艦隊これくしょん-艦これ-』や『刀剣乱舞-ONLINE-』など数多くのヒット作を世に送り出してきた「DMM GAMES」が新たに発表した『社にほへと』。からのリリースを予定して、事前登録が始まっているこのタイトルは、神社擬人化した「社」なる美少女キャラクターが登場する。

 事前登録をすると、毎日1回おみくじを引くことができ、「伏見稲荷」「鹿島」「春日」などのキャラクターを引き当てることができる。だが、そこには神社神道への理解、そして畏敬や信仰への畏敬を疑わざるを得ない面が見受けられる。「おみくじ」を引くと、大吉からまでがキャラクターレアリティによって分類されている。つまり、特定神社は大吉、あるいはと分類されているようである。

 信仰心や日本における神社の存在理由を少しでも知っていれば、ここにえてはいけない線を越えていることを感じるのではないか。取材に応じてくれた神社本庁の担当者も、おみくじを見て「これはちょっと……」と顔を曇らせる。

 また、の「おみくじ」を引くと登場するキャラクターに割り当てられた石清水八幡宮に話を聞いたところ「(神社の名前を)使用したい等の連絡は来ておらず、まったくの断使用」というのである。

 ところが、当の「DMM GAMES」にも話を聞いたところ「本ゲームは『神社』をイメージした“フィクション”である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません」という。そして「おみくじ」についても「結果の運勢に『社(やしろ)』が紐づいているものではない」というのである。

 これを、どういう形で書くべきか。庸なニュースサイトのごとく、センセーショナルな部分のみをクローズアップして記すだけで、終わってはならぬように思った。すると、筆は勝手に走り続けたのである……。

 昨年、縁あって御柱をく機会を得た。

 御柱祭の年、諏訪大社御柱祭が終わった後の諏訪神社では地域の人々によって、それぞれ御柱祭が催される。地域の人々によって山から切り出された御柱は、地域中でかれ、内に建てられるのだ。

 そうした神社のひとつに、岡谷市の洩矢神社がある。数年前のに、私は偶然神社を訪れて、驚いた。普段は人もいない神社に設置された絵掛には、いくつものキャラクターを描いた絵が設置されていたのである。

 そう、この神社ゲームに『東方Projectシリーズキャラクター洩矢諏訪子ゆかりのある神社だとされ、多くのファンが訪れるところになっていたのである。

 いったいどのようなファンが集まっているのだろうか。たまたまTwitterで見つけた地元の人に聞いたところ、大みそかのには、地元の人々によって絵手などの頒布も行われるという。ならば、ファンも集っているのだろう。私は、現地に行ってみることにした。

 2014年の大みそか。私のほか、わずかな客だけを乗せて走る中央本線各駅停車

 上諏訪まで高速バスで行き、そば千(上諏訪近くにあったコンビニ合体した、立ち食い蕎麦屋)で年越し蕎麦を食べた後に向かおう。そんなスケジュールを考えていたのだが、行ってみると店は閉まっていた。年越し蕎麦を食べ損なったガッカリ感にどうしようもない気持ちを抱えたまま、を降りると、しんしんと降り積もっていた。

 から洩矢神社へは、地とは逆方向のを進むことになる。も歩いていないは、ただただ深かった。

 そんな20分あまり。うっそうとしたに包まれた洩矢神社は、化粧を施されて、に訪れたときとはまったく違う風景を見せていた。石段のには、提が並び新年への期待と厳粛な空気とが混じり合い、幻想的な雰囲気に包まれていた。

 石段を昇ると、普段は閉ざされている社殿は開かれ、その横に設置されたテントでは、地元の人たちによって手と破魔矢の頒布も行われていた。そして私の姿を見ると、待ってましたとばかりにコップに注いで勧めるのである。まったくの下戸である私だが、ひとまずは口をつける。下戸なのに、まったく酔わない。それほど、あたりは寒いということに気づいた。

