
「子どもには自分と同じ苦労をさせたくない」――そう願い、我が子の教育に熱を入れるのは、親として自然な愛情かもしれません。しかし、親が用意したレールが、必ずしも子どもの幸せに直結するとは限らないのが現実です。それどころか、気づかぬうちに我が子を追い詰め、家庭を崩壊させてしまうことも……。「大企業就職」という最高の結果を出したはずの家族に、一体何が起きたのか? 見ていきましょう。
俺のような苦労はさせない…息子のエリート街道に歓喜の父
「息子には、自分のような苦労はさせない。あの子が生まれたときに、そう心に誓ったんです」
会社員の佐川さん(仮名・57歳)は、地方の工場に勤め、現在の年収は490万円ほど。妻は週4回のパートで年収120万円ほど稼ぎ、家計を支えてきました。佐川さんは、自分の歩んできた道を「不遇だった」と振り返ります。
「私は高卒です。大学に行きたかったけれど、きょうだいが多かった。家計を助けるために就職するしか選択肢がなかったんです。そりゃ自分の能力の問題もあったかもしれないけれど、家庭環境の壁は大きかった。だからこそ、息子には自分の意志で自由に選べる人生を歩ませたかった」
息子が小学校高学年になると、佐川さんは迷わず塾へ通わせました。子どもが「今日は休みたい」と弱音を吐けば烈火のごとく怒り、無理やりにでも机に向かわせたといいます。
ただ、佐川さん自身も何もしなかったわけではありません。教育費を捻出するために、お金のかかる趣味は封印。毎月の小遣いは2万5,000円に切り詰めました。どんなに生活が苦しいときでも、児童手当と学資保険だけは将来のためにと、手を付けずに積み立てていったのです。
親の執念とも言えるサポートの結果、息子は見事に誰もが知る大企業への就職を果たします。「これで学歴の壁を断ち切った」「これまでの苦労がすべて報われた」――佐川さんは万感の想いで拍手喝采を送りました。
大企業を1年で退職…息子の決意と本音
息子は就職を機に、会社の寮へ。ところが、それから1年ほどたったある日。実家に帰ってくると、佐川さんと妻の目をまっすぐ見据え、想定外の言葉を口にしました。
「会社、辞めたから。給料は下がるけど、来月から困窮家庭の子どもたちを支援するNPO法人に転職するんだ」
せっかく誰もが羨むエリート街道に滑り込んだというのに、なぜなのか。安定した地位も、高い給料も、すべて投げ出すという息子の決断が理解できず、佐川さんは絶句します。問い詰める父親に、息子はこれまで胸の奥底にしまい込んでいた本音を吐き出しました。
『いい大学に行かせるため』って、お金のことでいつもピリピリして、夫婦喧嘩ばかりしている二人を見るのが本当に苦痛だった。勉強ばかりの子ども時代も、ちっとも楽しくなかった。塾も、習い事も、進路も、全部父さんの言うとおりにしてきた。でも、もう解放してほしい。自分の人生を歩みたい――。
初めて聞いた、息子の本音でした。
「息子の言いたいことが、まったく理解できないわけではありません。ですが、私なりに身を粉にして精一杯やってあげたつもりでした。あの子にどれほどのお金と時間を捧げてきたか、それを本当に理解しているのかと、怒りとも悲しみともつかない感情が湧いてきました」
この日を境に、息子との間には決定的な溝が生まれました。さらに、長年佐川さんの教育方針に黙って従ってきた妻の態度も、冷ややかなものへと変わってしまったのです。
「息子のためになるからと言われて、私もいろんなことを我慢してきた。でも、私たちのやってきたことは間違っていたのね」
そう呟いた妻は、佐川さんと必要最低限の会話しか交わさなくなりました。
「どこで間違えたのかなと思います。自分のことを二の次にして、すべてを子どもの教育に捧げてきました。どう思われようと、息子の幸せを願っていたのは本当なんです。それなのに……」
教育費の金額と、子どもの幸せは比例しない
文部科学省の「学校基本調査(令和7年度)」によれば、大学や専門学校などを含めた高等教育機関への進学率は85.4%に達しています。いまや、子どもが生まれたら大学進学を前提に学費の準備をしていくことが、多くの家庭で標準となりつつあります。
しかし、その負担は決して軽いものではありません。日本政策金融公庫のシミュレーターによれば、幼稚園から大学まですべて公立に通った場合は、822.5万円。一方で、すべて私立の場合は、2,307.5万円。最も一般的なコースといえる「高校までは公立で大学は私立」の場合にかかる費用は、文系で897.1万円。理系になると1040.4万円に跳ね上がります。
親が必死に働き、自らの生活を切り詰めて教育費を捻出するのは、「我が子の将来のため」という愛情からでしょう。しかし、どれだけ教育にお金と時間をかけたとしても、それがそのまま子どもの幸せに直結するとは限りません。
どんなに真剣に子どもの将来を考えていたとしても、それが理想の押し付けになってしまい、子ども自身の意志や価値観を無視したものになっていたとしたら――。
高額な学費を用意すること以上に、子どもを1人の独立した人間として尊重し、その本音に耳を傾ける対話の姿勢こそが、家族が崩壊しないために何よりも大切だったのかもしれません。

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