突然だが、子供の頃や学生時代、クラスに“ものすごくおとなしい子”がいなかっただろうか?

学校では1度も声を聞いたことがなく、周囲から「あのコ、なんで喋らないの?」とか「『あ』って言ってみて!」なんてイジられても押し黙ったまま、いつも目立たないポジションにいて、スクールカーストでは底辺をウロウロしていると認識されるような…。

そんな、全然お喋りしないコ。何を隠そう、記者自身がまさにそんな子供だった。家では家族と普通に話せるのに、学校に行くと別人のようにひと言も話せないーー実は、その症状は「場面緘黙(ばめんかんもく)症」と言い、れっきとした不安症。日本では認知度が低いため、本人すら知らずに成長し、大人になってから自分がそうだったことを知る人も多い。

そこで今回、幼少期に場面緘黙症だったライター・山口幸映(33歳)がその現状を取材した。

■200人にひとりの確率で発症?

まず、基本的な定義について押さえておこう。この症状は米国精神医学会の診断基準(DSM-5)では、不安症のカテゴリーに分類されている。言葉を理解し、話す能力は正常で「人・場所・活動」の3要素によって状態が変化。典型的な症状は“家ではうるさいぐらい話すのに、学校に着いた途端、教師やクラスメイトとひと言も話せない” といったもの。

日本では、0.2~0.5%の確率で発症し、200人にひとりは存在する計算なので、場面緘黙症の子供は学校に1、2人いてもおかしくない。また、2005年施行の発達障害支援法では、この症状は「行動及び情緒の障害」として扱われ、支援の対象となっている。

<場面緘黙症の診断基準>

(1)他の状況では話すことができるにもかかわらず、ある特定の場面(保育園幼稚園・学校など)では一貫して話すことができない。

(2)この症状によって、学業上、職業上の成績または対人的コミュニケーション能力を育むことが著しく阻害されている 。

(3)このような状態が少なくとも1ヵ月以上続いている。(入園・入学時の最初の1ヵ月間に限定されない)

(4)話すことができないのは、話し言葉を知らない、またはうまく話せないという理由からではない。

(5)この症状はコミュニケーション障害ではうまく説明できず、また自閉症スペクトラム障害(ASD)、統合失調症、またはその他の精神障害の経過中に起こるものとは区別する。

従来、この症状は専門家の間でも“成長とともに自然に治る”と信じられてきた。

確かに、子供の頃に場面緘黙症を経験しても、環境に恵まれ、本人の勇気あるチャレンジで症状が改善し、話せるようになった人達は様々な職業に就いている。シンガーソングライターナレーターなど“声”を使って表現する道に進んだ人もいれば、イラストレーターとして活躍する人、記者のようなライターなど書くことで伝える仕事を選んだ人もいる。もちろん一般企業で働く人もいるし、教育・福祉分野の専門職に就いた人も多い。

ところが近年、成人後もこの症状が続いたままの人が存在することが知られるようになった。

富山県在住の加藤諄也(しゅんや)さん(22歳)は、現在でも場面緘黙症の状態にある成人当事者のひとり。2013年には、母親や支援者とともに「場面緘黙を考える会 富山」を立ち上げ、勉強会や交流会を開催している。

加藤さんは周囲の理解を得て、2014年からは新聞配達の仕事を始めた。だが、早朝に自動車で配達していた際、警察の検問を受け、ある「つらい経験」をしたという。

家以外の場所では声を出せない加藤さんは、検問の際、スマートフォンで文字を打ち、その画面を見せて自身が場面緘黙症だということを伝えようとしたところ、スマホを取り出す動作を不審に思われてしまい、強く詰問されてしまったのだ。それ以来、加藤さんは筆談用の紙とぺンが手放せなくなってしまった。

ある場面で、声を出そうにも本当に“話せない”、自分の意思ではコントロールできない状態を当事者達は以下のような言葉で表現する。

「シャッターが降りた状態」、「話す機能がシャットダウンするみたい」、「まるで人形や地蔵になったかのよう」、「自分の意思とは無関係に、条件反射的に声が出なくなる」

ただの“人見知り”や“引っ込み思案”と誤解されることもあるが、一番の違いは学業や職業に支障を来たすほど症状が強く、1ヵ月以上~数年の長期にわたって継続することだ。

そして社会的な場で“話せない”ことにより、助けを求めることができないのはもちろん、「自分の気持ちを伝えられない」「就職や結婚なんて考えられない」など、やりたいことができない、自分の能力を発揮できない状態に陥る。