 めて寒さを感じながら、頒布されている手や破魔矢を見る。驚いた。破魔矢には300円と書かれていた。おみくじ100円。前に訪れたときには、絵掛けの横に積まれ100円賽銭箱に入れるように案内されていた絵は、無料で頒布されていた。安さには驚くが、決して値段の高い低いの問題ではない。本来は、地元の人のために頒布するものだからの値段なのである。けなど関係なく、神社への崇敬の念で、このような値段になっているのだろう。だからといって、ふと訪れただけの私にも、分け隔てなく頒布してくれた。ただ、それだけのことなのだが、そこに何か神社の暖かさというものを感じた。

 さて、内を見渡すと地元の人にまじって「東方民」は10人あまりだったろうか。それぞれ、ファン同士で交流したり、地元の人と会話を交わしていた。

 そんな風景を眺めているうちに、年が変わると打ち上げ花火が上がった。それが合図だったのか、地元の人々がどっと神社に押し寄せてきた。それぞれ、新年の挨拶をして縁起物を手に戻っていく。それが、この地域での大みそかから新年にかけての過ごし方のようだった。

 そんな混雑も30分あまり。すぐに内には静寂が戻る。さて、これからどうしようかと考えた。東京のような異常大都会とは異なり、新年を迎えるに営業している店など、ほぼあり得ない。いまだに十代のときと変わらず野宿を楽しんでいる身ゆえ、のあたりで始発まで寝ようかと考えていた。あるいは、諏訪湖ほとりを歩いて下社への参拝くらいならできるだろう、と。

 そんな時「東方民」の一人に、をかけられた。

「一緒に、回りませんか」

 そうをかけてくれたのは、長野県在住の男性であった。彼は「せっかく来てくれたんだから」と、で上下の四社、さらに御頭御社総社と手長神社まで案内してくれた。中、彼は仕事の合間にさまざまな神社を参拝していることを聞いた。ゲームをきっかけに、神社への関心を高める人も増えているのだろうか。そんなことを考えた。

 神社に限らず、マンガゲームがきっかけに、違う何かが芽生える人々の姿は、それまでも見ていた。からさらに先、飯田線の沿線にある伊那市飯島町が、そうだ。そこは、『究極超人あ~る』の「聖地」として知られる土地である。ここで2012年飯田線開業100周年を記念した行事の一環として、作品のアニメ版で描かれた飯田線田切から伊那市までを自転車で走るイベントが開催された。参加者は申込みの上で、自転車を持参して田切集合。そんなハードルの高い催しにも関わらず、見物も含めて集まったのは100人あまり。以来、このイベントは毎年の恒例行事となった。

 詳しくは別に書こうと思っているが、そこでは、マンガアニメを軸にした「聖地巡礼」や地域起こしとは違うことが起こっているのを感じる。今でも参加者の紐帯が作品であることには、変わりはない。でも、参加者の多くが、作品をきっかけにして地域の魅を知り、何もないときにでも、ふらりとを訪れるようになった。私も、その一人である。東京で、事務所の傍にあるコンビニの「ローソン」が、那名物の「ローメン」に見えてしまうほどである。「いつかは、このあたりに住もうか」そんなことを、考えている人も増えている。

 だから、ゲームをきっかけに神社を訪れて、その魅を知り、信仰心や知的欲求を高める人もいるのは当然だと思った。何しろ洩矢神社はただ単にゲームモデルとされた神社などという軽々しいものではない。諏訪の伝承では、そこにられるのは諏訪の土着であり、ミシャクジ様とも同一視される洩矢。その土地に、譲りの際に、天津に抗した建御名方出雲を追われ、この地へとやってきた。ここで出会った二柱のは争った後に和解した。そして、建御名方は祭となり、洩矢神の子孫は明治まで、諏訪神社上社の長官となった。その神の子孫である守矢は今も続き、その自宅がある茅野市長官守矢史料館には、歴史現在も続く信仰を伝える資料が展示されている。

