
米国では、トランプ政権の司法長官人事の承認と「反武器化基金」をめぐり、異例の問題が浮上しました。トランプ大統領の元私的弁護士であるトッド・ブランチ氏は、司法長官への就任に向けて、上院議員から反武器化基金の撤回を求められていました。最終的に基金は廃止され、ブランチ氏は2026年8月8日、上院本会議での賛成50、反対49という僅差の採決を経て、正式に司法長官に就任しました。しかし、問題はそれだけではありません。修正された和解案には、トランプ氏本人や息子たち、さらにトランプ氏の事業について、過去の確定申告に対する税務調査を制限する内容が残されています。はたして、現職大統領とその一族だけが「過去の税務調査を免れる」という異例の扱いは認められるのでしょうか。
トランプ氏とIRSをめぐる訴訟から始まった「反武器化基金」
今回の問題を理解するには、まずトランプ氏とIRS(米国内国歳入庁)、財務省との間で起きた訴訟を振り返る必要があります。
トランプ氏は、自身の過去の確定申告書がIRSから漏洩したとして、IRSや財務省を相手取り、100億ドル規模の損害賠償を求める訴訟を起こしました。
この訴訟の和解をめぐって、当時、司法長官代理を務めていたトッド・ブランチ氏が司法省を通じて提示したのが、「反武器化基金」と呼ばれる基金でした。
和解案では、トランプ氏側が訴訟を取り下げる代わりに、政治的な目的によって司法や政府機関が「武器化」され、その被害を受けたとされる人々を救済するため、18億ドル規模の基金を設立するという内容が盛り込まれました。
しかし、この基金の設立をめぐって、議会から強い反発が起きました。
1月6日議事堂襲撃事件の有罪者も救済対象に?
特に問題視されたのが、基金による救済の対象です。
報道によれば、対象には2021年1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件で有罪となったトランプ支持者らが含まれる可能性があるとされました。
1月6日事件では、多数のトランプ支持者が連邦法違反などで訴追され、有罪判決を受けています。その後、トランプ氏は大統領に復帰すると、事件に関連して有罪となった人々の多くに対して恩赦や減刑を行いました。
そのため、共和党内の一部議員や民主党議員からは、「トランプ氏を支持して議事堂襲撃事件に関与した人々を、なぜ国民の税金で救済するのか」という疑問や批判が相次ぎました。
反武器化基金という名称からは、司法制度による不当な扱いを受けた人々を救済するための制度のように見えます。しかし、そこにトランプ氏の政治的支持者が含まれるのであれば、政府資金を使った政治的な救済ではないのかという疑念が生じます。
そして、今回の問題には、基金以上に重大ともいえる別の条項が含まれていました。
トランプ氏と息子たちの税務調査を免責?
それが、トランプ氏本人とその息子たち、さらにトランプ氏の事業に対する過去の税務調査を制限する内容です。
報道されている修正和解案では、2026年5月19日以前の確定申告について、トランプ氏本人、エリック・トランプ氏、ドナルド・トランプ・ジュニア氏、そしてトランプ氏の事業に対するIRSの税務調査を制限する内容が残されているとされています。
ここが、今回の問題の最大のポイントです。反武器化基金については、司法長官への就任を確実にするため、ブランチ氏が2026年8月2日付で正式な廃止命令に署名しました。
ところが、基金を廃止しても、税務調査に関する条項は撤回されていません。
つまり、表面的には「反武器化基金を撤回したことで問題が解決した」ように見えても、トランプ氏とその一族、事業に対する過去の税務調査を制限するという、より根本的な問題は残ったままなのです。
税務調査の免責が異例である理由
米国でも、確定申告を提出した後にIRSから申告内容について調査を受けることは、特別なことではありません。
申告内容に問題があれば、追加の税金やペナルティーが課されることもあります。これは基本的には、納税者が誰であるかによって変わるものではありません。
ところが、現職大統領やその家族、事業について、過去の申告を税務調査の対象から外す、あるいは調査を制限するような取り決めがなされるとすれば、一般の納税者には認められていない特別扱いになる可能性があります。
しかも、それが訴訟の和解条件として盛り込まれているのであれば、「なぜ訴訟の解決と税務調査の免責がセットになっているのか」という疑問が生じます。
米国の税務専門家や税務弁護士の間でも、こうした取り扱いは極めて異例だとの指摘が出ています。
トランプ氏には多額の税務問題があるとの指摘も
さらに、この問題を複雑にしているのが、トランプ氏とその事業をめぐる税務問題です。
米国では、トランプ氏やその事業について、多額の税金をめぐる問題が報道されています。
報道では、トランプ氏やその事業をめぐり、約7000万ドル規模の追徴課税が問題となっているとの指摘もあります。仮にこれが単年度分にとどまるのであれば、過去の申告全体を含めた税務上の問題は、さらに大きくなる可能性があります。
一方、トランプ氏と息子たちは近年、暗号資産関連のビジネスにも力を入れています。 こうした新たな事業によって巨額の収益が発生しているとも報じられています。
トランプ氏やその家族、事業について税務上の問題が指摘されるなかで、過去の確定申告に対するIRSの調査を制限することになれば、「なぜトランプ氏だけが特別扱いされるのか」という疑問が一段と強くなることになります。
