チュニジア人家庭には必ずといっていいほど常備されている某陶器があるらしい。その名もナブール焼。同国ナブール市で作られる焼き物だ。

調べてみるとナブール市は日本の陶器の街、愛知県瀬戸市と姉妹都市を結んでいるそうだ。日本語の“せともの”という言葉は、その瀬戸焼が語源だが、まさにこれはチュニジア版“せともの”ではないか。そこで勝手に琴線に触れたコネタ編集部の愛知県出身ライターが、勝手にナブール市を訪れて、勝手に親善視察をしてきた。ナブール市ってどんなところなのでしょうか? 

まず瀬戸市国際センターによると、ナブール市はチュニジア北部のボン岬半島の中心都市で人口は約6万人(瀬戸市は約13万人)。水差し、壷、花瓶など幅広い陶器が生産されており、これら特産品を求めて国内外から多くの人が訪れるという。

また、地方公共団体の国際化推進を目的とする財団法人自治体国際化協会によると、瀬戸・ナブール両市が姉妹提携したのは2004年4月21日1997年チュニジア大使館大使が瀬戸市を訪問した時から交流がはじまったという。窯業専門家を派遣するなどして友好関係を深めたそうだ。

早速、同国首都チュニスに降り立ち、車で1時間ほど南東へ走るとナブール市に到着した。地中海に面した町で、海岸沿いには多くのリゾート客も訪れる。ナブール焼の歴史は長く、古代バビロニアを起源とするそうだ。また17世紀にはスペインを追われたアンダルシア人が、色彩鮮やかな、うわ薬の技術を伝え、その影響を受けたデザインが現在に至っている。

瀬戸焼の歴史も照らし合わせてみよう。元は13世紀に南宋に渡った陶工の加藤景正が、帰国後全国で陶器に適した土を探して瀬戸の地に創始したといわれている。江戸時代、鮮やかな肥前(現在の佐賀県長崎県)の伊万里焼に圧され、瀬戸の窯業は一時衰退したが、陶工の加藤民吉が肥前から染付焼の技法を導入している。

さて、ナブール・瀬戸両市の情報を頭に入れて、陶器商が並ぶファルハット・ハシェド通りに向かう。歩いていると「ジャポン!」「コンニチウァ!」「ニーハオ!」「ジャッキー・ション!(注:ジャッキー・チェンのこと)」「アチョー!」と声をかけられる。かなりフレンドリーだ。早速、相手側から親善交流開始か……というかおちょくられている気もする。

積極的に交流するチュニジア人を少々かわしつつ、真面目そうな市民にお話をうかがう。いずれも親日度は高い。また各店舗で陶器の値段を聞くと、シリアルボウル大の陶器が言い値で3ディナール(約152円)だった。値引き交渉すれば、おそらくもっと安くなるかもしれない。カラフルなデザインも、太陽がさんさんと降り注ぐチュニジアに映えていた。

市中の様子も比べてみる。ナブール市はオレンジがいたる所にある。一方で瀬戸市うなぎ屋が各所にある。オレンジとウナギ。食べ合わせ的にはどうなのか? 梅干しじゃないだけマシか。そんなことを考えながら、一通り市内を巡る。せっかくの訪問なので、もっと仲間意識を持てる共通点を見つけたいが、しかし見当たらない。ほぼあきらめかけた時に……ありました! 瀬戸市には(全国的にはご存じないと思いますが)愛知万博の際に作られた巨大陶器「天水皿n(てんすいざらえぬじょう)」があるが、ナブール市にもオレンジを皿に盛った巨大陶器モニュメントがあったのだ。これで何とか帰れます。

最後に、「私も勝手に親善視察したいが海外までは行けない」という人は、愛知県陶磁資料館へ。ここでは「世界焼きものの旅」という常設展をおこなっており、日本のパスポートに似せた陶磁国旅券に入国・出国スタンプを押しながら、世界各地の陶器を堪能できます。
(加藤亨延)

様々に装飾された陶器の皿が街中の店頭には並んでいる。