今年1月に発売されたアニメムック「ゲゲゲのアニメ 『鬼太郎』60年史と70人の言霊」(徳間書店刊/以下「ゲゲゲのアニメ」と略)を、ようやく読み終えた。同書は、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズを網羅したインタビュー・資料集で、サブタイトルにもある通り70人(コメントも含めると実際はもっと多い)に及ぶ関係者の談話を中心にした本だ。B5サイズ・440ページもの大著で、7150円と買うのにちょっとひるむ価格だったが、読んだあとは逆によくこの値段で出せたと思うぐらいの充実ぶりで、一読しただけでは本書の価値は十分には理解できないなと思うぐらいだった。
 筆者は原作者の水木しげる氏の漫画や文章本は好んで読んできたが、アニメ「鬼太郎」は、2023年に公開されてスマッシュヒットした第6期の劇場アニメ「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」以外は、幼い頃にリアルタイムで見たテレビアニメ第3期(1985~88)に馴染みがあるぐらい。他のテレビシリーズは見ていないか始めの数話を見ている程度の浅いファンだが、それでも非常に面白く読めて、いつかシリーズを通して見てみたくなった。いずれかの「鬼太郎」を好きで見た人、もしくはアニメの歴史に興味がある人には面白く読めると思う。

東映アニメの映し鏡

水木しげる氏による妖怪漫画が原作のアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズは、第1期(1968~69年)から最新の第6期(2018~20)まで計6回テレビアニメ化されている。テレビアニメの期間だけでも50年以上にわたっているため、どこかでアニメに触れたことのある方は多いはず。1960年代から2010年代までほぼ10年おきにアニメ化され、そのすべてを東映アニメーション(旧:東映動画)が製作している。
 「ゲゲゲのアニメ」は、第1期から第6期までを章に分け、それぞれ各期の概論、メインスタッフ・キャストのインタビューという内容で構成されている。アニメムックの王道とも言えるオーソドックスな構成で、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」ファンを十二分に満足させる濃厚な内容でありつつも、通読することで東映アニメの制作の変遷も浮かびあがらせるという凄い試みがなされている。モノクロからカラー、画面比率が4:6から16:9に変化、制作のデジタル化といった外部的な変化はもちろん、東映アニメ内の制作事情の細かな変化も克明に分かる。同書の編著者・原口正宏氏(アニメーション史研究家)による「はじめに」には、「アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の歴史とはすなわち、東映アニメーションの約60年に及ぶ歴史の映し鏡でもある」と書かれ、同社が製作していなかったら「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズはここまで魅力あるものとして長く続いてこなかったのではないかと問題提起している。
 東映アニメの特徴のひとつとして、テレビシリーズの各話の演出家が音響関連の業務を兼ねていることが知られている。一般的には音響監督が担当する声の収録のディレクションやBGMの選曲を各話演出家が担当するなど「各話の監督」としての権限が大きい。また、東映アニメ作品の多くは、監督ではなくシリーズディレクターとクレジットされるが、これはシリーズ中の最初の1クール(3カ月)のみ各話演出の業務を統括する「期間限定の監督」としての役割で、2クール目以降は原則として各話演出家の裁量に任せられることが多い。
 東映アニメは、他の制作会社より各話の演出家の裁量が大きかったため、それぞれの個性を活かして自由に伸び伸びとつくることができた。その社風が基本的に各話完結のアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」とマッチし、魅力的なエピソードがつくられてきたのが長寿の秘訣だというのだ。
 同書には、「サマーウォーズ」などで知られる細田守監督のインタビューも掲載されている。東映アニメ出身の細田監督は「鬼太郎」第4期の各話演出が演出デビューで、そこでの経験によって「同ポ(同ポジション/同じ構図の絵を複数のカットで用いること)の多用」など、のちの細田作品でよく見られる演出手法が生まれたと語っている。細田監督を始め、東映アニメは多くのアニメ監督を輩出していることで知られているが、その大きな要因として各話演出の頃から大きな権限をもって仕事ができているというのは大きいのだろう。
 もうひとつ同書を読んでよく分かったのが、東映アニメのプロデューサー陣が作品に深くコミットし、各期の「鬼太郎」にはプロデューサーの個性が色濃く出ているということだった。シリーズディレクター制であることも含め、プロデューサーが本来であれば監督がやるであろう作業も引き受け、明確な方針のもと各期の「鬼太郎」が作られている。

「鬼太郎」は伝統芸能

古くからシリーズが断続的に何作もつくられ、キャラクターが立っていて幅広い世代に愛されている作品に、例えば「ルパン三世」などもあるが、「ゲゲゲの鬼太郎」には同作ならではのユニークな立ち位置がある。アニメオリジナルの物語が大半の「ルパン三世」に対し、「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪の多くは原作由来のもので、アニメの各期ではそれぞれ異なる味付けがなされているのだ。また、日本が舞台である「鬼太郎」は、アニメ化に際して、例えば1970年代に放送された第2期では公害問題などがシリーズに色濃く反映されたり、2010年代の第5期ではスマホやネットの普及による“見えない恐怖”が物語のモチーフにされたりもした。各年代のアニメ「鬼太郎」は大げさに言えばその時その時の日本を意識的に描こうとしていて、「妖怪は変わらないが人間や社会は変わる」対比があるからこそ生まれるドラマには、意識外の部分でも放送当時の時代の世相が自然と描かれている。
 アニメ評論家・藤津亮太氏の著書「アニメと戦争」には、アジア・太平洋戦争をモチーフにした「鬼太郎」の原作エピソード「妖花」がアニメの各期でどのように描かれたのかを紹介し、その語り口などから各年代による戦争との距離感がどのようなものであったかを分析する興味深い章がある。そのような読み解き方ができるのもアニメ「鬼太郎」の奥深いところなのだと思う。
 「ゲゲゲのアニメ」の各インタビューの結びには「なぜこれだけ長い間『鬼太郎』は愛され、何度もアニメ化されてきたのか」という質問がよくなされ、制作スタッフやキャストによるそれぞれの答えにはなるほどと思わせるものが多かった。従軍して片腕を失った経験のある水木氏による世界の見方の面白さ、アニメ化で多少逸脱しても大丈夫な原作の懐の深さなど、様々な魅力があるが、筆者がもっとも納得したのは「『鬼太郎』は伝統芸能のようなもの」という回答だった。変わらない部分もあり、時代が変われば自然と変わる部分もある。アニメ「鬼太郎」は各時代それぞれの日本の映し鏡になり得るという考え方だ。
 これまで約10年おきにアニメ化されてきた「鬼太郎」は、その流れ通りにいけばあと数年以内に第7期が製作されておかしくない。そのときにはどんなアニメになるのだろう。「ゲゲゲのアニメ」は、読みながらそんな思いを馳せることもできる好著だった。(「大阪保険医雑誌」26年5月号掲載/一部改稿)

(C)水木プロ・東映アニメーション (C)映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」製作委員会