
※本稿は、佐藤優『愛国の罠』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
■自分の国に愛着を持つのは自然なこと
これまで私たちは「愛国心」という言葉に対して、マイナスの面を強く見る傾向にありました。しかし、帰属する集団に対して、愛着を持つのは自然なことなのです。なぜなら、我々は群れをつくる生き物だから。
だからこそ、愛国心という言葉をあらためて整理する必要があるのです。より良い未来をつくるためにどのような愛国心を持つべきなのか、ということについて皆さんと考えていきたいと思います。
まずは現代の構造をあらためて見ていくために、アーネスト・ゲルナーの『民族とナショナリズム』を取り上げます。
アーネスト・ゲルナーは「社会の3段階発展説」という理論を提唱しました。この理論で、ゲルナーは社会を3段階に分けて分析したわけです。一つ目は「狩猟採集社会」。二つ目は「農業社会」。そして三番目は「産業社会」。これに関しては工業を中心とするので、工業社会と言い換えることもできます。
■「愛国心」には大きく2種類ある
「狩猟採集社会」は集団のサイズが小さいため、国家が存在しない社会でした。それが「農業社会」になると、巨大帝国のような国家が存在する場合もあれば、国家の影響力が及ばない自給自足の村もあるようになります。
そして「産業社会」には、社会も国家も存在します。なぜなら、社会が流動的になるので、変化に対応できる労働者が求められるから。マニュアルが読めたり計算ができるといった、汎用性のある能力を持つ人材を育てないと社会を維持・発展していくことができない。お金と労力がかかる教育ができるのは国家だけなので、社会と国家が一体化した社会になる、という流れでした。
私たちが生きているのは、社会と国家が一体化した産業社会です。そうすると「愛国心」も、大きく二つの種類に分けることができると言えます。
一つは「社会に根差す愛国心」、もう一つは「国家に根差す愛国心」です。それぞれにプラスの面とマイナスの面があります。
■「外から来たもの」は嫌われてしまう
「社会に根差す愛国心」を持つことによるプラスの面は、「郷土愛」です。これはふるさとへの愛着ですよね。たとえば地元のお祭りや風習を何とか後世に残していこうという感情は社会に根差すことから生まれるわけです。
一方、マイナスの面は異質な存在の排除です。自分たちの共同体の中に、外から異質なものが入ってくることが許せない、という発想になる傾向にあります。
たとえばIターンの移住者や国外からの移民に対して敵意を抱いてしまう。それから特定外来種。郷土の美しい自然を守るために、外来種を排除しなければいけないという発想になってしまう。もちろん、外来種の問題は、環境保全という観点から考えれば対応が必要な課題です。
■反ワクチンと排外主義は親和性がある
私が今、非常に心配している現象が「反ワクチン」、コロナ禍のころから出てきたワクチンの接種に反対という思想です。2025年の7月に行われた参議院選挙でも反ワクチンの主張を唱えた候補者に一定の支持が集まっていたことは記憶に新しいと思います。
反ワクチンを唱える人たちを右派――つまり単なる保守主義だと思って見ていると、どうやらそれだけではないようです。たとえば反ワクチンを唱える人の中には、同時に健康食品や国産食品のようなオーガニックを推進する人や、原発に反対している人も少なくありません。
こういった考えを持つ人には、体の不調の原因は外部から侵入した異物である、という共通したロジック、世界観があります。食品添加物などの異物を体内に入れたらいけない、日本に元々なかった外来の技術である原発を入れることはよくない、ワクチンを打つと死んでしまう。一見、脈絡のない主張に見えるのですが、実は根底にあるロジックはつながっているんです。
行き過ぎると、たとえば特定外来生物はすべて殺処分してしまえという感じになってくる。その対象を人に拡大すれば、移民を入れずに純粋な日本人だけで固めようという考え方になってくるわけです。
この考え方に関しては、草思社文庫から刊行されている『健康帝国ナチス』という本が非常に参考になります。
この書籍は、ナチス帝国を医療政策や食生活改善運動という視点から考察した、異色のナチス研究書です。ナチスについては、ヒトラーの独裁による反ユダヤ主義、人種差別的な思想を持ち、ホロコーストによって多くの人を組織的に虐殺したというイメージを持っている人が多数でしょう。
しかし、ナチスが非常に健康志向であったことは、意外と知られていません。たとえば、ガン検診や禁煙運動、無着色バター、栄養価の高い胚芽を入れたパンなどは、全てナチスが始めたことなんですね。
