
本連載では、テクノロジーの視点からワールドカップを追ってきた。そのベースにあるのが、FIFAとLenovoの協業だ。
スポーツの国際統括団体とテクノロジー企業という、まったく異なる分野どうしでの連携を成功させるために、両者はどのような姿勢で挑んできたのか。そのプロセスは、スポーツ分野に限らず、異業種間での協業にも参考になる部分がありそうだ。
サッカーとテクノロジーを隔てていた“言葉の壁”
Lenovoは、初の「FIFA公式テクノロジーパートナー」として、今回のFIFAワールドカップ2026を含む国際大会の運営効率化、試合中の判定や分析の高度化、ファン体験の改善など、多面的にテクノロジー支援を行っている。
協業の成果の一つが、今大会ですべての出場チームに提供されているサッカー専用のAI分析ツール「FIFA AI Pro」である。過去の膨大なデータを学習済みのAIが、試合前の対戦チーム研究や戦略/戦術の検討などをサポートする(関連記事:番狂わせ続きのサッカーW杯、その背景に“AI参謀”あり? すべての参加チームが使う「FIFA AI Pro」とは)。
FIFA側でLenovoとのやり取りを主導したのは、FIFAのイノベーションチームだ。同チームを率いるヨハネス・ホルツミュラー氏は「当初、サッカーとテクノロジーの間に『言葉の壁』があった」と振り返る。
たとえば「クロス」という言葉。サッカーを知っている人ならば、その言葉の意味を感覚的に理解していると思うが、AIに「クロスとは何か」を理解させるためには、その意味するところを厳密に定義しなければならない。あるプレイが「クロス」に相当するための条件、たとえば「選手のポジション」「ボールの軌道」「プレイの意図」といった要素を、数値化、言語化してAIに伝えなければならないわけだ。
理解しなければならない言葉は、もちろん「クロス」だけではない。われわれが当たり前に使っている「パス」「シュート」「プレッシング」といった言葉の一つひとつを、AIが理解できるように定義するためには、膨大な作業が必要だった。
より複雑な「試合の戦略/戦術」もAIに理解させる
AIが基礎的なサッカー言語を理解できたところで、今度はより複雑な、サッカーの戦術/戦略を教えることになる。AI Pro開発の裏側を語ったアルバロ・ペレス氏は、「単なるデータベースではなく、サッカーを理解するAIが作りたかった」と説明する。
そのためには、プレイ中の複数の選手たちが、どういう意図でどんな動きをするのかを、AIが学習して理解しなければならない。
FIFAでは、試合中に収集した膨大なプレイのデータを蓄積している。たとえば選手の身体の動きならば、1人につき毎秒50回、29種類のデータを計測している。ボールの動きやスピード、外から加わった衝撃などは、毎秒500回の計測に及ぶ。こうした膨大なデータと複雑な戦術/戦略の意図とをひも付け、AIに理解させるために、FIFAのアナリストとLenovoのAIエンジニアたちは何度もワークショップを重ねた。
こうした努力の甲斐あって、AIは「フォーメーション」「プレッシングのトリガー」「トランジションのパターン」といった戦略的な概念も理解し、AI Proは試合の戦略/戦術を検討するために使えるツールとなった。
“言葉の壁”はFIFAとLenovoの間にも――異分野をつなぐ橋渡し役
こうした言葉の壁は、AIと人の間だけにあったわけではない。人と人、FIFAとLenovoの間にも言葉の壁はあった。Lenovoでスポーツ領域のグローバルヘッドを務めるサンティアゴ・マンソ氏は、次のように説明する。
「FIFAのビジネス担当者は、テクノロジーの専門知識を持っているわけではない。Lenovo側の窓口がアルゴリズムに詳しいエンジニアだけだと、FIFA側と話がかみ合わなくなる。そこでLenovoでは“橋渡し役”の人材を配置し、テクノロジーの仕組みそのものではなく『何が実現できるか』を分かりやすく伝える努力をしている」(Lenovo マンソ氏)
現場の用語翻訳から、経営レベルの意思疎通まで。異なる分野の協業では、あらゆる階層で“翻訳”を行なってきたことがうかがえる。
テクノロジーのサプライヤーではなく「チームの一員」として動く
