かつて、ボブ・ディランが「大して意味のない歌詞を、他人が勝手に深読みしてる姿を見るのは楽しい」(注:うろ覚え)なんて笑っていて、その不意を突くタネ明かしに思わず脱力したことがある。

っていうか多くの伝説って、実はそんなものなのかもしれない。そして、ディランと全く同じことを、実は有吉弘行が口にしている。
「僕からすると、前と同じように下ネタも悪意もまきちらしてますけど、最近は勝手にみんな、いいように解釈してくれるんですね」
これは、4月22日双葉社から発売された新刊『毒舌訳 哲学者の言葉』(著・有吉弘行)の冒頭に書かれている一説。驚いた。有吉が、いつの間にかディランと同じ域にまで辿り着いていたなんて!(いいように解釈)

ちなみに、有吉は哲学を以下のように定義している。
「哲学とは、変わり者の人が適当に言ったことを、なんとか普通の人たちが解釈してあげて、無理やり“わかるわかる”と納得してあげてるもの」
同書で、有吉は哲学者の言葉を彼なりのやり方で“わかるわかる”してあげている。それが、いわゆる「毒舌訳」。
100個にも及ぶ哲学者の名言、彼はどんな風に訳したのか? 順を追って、見ていきたいと思う。

まずは、ニーチェの言葉から。「なんじの敵には軽蔑すべき敵を選ぶな なんじの敵について誇りを感じなければならない」
正直、私は「なるほど……」とグッと来てしまったのだが、有吉相手にそうはいかなかった。
「なんか言ってることが『少年ジャンプ』っぽい」
「この人、一生童貞だったんですよね。やっぱ童貞の考え方ですよ」
「僕の場合、深夜のゆる~いバラエティ番組で、バカなアイドル相手にして、ひと言ふた言ツッコんで笑いを取るっていうのが最高に効率のいい仕事です」
クソミソに言った挙句、毒舌訳は「戦うなら絶対に勝てる相手を選ぶこと」。ニーチェと有吉は全く相容れなかった。

それは、「人生には進歩と退歩の2つしかない 現状維持とはつまり退歩している証なのだ」(ニーチェ)に対する有吉のリアクションからも明らかである。
「真逆です。現状維持は進歩です。退歩どころか進歩してます。確実に」
「芸人が飽きられないように、お笑い界でポジションを維持していくのがどれだけ難しいか」
「『レギュラー番組3本あるから、これ維持しとけば楽して喰えるな』って楽勝で構えていると、結局飽きられて、その3本ともなくなるっていう」
「その点、ダチョウ倶楽部は究極の現状維持トリオです」
と、文脈がニーチェ批判からいつの間にか“ダチョウ倶楽部リスペクト”に突入。ニーチェよりもダチョウ。こちらは竜巻に巻き込まれた気分である(竜兵だけに)。

ただ、良いものは良いということだろうか? ニーチェの「若い頃からモテてきた男の想像力は犬以下である」という言葉に対し、時にこんな理解を示してみせるから気が抜けない。
「つまりコレ、逆に言うなら『草食系男子オナニーすごい!』ってことです。『草食系』なんてカッコよく言われてますけど、結局は女と縁がないモテない男ってことですから。そういう草食系男子オナニーほど、実はすごい。肉食系みたいに直接行動に出ないぶん、内にこもって、とんでもない妄想に耽ってるっていう」
「さすが、童貞のニーチェはその辺よくわかってますね。ヤリチンの男に対するやっかみの精神も感じられて、かなりの名言です。評価します」
大絶賛じゃないですか! この言葉に対する毒舌訳は「草食系男のオナニーすごい!」でした。

そして、名言といえばこの人。かのプラトンは「エロースとは美を求める愛である」なる言葉を発しているのだが、有吉はちっとも認めていない。
「こういうことを奥さんに言うとブン殴られますよ。『エロースとは美を求める愛である』、『浮気しといて何よ!』」
「『不倫は文化である』と同じ。ただ単に石田純一みたいなこと言ってるだけでしょ」
プラトンを石田純一扱いしてしまった。毒舌訳に関しても「『不倫は文化である』と同義語」と、もう台無し。

ただ、有吉の売りは“攻撃性”だけではないだろう。「俺なんて何者でもないんだ」と卑下する彼の心の闇から香る、ほのかな色気。これが、何とも言えない魅力につながっていると思うのだ。
それが顕著に表れているのは、「万物は流転する」というヘラクレイトスの言葉に対しての反応だった。
「人気とは……信用できないもの。」としか言葉を発さず、最終的には「人気は流転する」と訳してしまう彼氏。心の傷に塩をまぶしてしまったのだろうか? ……っていうか、どこが“毒舌訳”だよ!