■ナチスが歴史的な大虐殺を実行した理由
要するにナチスは、国民の身体はヒトラー総統のものである、と考えていたんです。だから国民は、いつでも戦争に行けるように、健康でいなくてはならないという発想になる。そのためには外から異物を入れて、あなたの身体をおかしくしてはいけませんよ、と人々に要求したわけです。
異物を除去するというロジックは人種差別につながっていきます。ナチスにとって、人間の中でガンに相当する存在だったのがユダヤ人、あるいはロマ人、いわゆるジプシーと言われていた人たちです。彼らがいるから、ドイツ帝国は不健康なんだと発想するわけですね。
それから障がい者も、人間の体内における何かの腫瘍みたいなものだから、除去してしまえという発想になっていく。こうして、ユダヤ人を始め、多くの人を虐殺するという悲劇につながっていきます。
人種差別も反ワクチンも、根底にある思想は「体内に何かが入ってくることが全ての悪の原因」というロジックです。しかも、その主張に科学的な根拠はありませんよね。これはすごく怖いことです。
「社会に根差す愛国心」のマイナスの面である、異質な存在を排除しようとする発想、排外主義と反ワクチンという思想の根底には、共通したロジックがあるんです。
そのロジックを基に、排外的な主張を繰り返す政党を右派という形で整理すると、彼らが自然食であるということ、あるいは外来のエネルギーである原発に反対している人たちがいるという方向性に進むことも説明がつくわけです。
■「大日本帝国に殉じた」という苦い記憶
では、私たちは「愛国心」と言う言葉とどう向き合えばいいのか。その答えは、もう一つの愛国心である「国家に根差す愛国心」であると私は考えています。
ただ、「国家に根差す愛国心」にも当然プラスの面、マイナスの面があります。むしろ、これまで私たちが「愛国心」をネガティブな意味で捉えるときに指していたのが、「国家に根差す愛国心」だと言ってもいいでしょう。
たとえば私たちには大日本帝国の反省があるわけですよね。お国のために命を捨てる、なんてことは二度とあってはならないという価値観は多くの人が共有しています。あるいはナショナリズム、自民族至上主義も愛国心がネガティブなイメージを持つ要素です。
しかし、実はプラスの面もあります。それが「憲法愛国主義」という考え方です。
■国家は「憲法」を基に統合されるべき
この考え方を提唱したのは、ドイツの社会哲学者であるユルゲン・ハーバーマスです。彼は東西ドイツが統一する際、民族が前面に出てきたことに対して批判をしました。
ハーバーマスは、民主主義国家が一つになろうとするときに基準となるものは、「価値についての実質的なコンセンサス」――いわゆる祖国愛や民族愛というものではないと言ったわけです。
では、国家は何を基に一つになるのか。彼の言葉を借りれば、「正当な法制定や正当な権力行使のための手続きに関するコンセンサス」――つまり共通のルールを基に統合されるべきである、としたわけです。
近代国家において最上位のルールは「憲法」です。ハーバーマスは、国家が定めた憲法に含まれる自由や平等といった普遍的原理に根差した社会統合の形を構想したわけです。これから重要になってくるのは、この「憲法愛国主義」に基づいた愛国心だと、私は考えています。
■約80年、守られてきた「日本国憲法」
現在、日本には「日本国憲法」という憲法が存在します。これは民意によって作られた占領下憲法で、改正手続きはありますが、1946年の施行以来、改訂されずに今日まできました。
憲法では人権や各人の幸福追求権が保障されています。たとえば同性婚の問題に対しても、「各人の同意のみで結婚ができる」という一文があるわけで、そのため大阪高裁は同性婚が認められるという判断をしています(最高裁は2026年に統一判断を示す見通し)。
今、世界で右傾化が進んでいて、その波は日本にも来ている。排外主義、あるいは血筋、特定の地域の出自の人間でないといけないという考え方が広がりつつある。
しかし、日本国憲法に則れば、そういった主張は「門地によって差別してはいけない」という条項の憲法違反になると言える。
要は、愛国心のどこに基準を置くか、ということなんです。
言いかえると、一種の社会契約説です。祖国愛などの自然的なものではなく、国民の合意に基づいた契約によって成立したルールを、私たちの愛国心の基準にしましょう、ということ。自然よりも上位に憲法を置くべきなんです。
■「会社のため」より社内規則が上位にある