言葉の壁を越えた先で、両社の関係はどう築かれていったのか。
LenovoでFIFA向けデリバリーを統括するマイルス・スピットル氏は、「エンジニアとしての知識を一方的に押しつけるのではなく、FIFAから学ぶ姿勢を前提として取り組んできた」と話す。たとえば本連載でも紹介した、大会運営を統括する「Tournament Operations Centre(TOC)」においては、FIFAのチームの延長という認識で動いたという(関連記事:史上最大のワールドカップを支える“オフィスワーク”? TCCとTOCのテクノロジー)。
スピットル氏は、昨年6~7月に開催された「FIFAクラブワールドカップ2025」からの準備期間の短さにも言及した。一般企業の開発プロジェクトであればスケジュールの遅延も許されるが、ワールドカップは延期できない。限られた期間の中でAI ProやReferee View、RefCamといった機能を実装する必要があったと説明した。
「ここまで大きなトラブルもなく大会運営できていることはうれしい。成功のためには『同じゴールを持つ』ことが重要だ」(スピットル氏)
サッカーへのテクノロジー導入を審判はどう見ているのか ―ベテラン審判に聞く
ワールドカップへのテクノロジー導入を、試合の現場ではどう受け止めているのか。ワールドカップ開催中の現地で、FIFA審判委員会の会長を務めるピエルルイジ・コッリーナ氏に、今大会が導入したテクノロジーへの評価を聞いた。
コッリーナ氏は「Lenovoとの協業はうまくいっている」と認め、1つのエピソードを明かした。審判視点での映像を放送映像用に届ける、Referee Viewの実現にまつわるエピソードだ(関連記事:VARへの不信はなぜ消えないのか? 新登場の“審判カメラ映像”の価値を考える)。
Referee Viewを実現するためには、主審がヘッドカメラカメラを装着する必要がある。当然、それを身に着けてピッチを走り回る審判からは、「身に着ける機材の重さ」を懸念する声が上がった。当初は400グラムという想定だったが、コッリーナ氏はできる限り軽くするよう要望した。その声を受けてLenovoは改良を図り、最終的に重量の問題は解決された。導入後も「現場の審判から不満の声は出ていない」という。
Referee Viewのカメラ軽量化においては、AIによる映像処理テクノロジーも寄与しているという。審判映像の揺れを抑える処理をカメラ本体で行おうとすると、どうしても機材全体の重量が重くなってしまう。そこで、バックエンドのサーバーでAI処理する形を取り、カメラ自体の重量を増やさない設計にした。
また、テクノロジーの導入によって、審判の側も恩恵を受けているという。
試合中、ベンチや観客席、あるいは中継放送を見る視聴者は、リプレイ映像によってプレイの内容を細かく確認できる。一方で、プレイの判定を下す重要な立場にある主審だけが、そうした手段を持っていなかった。この不均衡をどうするか。
「これまでどおりのテクノロジーを排除した競技形式を続けるのか、主審にも同じテクノロジーを与えるのか。この選択において、FIFAは後者を選んだ」(コッリーナ氏)
最初に導入されたのは、映像から正確なゴール判定を行うゴールラインテクノロジーで、その成功を受けて、審判の判定を支援するテクノロジーはほかの場面にも広がっていった。
試合前の準備もテクノロジーで変化しているという。審判は、準備段階で過去の試合映像を見るが、コッリーナ氏が主審を務めた2002年のワールドカップ決勝のころはまだ「VHSのビデオテープを繰り返し再生し、分析していた」という。それが現在は、FIFA AI Proを使って分析を行えるため「準備作業の効率化が図れている」と語る。
それでも、審判にとってテクノロジーはあくまでも補助的なものであり、最終判断を下すのは人間であるべきだと、コッリーナ氏は強調した。「技術は審判を支援するレベルに達してはいる。しかし、あくまでも支援するためのものであり、審判を置き換えるためではない」とコッリーナ氏は断言した。

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