあり、ネット上では賛否双方が激しく対立している状況です。しかし、お互いの意見には共通点もあります。過酷な労働とクオリティ・オブ・ライフがトレードオフの関係にあると見ている点です。

 つまり、高市総裁の発言に否定的な人たちは、過剰な労働によって良質な人生が失われてはいけないと主張する。高市総裁に共感する人たちは、良質なプライベートライフを追求することを多少犠牲にしてでも仕事に付加価値を与え、成長し続けることこそが豊かな国家の建設へとつながっていくと考えている。

 仕事を必要悪の負荷や修行ととらえるか、人生で至高の使命と捉えるかの違いがあるだけで、実は表裏一体の関係だと見ている点では同じだと言えるでしょう。

◆仕事に熱中していれば、自分自身と向き合わずに済む

 しかしながら、このように仕事(ワーク)の存在や役割を過大評価することに疑問を投げかけた人がいました。精神科医の神谷美恵子氏です。彼女の代表作『生きがいについて』で、こう書いています(以下、太字部引用)。

<男のひとは一応まともな職業につき、家族を養うことができれば、自分の生活は生きるに値するものと心のどこかで簡単にかたづけてしまうし、女のひとはなお一層そぼくに、一応平和な家庭を営み、家族そろって健康で仲よく暮せれば、その中心である自分の存在意識を十二分に感じてやすらっている。男のひとにしても女のひとにしても、単に社会的な役割を果たすだけで人間の生存意識のすべてがみたされるかどうか、一個の独立人格としての存在理由は何か、というような問いは意識にのぼらないのが一般であろう。それは一種の防衛本能のようなものかも知れない。なぜならば、うっかり本気でこういう問題に立ちむかうならば、今まで安全にみえていた大地に突然割れ目ができ、そこから深淵をのぞきこむような不安や不気味さにおそわれる恐れがあるからである。>(pp.30-31)

 これは、仕事なり社会や他人に説明のつく役割なりをしている方が、自分自身のことを深く考えずに済むから楽だということです。しかし、仕事をしている間はそれでやり過ごせても、自分自身とは何かという決定的な問いを先延ばしすることでもあるから、仕事の価値を高く設定して生きることは、非常に危険なことだと言っているのです。

 その裏返しとして、仕事に対する熱っぽくも無節操な信仰が生まれるわけです。

<社会的にどんなに立派にやっているひとでも、自己に対してあわせる顔のないひとは次第に自己と対面することを避けるようになる。心の日記もつけられなくなる。ひとりで静かにしていることも耐えられなくなる。たとえ心の深いところでうめき声がしても、それに耳をかすのは苦しいから、生活をますます忙しくして、これをきかぬふりをするようになる。>(p.40)

◆本当に“致命的なミス”だったのは…

 高市総裁の発言に共感している人たちに刺さるのではないでしょうか。あえて汚い言葉で言うならば、あんまり仕事仕事エラそうに言ってんじゃねえよ、という話だからです。スケジュールの空白を恐れ極端に仕事を詰め込んで忙しくしていることが一体何を意味しているのか、という問いも生むでしょう。

 だから、党員に対して発破をかけるためのただの比喩だったとしても、「馬車馬のように働いていただく」との言葉が国民の耳に届いてしまった意味は大きいのです。

 それを美徳として考えている、その前提が高市総裁に根付いていることが印象づけられたことこそが、致命的なミスなのです。

 さて、高市総裁に続いて挨拶をした石破茂前総裁が「大丈夫かいな?」と、冗談っぽくツッコんだ場面がありました。

 しかし、いまだ反響が止まない状況を見ると、どうやら冗談では済まなさそうです。

 保守的な思想ゆえに、多様性の時代の傾向に異を唱えたかった思いもあったのでしょう。しかし、その発想こそ反動というもの。

「馬車馬」発言は、高市総裁の掲げる“保守”に大きな疑問を投げかけたのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

会見する自民党の高市早苗新総裁 写真/産経新聞社