 諏訪歴史や信仰は、それだけで何冊も本が書けるほどなので簡潔に記したが、自ずと畏敬の念の湧き上がるものだと思う。

 前述の大みそかの参拝の際には言葉を交わす機会を逸したのだが、しばらく後にネット経由でT氏と知り合った。初めて出会ったのは、その年の例大祭を訪問したときであった。ゲームファンだと思っていたT氏は、法被を着て地元の人と一緒に働いていた。なぜ、そこまで地元に染んでいるのだろうかと、驚いた。聞けば、ゲームモデルが洩矢神社だと、ファンの間でささやかれ始めた頃に、彼は一人で、この神社を訪れたという。やはり、行事のないときの神社には人もおらず、当時は絵もなかったという。そこで見つけたのは、神社の案内に記された例大祭の日時であった。何も情報がないまま、T氏は例大祭の日に神社を再訪した。その日はちょうど大の日だったという。事を行っていた地元の人たちは、ともわからぬT氏を、に濡れないところに案内してくれたのだ。それから、数年。埼玉県から通っているT氏はすっかり地元に染んでいる。

「大社にお詣りするよりも、こちらにお詣りする機会のほうが増えましたね」

 そして、諏訪の地域の信仰の魅るのだ。変わらずゲーム好している。けれども、もはや東方ファンというよりは、洩矢神社ファン、信仰者というのが、彼の偽らざる姿である。

 だが、人が増えれば必ずしもすべてが明るい方向にはいかない。昨年、大社の御柱祭が終わった頃から、T氏と幾度も話をしていたのは、洩矢神社御柱祭のことである。私は、ぜひこの祭りに参加をしてみたいと思っていた。けれども、単なる「にわか」が「祭りがあると聞いて来ました」と参加してよいものだろうかと、畏れがあったのである。

 というのも、人気ゲームの「聖地」として注を集めることに対する地域の人々の想いには、複雑なものを感じていた。例大祭や、大みそかに参拝したときには、分け隔てなく歓迎してくれる。洩矢神社を管理している地元の自治会の神社委員の人たちは、各地から参拝に来てくれる人のために、絵だけでなく御守りまで、つくるようになった。それは「聖地巡礼」でありがちな、作品の舞台になり人が集まるようになったので、ここらで一けしよう、地域を活性化させよう、なとどいうものではない。あくまで、遠くから神社に参拝に訪れる人がいることの喜びから始まった自発的な活動だ。

 つまり、体は神社であり、ゲームは従に過ぎない。その親切心にあぐらをかいてはならないと思っていた。そもそも、ゲームモデル、すなわち創作の材料とされ、制作者の創造の趣くままに使われていることが、単純に喜ばれているとは思えなかった。

 前述の守矢現在の当は、第78代の守矢早苗氏である。サイトニコニコ大百科」などでは、『東方Project』中に登場するキャラクター東風谷早苗の「元ネタ」は、この人だと書かれている。さらに、制作者自らゲームに出す許可を取りに行ったと記しているサイトもある。自身がキャラクターとされていることや、ゲームファンが訪れていることをどう思っているのか。自ずとそんな疑問が沸いた。

「お会いする機会があれば、来てみたい」と言ったところ、T氏には止められた。さらに、本人とも交流のある地元の郷土史研究団体の人は「それは、止めておいたほうがいい」と、苦い顔をする。何かしらの形で許可は出したようだが、必ずしもゲームによい印を抱いているわけではないことは、容易に感じ取れた。

 ここは神社であって、作品の聖地でも観光地でもない。だから、洩矢神社御柱祭も人が来るのは歓迎するけれども、大っぴらに宣伝するようなものではないというのが、地元の人々の考えのようだった。

 それでも、Twitterなどに流れた洩矢神社に掲示されている事の日程表などを見て、里きには十数人の「東方民」の姿があった。そこで、私は、もしも公式サイトなどを立ち上げて、大々的に宣伝すれば、予想だにしない事態が起こるであろうことの片鱗を見てしまった。

