投票日はテレビっ子にとってお祭りの日である。

午後8時ちょっと前。テレビ各局が特別編成に入る。時報と共に明らかになる出口調査の結果。その瞬間に始まるリモコン片手のザッピング。選挙特番をあれこれ比較しながら楽しむ夜の始まり。

そのお祭りがまたやってきた。第24回参議院議員通常選挙、投票日の7月10日だ。

牙をむく「ジャーナリスト池上彰」


お祭り、と言ったものの、選挙特番は基本「代わり映え」はしない。同じ情報を同じ時間帯に生放送するのだから無理もなく、内容は開票速報、各陣営との中継、党首のインタビュー、専門家による分析……といったところ。

だからこそ視聴率を取るためには「他局とどう差別化するか」を工夫せねばならない。番組セット、テロップ、キャスティング、プチ情報などなど、ここを変えてきたのかーと気がつくのが楽しい。

近年、この「差別化」を大胆に行ったのがテレビ東京だ。

2010年7月の参議院選挙テレ東は新たに池上彰をメインキャスターにした『池上彰の選挙ライブ』を放送した。2010年は「いい質問ですねぇ」が『ユーキャン新語・流行語大賞』のトップテンに入った年。池上さんに対する世間のイメージは「週刊こどもニュースのお父さん」「説明がわかりやすくて物腰が柔らかい人」だった。

ところがこの日、画面に現れたのは「ジャーナリスト池上彰」だった。
子供に優しくニュースを教えていたお父さんが、大物政治家相手に「いい質問」をガンガンぶつけたのだ。

安倍首相に「今回の選挙でアベノミクスのことはずいぶん訴えられたのですけれども、集団的自衛権の憲法解釈、こういったことをあまりおっしゃっていなかったように思うんですが?」
公明党山口代表に「公明党って池田大作さんの党なんだという印象を受けるのですが、いかがですか?」
石原慎太郎に「そういうことを言うから暴走老人と言われるのでは?」

「池上無双」の始まりである。

「家族で楽しめる選挙特番」を


6月に上梓されたテレビ東京報道局統括プロデューサー・福田裕昭による『池上無双 テレビ東京報道の「下剋上」 』(角川新書)には、テレ東池上彰選挙特番の裏側が語られている。

テレビ東京は他の民放に比べてキー局が少ない。取材人員や中継車も圧倒的に足りない。その結果、「開票速報」を打つための判断材料が少ないので、速さと正確さで戦うと確実に負けてしまう。

速さの勝負を諦めたため、以前はテレ東選挙特番午後8時スタートではなく、大勢が判明した後の遅い時間から放送していた。他の局がやらないことを、と、俳優を使った「政界ドラマ」などを作るも視聴率は伸びず、在京キー局最下位が定位置

《そこに池上彰さんがやってきました。「家族みんなで楽しめる選挙特番をやりましょうよ」、そんな問いかけでした。そこから「いままでにない選挙特番つくり」が開始されました。ここでも、「他がやらないことをやろう」が合言葉です(P.20)》

池上さんには勝算があった。他局の速報合戦の無意味さを見抜いていたのだ。午後8時、出口調査を元にした獲得議席予測の発表によって、視聴者は一瞬で選挙の結果を知ってしまう。すると、その後の開票速報には興味を失ってしまう。

《そのことに気づかない他局は、速報合戦に全力です。他局より一刻も早く当選確実を速報したい。当選確実を出した候補者数で他局を引き離したい。この努力が視聴者に支持されていないことに気づかないのです。(解説より)》

「速さ」で戦えないなら「わかりやすさ」で戦えばいい。

『選挙ライブ』は、舌鋒鋭く政治家に切り込む池上さんが名物となっている。しかしこの本を読むと、高視聴率の源は「池上無双」だけではないのがわかる。軸にあるのは「わかりやすさ」。その試みの一つが「当確者プロフィール」だ。

「車庫入れが苦手」わざと脱力させる当確者プロフィール


選挙特番では、当確者が出ると画面に速報が入る。名前や所属政党など簡単なプロフィールが表示されるが、『選挙ライブ』ではさらに1〜2行思わず脱力してしまう内容を表示している。『池上無双』に載っている「傑作選」から抜き出すとこんな感じ(年齢・肩書・所属は放送当時のもの)

岡田克也 民主党執行部代表 車庫入れが苦手》
石破茂 自民 鳥取1区 家族が一緒の旅行を嫌がる》
《山口泰明 自民 埼玉10区 高校時代は「生物部」 水と間違えエーテル飲む》
《長浜博行 民主 千葉 ヨネスケに“晩ご飯”でタイカレーを振るまった》
《稲津久 公明 北海道10区 強風でも髪型が崩れない!》


履歴書に乗らない、余計なお世話な情報ばっかり。このプロフィールは、国会議員になる人がどんな人物か、表面的な情報ではないものを伝える意図で作っているとのこと。池上さんもこのプロフィール作成に携わっているそうだ。

本書では触れていないのだけど、このプロフィールは視聴率向上にも役立っているのではないかと思う。当確情報は番組の流れに関係なく、常に画面左下に出続ける。プロフィールは文字数も少なく、一瞬で目に入る。他の番組からザッピングした人は「プッ」と吹き出して手を止めてしまう。「流れ者」を引き止める効果もあるのではないだろうか。

「職業としての政治家」「職業としてのジャーナリスト」


他にも『池上無双 テレビ東京報道の「下剋上」 』では、スタジオ解説用の模型や、池上彰テレ東女子アナによる選挙戦バスツアー、地方遊説する候補者へ直撃取材など、テレ東選挙特番の取り組みを振り返っている。

『選挙ライブ』は2012年12月にギャラクシー賞優秀賞を受賞。最下位だった視聴率は、2013年7月の参院選特番で在京民放1位に。2014年12月の衆議院総選挙では、21時台にNHKを抜き去って、遂に在京テレビ局1位にまで上り詰めた。

今や「池上無双」は政治家の間でも恐れられ、質問をキャンセルする候補者もいるという。巻末に収録された池上さんの解説では、そんな候補者に厳しい言葉を投げている。

《厳しい質問に逃げ出す候補者には、「職業としての政治家」への気構えが感じられません。厳しい質問を投げかけることで、その候補者の本質を引き出す。それが、「職業としてのジャーナリスト」の仕事。これが福田君との暗黙の共通理解です。》

今回の参議院選挙では、7月10日夜に『池上彰参院選ライブ』の放送が予定されている。池上無双の切れ味をまた堪能できそうだ。

ちなみに池上さん、解説で著者に対してこんなことも書いている。

《本を書くことの大変さを、これで知ってくれれば、出版の予定に無頓着にテレビ番組の企画を持ってくる彼の態度に変化が起きることを期待するのですが。》

池上無双は身内にも容赦しないのである。

(井上マサキ
福田 裕昭+テレビ東京選挙特番チーム 『池上無双 テレビ東京報道の「下剋上」』 (角川新書) 著者名よりも池上さんの名前のほうが大きい。