つまり、場面緘黙症の問題は“話せない”といった表面的なことにとどまらず、それゆえに社会的な場でQOL(生活の質)が著しく低下してしまうことにある。

■目に見えない“後遺症”

順調に回復し、なんの問題もなく社会生活を送る場面緘黙症経験者がいる一方で、発話ができるようになった後も“後遺症”の苦しさを訴える経験者も少なくない。

現在はシンガーソングライターとして活動する若倉純さん(37歳)はこう言う。

「私の場合、『場面緘黙症を克服したシンガーソングライター』と呼ばれたこともあるんですが、自分では『克服した』なんて思えないですよ。確かに、今は人前でも話せるようになっているから、一見、治ったように見えるかもしれませんが、今でも人とコミュニケーションをとるのが苦痛な時もあるし、電話だっていつも家族に出てもらっているぐらいです。家族以外の前では“おとなしい自分”しか出せない、本当の自分が出せないんですよ」

記者が初めて若倉さんに会った日を思い出した。あの時は複数グループだったためなのだろう、ほとんど会話に入らず、ほぼ無言だった記憶がある。今回の取材のように1対1の場で質問に答える形式なら全く問題ないのだという。

若倉さんが発症したのは小学校3年生の時。ピリピリした雰囲気のクラスの中で不安度が高まり、気が付くと話せなくなっていた。先生やクラスメイトに話しかけられても首を縦に振るか横に振るかで応えていた。中3からは不登校になるが、高校3年間はずっと自宅にこもり、通信教育で勉強した。

「話せるようになったのは大学に入ってからです。といっても、いきなりペラペラ話せたわけではなくて、最初は聞かれたことに答えるくらいだったと思います。大学の自由な雰囲気が自分にすごく合っていて、不安が軽減したんじゃないでしょうか」

環境の変化を追い風に症状が改善していった若倉さんだが、話せるようになった後、社会に出てから困難さに直面した。

大学院を卒業後、ソフトウエア開発の仕事に就職しました。入社当初は指示通りにプログラムを作れば良かったのですが、年次が上がるうちに顧客との交渉や提案、自分の能力以上の仕事も求められるようになったんです。上司とコミュニケーションを取るのが苦痛で、誰にも相談できずに自分ひとりで抱え込んでしまって…9年ほど働いたのですが、そのうち鬱(うつ)状態になってしまったんです」

実は、場面緘黙症という症状名を知ったのは、自宅で療養していた35歳の頃。精神科では社会不安障害と診断されていたが、一向に治る気がしない。少しでも良くなる方法を知りたくてネットで調べているうちに見つけたのだという。

若倉さんのように、成人後に症状を知った人のほとんどが“自分の性格のせいではないと知って、ホッとした” という感想を述べる。

「“話せない”つらさって、他人からは見えないから、『甘え』とか『気持ちが弱い』という言葉で切り捨てられてしまう。でも、場面緘黙症の人が人前で話す時に感じる恐怖って、普通の人が感じるような緊張感とは、ケタ違いのレベルの恐怖や苦痛だと思うんですよ。それを、ただの“人見知り”というのは誤解です。だって、人見知りの人は最初のうちだけで、だんだん慣れていくでしょう? でも私の場合は、いつまでも慣れないままで自分を出せない状態がずっと続くんです」(若倉さん)

以前から音楽が好きだったが、2014年から「場面緘黙症を知ってもらうきっかけになれば…」と、自身の経験を基に曲を作り、シンガーソングライターとしての活動を始めた若倉さん。その歩みは、今始まったばかりだ。

●この記事の後編は明日配信予定。当事者同士の情報共有も不十分な中、支援団体が全国各地で誕生する動きも…。

(取材・文/山口幸映)

■監修:角田圭子(臨床心理士/かんもくネット代表)

■場面緘黙児支援のための情報交換ネットワーク団体「かんもくネットHPをご確認ください。http://kanmoku.org/index.html

■「場面緘黙(ばめんかんもく)症」とは…





家庭では問題なく話せるにも関わらず、保育園幼稚園、学校など特定の『場面』で発話が見られない状態が1ヵ月以上の長期にわたって続く症状のこと。米国精神医学会の診断基準(DSM-5/精神疾患の分類と診断の手引)では「selective mutisum(選択性緘黙)」と呼び、不安症のカテゴリーに定義されている。何かのショックで話せなくなる「トラウマ性緘黙」や、声が出なくなる「失声症」とは区別する。自閉症スペクトラム障害(ASD)などの発達障害や、吃音(きつおん)症等、言語発達の問題と併存する場合もある。

クラスにいた“喋らないコ”…大人になって今も苦しむ「場面緘黙(かんもく)症」とは?