
この記事をまとめると
■北米市場を重視して誕生したV35型スカイラインは賛否を巻き起こした
■伝統の丸目4灯や直6を捨てた大胆刷新で北米では高評価を受け成功を収めた
■FR-Lプラットフォーム確立など技術的進化も大きく現行スカイラインの原点となった
先代までから一気に方向転換した11代目
2001年6月、日産は11代目となるV35型スカイラインを登場させた。しかしそれは、歴代スカイラインファンからは賛否両論ある新型であり、ファンからは「これはスカイラインじゃないでしょ」という声も上がったほどである。しかし、V35型は現在のスカイラインの礎となったスカイラインでもあったのだ。
賛否両論の理由は少なくない。まず、V35型はスカイラインではない新型車として、それまでの日本専用車ではなく、北米市場にインフィニティブランドとして導入することを前提に開発されたのだった。が、開発途中で日本市場向けに急遽スカイラインの車名が与えられることになったとされ、伝統の直列6気筒エンジンからV6エンジンに切り替えたフロントミッドシップレイアウトに変更。ゆえに、R34までの「R」ではなく「V」がつくV35型と呼ばれるのだ。なお、V35型にGT-Rの設定は、ない。
そのフロントミッドシップパッケージ=FMパッケージは、縦置きエンジンフロントミッドシップ搭載によって、FR車の理想ともいわれる前後重量配分52:48を実現。同時に、高級サルーンの乗り心地とスポーティな走りの両立、ロングホイールベースながら取りまわしのしやすさ、フラットライド、ゼロリフトといった性能を見事に両立したFR-Lプラットフォームの礎といえるもので、のちのスカイラインのみならずフーガやシーマ、フェアレディZなどにも引き継がれていったFRプラットフォームなのである。
さらに、いきなり丸味を帯びたエクステリアデザインに変貌させたのと同時に、なんといっても、これまた伝統の丸目4灯リヤランプまで廃した。よって、ファンから拒否反応が起きたのは当然で、販売は苦戦を強いられることになったのだった。
もっとも、北米向けのインフィニティG35は好評で、BMW3シリーズイーターとして大ヒットし、2003年モータートレンド・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。日産の苦境の時代を乗り越えた一因ともいわれている。
ボディサイズは全長4750×全幅1750×全高1470mm。ホイールベース2850mm。先代のR34型が全長4580×全幅1720×全高1340mm。ホイールベース2665mmだったから、北米市場を意識し、大型化されたというわけだ。
ラインアップを徐々に増やし最終的にはR34型よりも販売された
ここでV35型スカイラインの変遷を紹介すると、2001年6月の発売時点では2.5リッターV6エンジン搭載の250GT、250GTe、3リッターV6エンジン搭載の300GTの3グレードでスタート。エンジンスペックはそれぞれ215馬力/27.5kg-m、260馬力/33.0kg-mというもので、250に4速AT、300には5速ATが組み合わされていた。
その後の進化は著しく、2001年9月に4WDとなる250GT-FOURを追加。2001年10月にはV35型スカイラインをベースにした俊足ステーションワゴン版のM35型ステージアが登場。
2002年1月には272馬力/36.0kg-mを発揮する3.5リッターV6エンジン+エクストロイドCVT搭載の350GT-8が加わった。その中身はかなり迫力のあるもので、国内初の8速マニュアルモード付きエクストロイドCVT、パドルシフト、高性能スポーツブレーキパッド・ローター、レイズ製17インチアルミホイールで武装。このモデルは埼玉県警高速警察隊に採用され、スピード違反に睨みを利かせていたものだ。
その後も2003年1月にCV35型と呼ばれるスカイラインクーペを発売。2004年6月には3.5リッターV6エンジンにZ33型フェアレディZから受け継いだ6速MTを組み合わせた、ファン待望の350GTが加わっている。
そしてスカイラインセダンは2006年10月に生産終了、11月に販売終了。V36型スカイラインにバトンを渡すことになったのである。不人気といわれたV35型だが、生産台数は8万6190台と、R34型の6万4623台(GT-R含む)を上まわっていたのである。
現在のV35型スカイラインの中古車だが、AT車は3.5リッターモデルでも100万円以下に落ち着いているものの、希少なMT車は値上がり傾向にあり、100万円オーバーの値付けもめずらしくない。















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