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不在となっていた三笠宮家の当主に彬子さまが決定し、「女性宮家ではないのか」「女系天皇につながる恐れがあるのではないか」とする声も聞こえてくる。しかし、「皇室の伝統を正しく理解すれば、『女性宮家』だからと一律に反対するのは適切ではない」と話すのは皇室史学者の倉山満氏だ。皇室を守るためには、杓子定規に先例を当てはめることではなく、大枠を守りながらも時代に応じた知恵が必要なのである(以下、倉山満氏による寄稿)。
◆先例とは杓子定規に再現し続けるものではない
皇室を語る際に最も大事な基準は、何か。先例である。先例の積み重ねで、伝統になる。我が皇室の伝統は、世界最長不倒の2685年を誇る。先例がどうでも良いなら、共和制にでもしたらよかろう。そんなに合理性が大事なら、世襲のような不合理など続ける必要はない。
ただし先例とは、何も考えずに、杓子定規に再現し続けるものではない。そんなことは、人間界において不可能だ。だから何が吉例かを、常に考えねばならない。そして時代に合わせて准じて変えて、大枠を守る知恵を出し続けてきたから、皇室は続いてきたのだ。考えなしに先例墨守したのではないと同時に、伝統の大枠を壊さなかったから、今日まで続いてきたのだ。
◆近代法を考えなしに、皇室に当てはめる愚
皇室において、先例は吉。新儀は不吉である。そういう世界だ。
一見、その時点で合理的に見えても、本当に合理的かどうかはわからない。一時の多数決など、しょせんは歴史の中では少数派である。だから、歴史の中に知恵を求めてきたのが、皇室の在り方だ。
ここで気をつけねばならないことがある。近代法を考えなしに、皇室に当てはめる愚である。皇室は西洋の衝撃に耐え、日本国憲法とも共存してきた。しかし、皇室の藩屏(はんぺい)たる人々の中でも、西洋由来の近代法と皇室法が真逆の発想であると知らず、意識できない人が多い。
近代法は、理念(つまり法律に書かれた条文)に現実を合わせる。たとえば、「この場所に入るな」と法律の文字で決めて、すべての人を従わせる。一方、皇室法は事実に理念を合わせてきた。
◆長い時間をかけて定着した「人臣皇后」
例えば、古代から長い時間をかけて「人臣皇后」「女院」が定着してきた。本来の皇族は皇親(女性の場合は皇女)と言って、天皇の血を引いていなければならなかった。それどころか、近親結婚しか許されなかった。その弊害に気付いた古代日本人は、人臣皇后を常例とした。常例となったのは、平安初期の嵯峨天皇の時代である。その後、皇室に嫁いだ女性は皇族の様に扱われるようになった(ただし生まれながらの皇女とは区別される)。その中で、女院の称号を得た女性もいた。院とは本来、皇族にしか使われない文字である。
このような歴史があり、明治になって「女性は結婚により皇族となれる」と成文法で定めた。事実の追認である。明治政府が勝手に「一般女性も結婚により皇族となれるようにしよう」と決めたのではない(そんなことをしたら、間違いなく大騒動になった)。
以上を前提として、最近の三笠宮家の当主決定に関し、世の議論で誤解があるようなので、正しておく。
◆彬子さまが当主となる三笠宮家は「女性宮家」か
三笠宮家は初代当主の崇仁親王の薨去後、妻の百合子殿下が当主を務めてこられた。お二人の息子の寬仁親王は先立ってしまわれた。先般、百合子殿下が薨去され、当主が不在であったが、孫の彬子女王殿下が第三代当主となることが決まった。寬仁親王の妻の信子殿下は、三笠宮寬仁親王妃家を設立、当主となられることとなった。
ここで曰く、「女性宮家ではないのか」「親王妃家は新儀ではないのか」と。素朴な疑問なので、答えておく。
そもそも、女性宮家の公式の定義はない。あえて言うなら、「女性皇族が当主である宮家」か。
初例は、幕末から明治にかけて淑子内親王が当主であった、桂宮家とされてきた。不幸にも、一代限りで絶えてしまったが。
◆「女性宮家」全部に反対するのは、如何なものか
桂宮家を「女性宮が当主であっただけで女性宮家ではない」と強弁する向きもあるが、では何が女性宮家なのか。「女性宮家を認めると女系天皇につながる恐れがあるから反対だ」とする気持ちは分かる。確かに女性宮がパンピーの男と結婚し、その子が皇族となれば、天皇になれる。それは女系天皇であり、日本の歴史に一度も先例がない事態だ。
ただ、「女性宮家」と名がつけば全部反対するのは、如何なものか?
三笠宮家は百合子殿下の時代から、女性宮家であった。しかも百合子殿下は、民間人出身(旧姓高木)。百合子殿下は宮号こそなく、皇女ではなかったが、皇族であった。皇族を当主とする宮家なので、女性宮家ではないか。
◆パンピーの男を受け容れないのが皇室の伝統
このたび、崇仁親王と百合子殿下の孫娘にして、寬仁親王と信子殿下(旧姓麻生)の娘の、彬子女王が当主となられた。彬子殿下は宮号こそないが、男系女子の皇女様である(皇親の女性)。
これを女性当主から女性当主への継承だから、女系継承ではないかと考える向きもある。その通り。何が問題か。皇室は神話の時代から女性を受け容れてきた。皇女たらざる皇族の百合子殿下から、皇女たる皇族の彬子殿下に宮家が継承された。
これで伝統は、何も壊れていない。三笠宮家の事例で、パンピーの男を皇室に受け入れていないからだ。神話以来、一度の例外も無く、パンピーの男を受け容れないのが皇室の伝統だ。それを守っているので、三笠宮家の女系継承は、許される。
◆旧皇族の男系男子孫の養子による皇籍取得への受け皿
ちなみに、信子殿下が新たに「親王妃家」を設立されて当主になられる。聞きなれない名称だが、これまでの女性宮家に准じたと考えれば、大枠は崩していない。家庭の事情のようだと聞く。後世の吉例とは言い難いが、宮家に女性しかいないのだから、現実に合わせて、先例に准じて上手く運用するしか無かろう。杓子定規など不可能だ。
さて、今後の二つの宮家だ。信子殿下(70歳)はもちろん、彬子殿下(43歳)もそれなりの年齢だ。宮家を続けるには皇族の養子しか考えられない。どこにそんな皇族が?
いわゆる旧皇族がいる。すべての旧皇族は伏見宮家に源流を持ち、室町時代の後花園天皇から勅命を賜り近世・近代と皇室に残り、日本国憲法下でも皇族であった由緒正しい一族である。占領下で皇籍剥奪されたが、単なるパンピーではない。
旧皇族の男系男子孫の養子による皇籍取得への受け皿として、今回の当主継承を考えれば、自然である。
皇室を守るには、知恵が必要だ。
【倉山 満】
憲政史研究家 1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『噓だらけの日本中世史』(扶桑社新書)が発売後即重版に
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