大人になってみると「学生時代、もっと勉強していれば……」と思い直すシーンにしばしば遭遇するものだが、子どもからすればそう簡単には納得できない気持ちもある。「教えて!goo」で「『学校の勉強が役にたたない』という意見への反論」を募っている質問者さんがいた。早速寄せられた回答から優れたものを見ていこう。
■教養は、人間の厚みと深みを増す
「それを教養と言うのです。人間の厚みを増します。(中略)…心の広さ奥行きは必要最小限の知識だけでは生まれません」(fnfnnis3さん)
fnfnnis3さんは教養の必要性を「暮らし」に喩える。一人暮らしなら6畳一間でもたしかに十分だが、仮に10畳次の間付きならばゆったり暮らせる。必要最低限のカロリーだけ摂っていればいいというスタンスでは食の楽しみを失ってしまう。同じように文系理系を問わずに教養につながる勉強は、精神的な幅と奥行きを育てるという意見である。
たしかに、会話相手の博識ぶりや思考力に舌を巻くようなシーンでは、特にこの教養の差を実感するものだ。
■チャンスを棒に振らないような最低限の知識だから
dsdnaさんは、「社会に出て手紙をもらった時」を例に勉強の必要性を説く。手紙が日本語で書いてあれば国語の、英文なら英語の読解力がいる。また、それらの手紙がラブレターや就職の口利きなど「目の前にあるチャンス」だったとすれば、もし勉強が足らずに内容を理解できず、正しい反応ができなければ、チャンスを棒に振っていることになるわけである。
どこで役に立つかはわからなくとも、来たるチャンスを逃さず、また自らチャンスをつかみにいった時にすかさず物にできるように、学校の勉強は必要なのだという意見だ。前述の教養の話と合わせると、さらに説得力が増してくる。
■内容ではなく「成果」は選択肢の広さを生む
「勉強の成果(学歴)は『社会に出る時』の選択肢の広さに多大な影響を及ぼすのもまた事実でしょう。そこを無視して『だから勉強はする必要がない』というのなら、現実見てないのはそちらの方だと言うべきですね」(mits0709さん)
日本は就職を含めて、いまだ学歴が通用する社会。勉強の内容そのものに即効性はないが、その評価指標である学歴には意味があるという意見だ。また、booterさんは福沢諭吉『学問のすすめ』の冒頭を例に引く。「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」の諺にもあるように、人間は元来生まれつき貴賎貧富の差はなく、富は行動の報酬としてあるものという教えだ。学歴が高く、儲けの良い企業に就職したことで富める人になる……シンプルだがわかりやすい図式といえるだろう。
自分を棚にあげるわけではないが、できることなら自分の子どもや教え子には、しっかり勉強してほしいと願うだろう。その点、今回のトピックは聞かれた時の答えとして、頭に入れておいて損はなさそうだ。あなたならば、どう反論してあげるだろうか。
(松本塩梅)
教えて!goo スタッフ(Oshiete Staff)
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