先日、友達夫婦の家に遊びにいったところ、ものすごくカルチャーショックを受けたことがある。それは、その家庭では、「自分用の箸と茶碗が決まっていない」ということである。

筆者の家庭では、食事のとき、必ず決まった箸と茶碗を使っていた。間違って父親のものを使おうものならものすごく怒られたし、何より「自分の食器じゃない」ことへの違和感がものすごかった。

しかしながら、友達夫婦の家に行って以来、周りの人に聞いてみると、「自分用の箸と茶碗は決まっていない」という家庭は意外と多いことに気づき、更なるカルチャーショックを受けた。今回は、自分用の箸と茶碗が決まっている家庭とそうでない家庭で、どのような食事風景の違いがあるのかを考察してみたい。なお、以下では、自分用の箸と茶碗が決まっている家庭を「固定派家族」と、決まっていない家庭を「フレキシブル家族」と呼ぶこととする。

固定派家族の場合、「使いやすい食器の大きさや形は家族それぞれ違うので、それぞれに合った食器をチョイスできる」というメリットがある。確かに思春期の青年には大きい茶碗を使ってもらった方がおかわりの回数も減らせて都合がよい。筆者も中学生くらいのときは、おばあちゃん用茶碗の3倍は入る巨大茶碗を用いており、勝手に「赤い彗星の茶碗」と名付けていたものである。「自分以外の箸や茶碗を使うのは何となく気持ち悪い」と感じる人もいるようだが、これは衛生面での話ではなく、普段使い慣れないものを使っている違和感からくるものだと思われる。

一方でフレキシブル家族の場合、「配膳が楽」というメリットがある。この箸はお父さんので、この茶碗はお姉ちゃんので……とわざわざ悩む必要がなく、速やかに配膳することが可能である。また、固定派家族の場合、箸と茶碗の場所により毎回座る場所も固定化されがちなのだが、フレキシブル家族の場合は座る場所を自由に選べるため、お客さんが来て席順が普段と異なるときも柔軟に対応することが可能であり、また「毎週月曜はドラマを見るために姉ちゃんがテレビ特等席に座り、それ以外は野球を見るために父ちゃんがテレビ特等席に座る」といった発展的な配席も簡単に実施できる(テレビを見ながら食事するな! というご意見もあるかと思いますが……)。

固定派家族で育った人からすると、フレキシブル家族に対して「自分の箸と茶碗が決まっていないなんて信じられない!」と感じる場合も多いようだが、実際に箸と茶碗が決まっていない食卓を体験してみると、それはそれで意外と快適であることに気づく。そもそも、誰も箸と茶碗を気にしていないので、「そういうものなんだ」と割とすんなり受け入れることができる、というのが筆者の実感である。

箸と茶碗の組み合わせはどうあれ、みんなで食べるご飯が一番ですね。
エクソシスト太郎)

えーと、これがお父さんの箸で……