身近なところに置き換えると、例えば会社です。ほとんどの会社は、おそらく就業規則や定款というものを定めていますよね。その中には、当然コンプライアンスなどの企業倫理や社会通念に沿った行動基準も含まれているでしょう。
もし仮に、会社のためになると判断して行った行為も、社内の規則やコンプライアンスに反する形で行ってしまえば、何かしら罰せられますよね。ルールを自然よりも上位に置くとは、このような考え方です。
人間は帰属する集団、国や家族、社会に何かしらの愛着を持つものです。しかし、それを自覚しないと、変な方向に進んでしまう場合がある。
特に純血などの生物学的なモデルを基準にしてしまっては、極めて危険です。生物的なモデルを基準にして暴走したナチスの歴史に学ぶ必要がある。
これまで私たちは「国家に根差した愛国主義」について、マイナスの意味で捉えていました。しかし、見直さなければいけないのは、国家に根差した、国民の合意に基づいてできている憲法を基準にした愛国心なのではないでしょうか。
「愛国心」を持つことは大いに結構なことです。そして、どのような愛国心かと言えば、憲法に基づく愛国心なんだと主張していく必要があるんです。
■参政党の主張は「社会に根差す愛国心」
2025年7月に行われた参議院選挙では、参政党が躍進をして注目を集めました。彼らは「日本人ファースト」というスローガンを掲げて「行き過ぎた外国人の受け入れに反対」を公約に入れるなど、外国人に反対する主張を繰り返して一定の支持を得たわけですが、彼らの主張する愛国心とは「社会に根差す愛国心」のことなんです。
人間は群れをつくる動物です。そして、群れをつくる動物は、同時に他の群れを排除する傾向があります。
ウンベルト・エーコが『永遠のファシズム』で指摘した通り、人間は食べるものが違ったり、文化が異なるだけで異質な人間だとして、排除していく傾向にあります。参政党の主張に対して、このような受け取り方をして支持する人が増えているようにも感じます。
■「憲法に反しない」ということが最重要
今、愛国心をあらためて考える人が増えているかもしれませんが、「日本ファースト」とは、「日本国憲法をファーストにする」であるべきです。参政党が作成した新日本憲法の構想案で主張しているような、天皇を元首にするということは許されません。なぜなら現行の日本国憲法で天皇象徴制が認められているから。
「日本国憲法をファーストにする」という考え方。そこを根拠にすれば、参政党の議論はすべて曖昧になると思います。彼らが言っている「日本」や「愛国心」には、法的、憲法的根拠がない。私的集団が、個人的なグループによって主張しているのが日本であると。しかし、あくまでも国民の合意によって作られている憲法体系に基づいたのが日本という国なんです。
もし彼らが主張するように日本を天皇を元首とした国家にしたいのであれば、正当な手続きを経て憲法を変えればいいんです。しかし、変えられないことを愛国心で解決しようとして、それに従えなければ国賊とするのはやめるべきです。愛国心を裏付けるものとして、「憲法に反しない」ということが重要なんです。
■「日本人ファースト」が現実化する恐れ
ただ、一つ付け加えておくと、ある主張に基づいて行動しようとする集団を厳しく追及することは得策ではありません。「自己成就する予言」といって、誤った思い込みや判断が新たな行動を引き起こしてしまい、結果的に現実化してしまうことがあります。
たとえば、1932年にアメリカの旧ナショナル銀行が倒産した際、実は倒産する直前まで経営状態は非常に安定していました。しかし、根拠のない支払い不能の噂が出回ってしまった結果、不安になった預金者が殺到して預金を引き出し、本当に支払い不能になってしまったんです。
彼らはそこら辺の居酒屋にいるような普通の人たちです。可塑性があるから、変に強い力を加えても、その形のまま理論武装をしてしまうんです。
そういった人たちの思想を現実にしないために必要になってくるのは、詰問ではなく語り合うこと。その中で日本国憲法ファーストという観点から、憲法に反するような日本ファーストを主張している人たちを批判していくべきです。
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作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で国策捜査の裏側を綴り、第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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