
「また母さんか……」と、ため息をつきながら受話器を取った若き日。仕事で疲れているのに、用件もない電話をかけてくる母を「心配し過ぎだ」と感じたこともありました。しかし、その電話が二度と鳴らなくなった日、初めて気づいたことがありました。「自分を心から心配してくれる人は、もういない」――。単身高齢者の増加が進む中、考えておきたい「もしもの備え」とは? 見ていきましょう。
母がくれた他愛もない電話、突然の来訪
「もう、自分を心から心配してくれる人は誰もいないんだな……」
浩一さん(59歳・仮名)は、そう静かに呟きました。21歳で東北から出て以降、東京でひとり暮らしを続けている浩一さん。離れて暮らす息子を心配する母の昌子さん(仮名)からは、当時から頻繁に電話がかかってきました。
「今日も暑いね」 「ちゃんとご飯食べてる?」
内容は他愛のないものばかり。仕事で疲れて帰宅した夜に電話が鳴ると、「またか」と思うことも少なくありませんでした。当時はスマホもLINEもない時代で、文字で返すこともできません。
「この時間にかけてくるのは、母さんだな……」
話をするのが面倒で、居留守を使ってしまったことも。さらに、こんなこともありました。あるとき突然、母が新幹線に乗ってやって来たのです。
「心配だったの。何度電話しても出ないから、何かあったのかと思って」
玄関先でそう言う母に、浩一さんは思わずため息をつきました。
「大げさだよ。そんなことで来なくてもいいのに」
母は少し寂しそうに笑い、「そうだね」とだけ答えました。
しかし、それからもずっと、母からの“生存確認”のような電話は、定期的に続いていたのです。
母の死で気づいたこと
そして、母は86歳で亡くなりました。四十九日も終わり、自宅で一人の生活が戻ってきた頃、浩一さんはふと気づきます。
今の年収は620万円、60歳以降は3割ほど下がりますが、65歳まで働くつもりです。貯蓄はコツコツ積み上げた約1,400万円。退職金は1,000万円ほど受け取れる見込みで、お金の準備はしてきたつもりです。
しかし、もう母から電話がかかってくることは二度とありません。
父は5年前に亡くなりました。兄弟はいますが、地元で家庭を持ち、頻繁に連絡を取り合う関係ではありません。若い頃に「うるさいな」と思ったこともあった電話は、自分の無事を気に掛けてくれる人がいる証でした。
母がいなくなって初めて「自分は一人になった」――そう実感したといいます。
「自分を心配してくれる人」がいなくなったとき、考えたい老後の備え
親を見送ったことをきっかけに、「もし自分に何かあったら、誰が気づいてくれるのだろう」と真剣に考え始めるケースは少なくありません。自分のことを日常的に気に掛けてくれる存在がいなくなり、「もしものとき」が急に現実味を帯びてくるのです。
近年は生涯未婚率の上昇や晩婚化などを背景に、高齢になっても一人暮らしを続ける人が増えています。国立社会保障・人口問題研究所によると、2020年時点の50歳時未婚割合(生涯未婚率)は、男性28.25%、女性17.81%。男性では約4人に1人、女性では約6人に1人が50歳時点で一度も結婚を経験していない計算です。
兄弟姉妹がいても、それぞれが家庭を持ち、頼るのも気を使う。「身内がいるから安心」とは言い切れない時代になっています。
だからこそ、「万一」に備える準備を進めておくことが重要です。例えば、自治体や民間企業が提供する見守りサービスでは、一定期間生活反応がない場合に家族や登録先へ連絡が入る仕組みや、定期的な安否確認を行うサービスがあります。
また、緊急通報サービスを利用すれば、自宅で急病や転倒などが起きた際、ボタンひとつで警備会社や消防、登録先へ連絡できるものもあります。
さらに、身寄りが少ない人にとっては、身元保証サービスの活用も選択肢の一つです。入院や高齢者施設への入居時には保証人を求められることが少なくありません。近年は、保証人の引き受けだけでなく、入退院時の手続き支援や、亡くなった後の事務手続きまで含めたサービスも広がっています。
加えて、任意後見契約や財産管理等委任契約を利用して、判断能力が低下した場合に備えておく人も増えています。預貯金の管理や各種手続きを信頼できる人や専門職に任せる仕組みを、元気なうちに整えておく方法です。
こうした備えは、独身だから今すぐに実行すべきものでも、すべての人に必要というものでもありません。しかし、情報を少しずつ集めて、自分に必要なものは何かを考える。それだけでも安心を得られます。
かつては親が気に掛けてくれた、自分の安否。その役割を誰かに期待するのではなく、自分自身で備えていくことも、これからの時代の老後準備の一つといえるでしょう。

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