IRS側が和解する必要はあったのか
さらに不可解なのは、今回の訴訟について、IRS側が必ずしも不利な立場にあったとは限らないことです。
トランプ氏の確定申告書を外部に漏洩したとされるのは、IRSの職員ではなく、IRSが業務を委託していた外部関係者だったとされています。
過去にも、IRSの外部委託先に関係する情報漏洩などの問題は起きています。
しかし、外部委託者が違法行為を行った場合に、その責任をIRSそのものが負うのかどうかは別問題です。
過去の裁判でも、外部委託者による不祥事について、IRSそのものに責任があるとは認められなかったケースがあります。
そのため、今回の訴訟についても、実際に裁判で争った場合、トランプ氏側がどこまで勝訴できたのかは慎重に検討する必要があります。
それにもかかわらず、訴訟を取り下げる代わりに18億ドル規模の基金を設け、さらにトランプ氏らの税務調査を制限するという条件が提示されたとすれば、「なぜそこまでの譲歩をする必要があったのか」という疑問が生じます。
修正和解案は本当に成立するのか
もっとも、現段階で注意すべきなのは、税務調査免責の範囲を限定した今回の修正内容が、最終的に成立したと確認されたわけではないことです。
今回の和解には、トランプ氏側だけでなく、その家族や事業関係者、IRS、司法省など、複数の関係者が関わります。
そして、現時点では、基金廃止と税務調査条項の範囲限定を定めた文書はブランチ氏の署名にとどまり、トランプ氏本人や息子たち、事業側が正式に署名した文書は公表されていません。
したがって、「トランプ氏とその家族の税務調査免責の範囲が確定した」と断定するのは早計です。今後、正式な合意文書が公表され、その内容が明らかになるかどうかが重要なポイントになります。
特に注目すべきなのは、反武器化基金の廃止は文書として確定した一方で、税務調査に関する条項の法的な位置づけは、依然としてあいまいなままだという点です。
ブランチ氏の司法長官就任で何が変わったのか
そして、もう一つ大きな問題が残っています。
それが、ブランチ氏自身が司法長官に就任したという事実そのものです。ブランチ氏は、トランプ氏の私的弁護士、司法副長官、司法長官代理を経て、2026年8月8日、上院本会議で賛成50、反対49の僅差により、米国司法省のトップである司法長官に正式に就任しました。共和党からもスーザン・コリンズ議員、リーサ・マーカウスキー議員の2人が反対に回るなど、与党内からも懸念の声が上がるなかでの承認でした。
もちろん、過去に大統領の弁護士を務めていたという事実だけで、司法長官として不適格だと判断することはできません。
しかし、トランプ氏自身が当事者となっている訴訟や、トランプ氏の税務問題に関与してきた人物が司法省のトップとなった以上、「司法省が大統領個人の利益のために利用されることはないのか」という懸念が出るのは当然でしょう。
しかも、今回の和解案をめぐっては、まさにブランチ氏が司法長官代理として関与していたとされています。その人物が正式に司法長官となったことで、司法省とトランプ大統領との距離は、これまで以上に近くなったといえます。
司法取引ならぬ「税務取引」?
トランプ氏は、1987年に出版した著書『The Art of the Deal』で、自身のビジネスにおける交渉術を世に知らしめました。
今回の一連の動きを見ると、巨額の損害賠償を求める訴訟を起こし、それを司法省との和解によって終結させる。その過程で、自らや家族、事業にとって有利な条件を引き出す――という構図に見える部分があります。
もちろん、税務調査条項の最終的な範囲が確定していない以上、「トランプ氏が税務調査免責を手に入れた」と現時点で断定することはできません。
しかし、もし最終的にトランプ氏本人とその息子たち、さらにトランプ氏の事業について、過去の確定申告に対する税務調査が広範囲に制限されることになれば、米国の税制と司法制度に対する国民の信頼を大きく揺るがすことになりかねません。
問題の本質は、トランプ氏個人の利益だけではありません。「誰であっても同じ税法が適用されるのか」という、税制の根幹に関わる問題です。
現職大統領とその家族、事業が、訴訟の和解を通じて過去の税務調査を制限できるのであれば、それは一般の納税者との間に大きな格差を生むことになります。
さらに、その和解に関与した大統領の元私的弁護士が司法長官に就任した以上、司法と大統領個人との関係についても、厳しい検証が必要になります。
日本では、ここまで一人の政治家とその一族の資産・事業、司法、税務行政が密接に絡み合うケースは想像しにくいかもしれません。
しかし、だからこそ今回の問題は、単なる「トランプ政権の特殊な事情」として片付けることはできません。
税務行政は、納税者の立場や政治的影響力に左右されることなく運営されなければなりません。
トランプ氏とその一族に対する税務調査をめぐる今回の和解案は、まさにその原則が守られるのかを問う問題です。
最終的な合意文書がどのような内容になるのか。そして、トランプ氏とその家族、事業に対する税務調査の扱いがどうなるのか。米国の納税者だけでなく、世界の税務関係者からも、その行方が注目されています。
奥村 眞吾 税理士法人奥村会計事務所 代表

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