心の闇と言えば、有吉は“性”に対しても一家言あるようだ。
何しろ、「苦しみをともにするのではなく、喜びをともにすることが友人をつくる」というニーチェ(またしても)の言葉に対し、唐突に「風俗だけです、僕が本音を出せるのは」と不思議なカミングアウトを披露。
「彼女とか奥さんとか、どうしてもガマンできなくて、本当の自分を出しちゃったら、その瞬間に、すべてがガタガタ崩れ落ちちゃいそうでしょ」
「その点、風俗嬢っていうのは、『俺、実はこういうプレイが好きで』って言ったとしても、結構受け止めてくれるような気がするんですよね」
と、男の弱い部分を見せて哀愁を誘う。この言葉に対する毒舌訳は「風俗嬢の親友求む!」である。

有吉は、風俗を引き合いに出す手法が得意だ。かのサルトルの「人間は自由の刑に処されている」という言葉にも、
「結構いいSMクラブを見つけられれば、この手の不満は解消されると思いますけどね」
「いい女王様と出会ってないんでしょうね」
「ヤリチンなんでしょ、きっと」
と、その斬新な解釈に目まいが止まらない。毒舌訳は「自由を持て余している人にはMコースがオススメ」であった。

そして、これは欠かせない。“生”カテゴリにスポットを当ててみたいのだ。有史以来、類を見ないほどの返り咲きを果たしたピン芸人有吉弘行。今を生きる彼は、“生”に対しても慧眼の持ち主だった。

まず「悲しむことはない。今の状態で何ができるかを考えて、ベストを尽くすことだ」(サルトル)の言葉が、彼は納得できない。
「じゃあ、たとえばミュージシャン目指してる人がコンビニバイトしてるときに、『今の状態でベストを尽くそう!』と思って、そこでベストを尽くしちゃうと、コンビニの店長になっちゃう」
「よくいますね、こういう愚かな人」
と、真っ向から否定してみせた。これ、わかるなぁ……。毒舌訳は「尽くさなくていいベストもある」でした。

フランシスベーコンの「知は力なり」に対しては、「体鍛えてないヤツの言い訳のように聞こえる」とバッサリ。
「他者とは地獄である」(サルトル)には、「なんか『SPA!』の見出しっぽい」、「完全に見出し勝負。意外と読んでみると、たいしたこと書いてないっていう」と、違う意味で気持ちの良い一撃を。
神は死んだ」(ニーチェ)には、旬の話題を交えてブッタ斬ってみせた。「『神は死んだ』って言うわりには、『神7』とか、その辺にいっぱい神はいる」、「結構、最近よく見かけます」。

そして最後に、この言葉を取り上げさせてください。「美徳を備えた人間とは、裸一貫で勝負する、いわば(精神的に)たくましい人のことである」(ルソー)
裸といえば、やはり有吉の中ではこの人なのだろうか?
「上島さんひとりの存在で、この言葉は否定されます」
「確かに、上島さんは裸一貫で勝負してます。勝負してはいますけど、精神的にたくましいかって言ったら、たくましくないんですよね。美徳もないです」
上島竜兵は裸一貫で勝負するけど、美徳もないし、たくましくもない」
何というか、形を変えた竜ちゃんに対するラブレターだと思うのは、私だけだろうか? 哲学を突き詰めると、なぜか太田プロの魅力に行き着いてしまった。
(寺西ジャジューカ)

『毒舌訳 哲学者の言葉』有吉弘行/双葉社 有吉は、ニーチェを「キ○ガイで童貞」、サルトルを「ヤリチン」、ベーコンを「ロリコン」、ルソーを「露出狂で強姦未遂」としか考えていない模様。