昔の日本でブログの役割を果たした「日記」。江戸時代に、こともあろうか「トイレネタ」を記した「井関隆子(いせき たかこ)日記」が存在したのはご存じだろうか?

作者・井関隆子は大身・旗本の妻のかたわら、庶民の生活や幕府への批判をはばかることなく記していった。するどい観察眼と教養の深さから当時の様子を知る重要な書物でありながら、古典文学のトイレネタをチャカしながら披露するなど、ヘンテコな日記が存在したのだ。

■マニアックすぎるトイレネタ
井関隆子の実家は代々徳川家につかえる旗本・庄田家で、赤穂浪士で知られる浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に切腹を申し付けた大目付を親戚に持つ由緒正しい家柄だ。やがて旗本の松波源右衛門と結婚するが、わずか3年ほどで離婚。

のちに井関弥右衛門と再婚し、歌や日記など数々の作品を残す。井関家の屋敷は現在の九段下あたりに350〜500坪と推定され、経済的には恵まれていた環境だったのも、隆子が文学に集中できる一因となる。当時はまず師匠について教えを乞うのが一般的だったが、隆子はかたっぱしから古典文学を読み独学で知識を習得する。これに鋭い観察眼が加わり、当時のできごとを独自の世界観で描いているのだ。

なかでも印象的なのはトイレネタだ。当時は「くみ取り」が当たり前で、肥料として農家に販売される日常的な商売でもあった。これを、
・なんてタイミングが悪いのでしょう、食事中に、隣家にくみ取りが来てしまった
 ・においはもちろん、生々しい音が聞こえて閉口ものだ
と記しながらも、古典文学の「トイレ描写」の紹介に発展する。源氏物語や落窪(おちくぼ)物語などのトイレシーンを、こと細かく解説しているのだ。そこまで紹介しなくても!と思えるのが平中(へいちゅう)物語で、
 ・主人公・平中が、女性にかなわぬ恋をした
 ・その女性を忘れようと、便を盗んでにおいをかぐ
で、舞台となる平安時代は「箱」に便をする習慣があり、平中はそれを盗み出してにおいをかいだという話である。豊富な知識の表れなのだろうが、これを紹介するメリットはなに?と問いたい。

■怖いものなしの政治批判
井関隆子日記の魅力はイロモノだけではない。幕府への批判や将軍の葬式など、政治ネタにも長けていたのだ。
この背景として、隆子には広い情報網があり、
 ・子の親経(ちかつね) … 広敷用人(ひろしきようにん)
 ・親経の妻の兄 … 目付や奉行を歴任
と、さまざまな情報を得ることができた。これに師につかず独学するような勝気さが加わり、鋭い政治批判も多くみられる。当時、水野忠邦(ただくに)が推進していた天保(てんぽう)の改革、なかでも上知(あげち)令をボロクソにこき下ろしているのだ。

江戸や大坂近辺の領地を取り上げ、幕領を拡大するのが上知令で、農業や産業が栄えた場所を接収し、幕府の収入を増やそうとする「よこ取り」作戦である。いくら代わりの土地をもらえるとはいえ、苦労して築き上げた街をとられてしまうのだから、大名も旗本もたまったものではない。これを隆子は、
 ・悪いことをしていないのに「国替え」させられるようなもの
 ・栄えている場所を優先的に接収しようとしている
と批判。あげく、「これは将軍の考えではなく、水野忠邦の仕わざだ」とまで記している。現代なら多くの「いいね!」が獲得できるだろうが、当時において命知らずともいえる大胆さもあったのだ。

このほか、徳川家斉(いえなり)の葬儀、天保15年に起きた江戸城の火災などをリアルタイムで記し、大学の入試問題にも利用されている。トイレネタも、当時の様子を知る貴重な情報なので、興味のあるひとはぜひ読んでいただきたい。

■まとめ
 ・江戸時代に記された井関隆子日記には、トイレネタが刻銘に記されている
 ・源氏物語などの古典作品からも「トイレ描写」を紹介
 ・知名度は低いが、入試問題にも利用された