 今回の御柱祭9月に山出しを終えたあと、10月9日に里き。そして、翌日に建御柱というスケジュールだった。てっきり、いているフリだけしておけばよいのかと思っていら、甘かった。柱も太いが人数も多い大社とは、まったく違った。地元の人たちを中心に、かなり必死かねばならない、けっこうな重労働であった。御柱の進む先では、沿の住民が振る舞いを用意して待ってくれているが、なかなかそこまでは進まない。一度神社に集まってから、御柱まで向かうときは「案外、短い距離だな」と思った。でも、まったくそんなことはなかった。加えて、坂もありは曲がっているために、なかなか先が見えない。

 日頃の運動不足を恨みつつ、きながら、こんなことを考えた。このような大変な行事を、地元の人たちは7年に一度行っている。それは、なぜだろうか。単に伝統だからとか、そんな単純なことでできるものではない。観光客が来てかるわけでもない。資本主義にまみれたアメリカドライな見方をすれば、なんら個人が利益を得る行事ではないのだ。にもかかわらず、地元の人が集い絶えることなく事が続いている。それは、神社が単に人が拝み、神様が何がしかの御利益をくれるギブアンドテイクの関係の場所ではない存在であることを、教えてくれた。

 その里きで、S氏と知り合った。Facebookで私が来ていることを見つけた那の友人が「その地区にSさんという、諏訪信仰に詳しい方がいるので探しなさい」と連絡をしてきた。T氏に「Sさんって、どの人?」と聞いたら、の前にいた。

 地域の信仰や歴史について、さまざま話をして、翌日の建御柱に守矢早苗氏が来てくれるという話になった。ご挨拶することはできないかと尋ねると、S氏はタイミングを見て繋いでくれることを約束してくれた。

 翌日、小の中で建御柱の事は、始まった。先を切ってらせて、木遣り唄の中を慎重に建てていく。その最中に、早苗氏に挨拶をする機会を得た。長く教師をしていたという早苗氏は、まったく気取るところもない親しみやすさのある女性であった。しかし、同時に本人や周囲の人々の立ち振る舞いからは、そこにある連綿と続いてきた信仰と歴史とが一人の人間を通じて、止めどもなく溢れているように感じた。々しさなどとはまた違う、言葉では表現できないもの。遠い祖先から続く人間の営み。その積み重ねが、一人の女性を通じて現れ出ているのだ。そこに、畏敬があるのは当然であった。

 けれども、集っている中には、別のものが見えている人もいた。前日から、初めてやって来たことに奮気味だったゲームファンの若者が、早苗氏にノートを取り出してサインめ、周囲の人に止められていた。それはまだ、気持ちがわからなくもない。若さゆえの過ちかもしれないからだ。

 でも、もうひとつ、見たくはなかったものを見てしまった。御柱の先をらせるときにできた木片に、サインめる人物もいたのである。この人物は、岡谷市内の別の地区の住人だと聞いていた。曲がりなりにも、地域に住みながら、どうしてそのような行為ができるのか、不可解であった。

 後日、この人物が「自分は、天照大神と話ができる」などと喧伝して、さまざまな神様を込めた勾玉を販売したりしていることを知った。さらに、この人物が長野県白馬村にある、やはり『東方Project』の「聖地」だとされている神社地震で倒壊したために再建の事業を手伝っていると聞いた。何か違和感を覚えて本人のFacebookを見てみると、勾玉を販売したりする傍らで、仮想通貨ビットコインの勉強会を開催したり、情報商材を販売していることもわかった。それは、ゲームファンに注されている神社に関わることに、ビジネスチャンスを見いだしているように見えた。

 そこで、本人に尋ねてみたところ「私は手助けしたい一心で動いている」と言いり、筆者の取材を再建の妨とまで、非難してきたのだった。この件は、昨年別に記事にしたが(http://otapol.jp/2016/12/post-8967.html)、この人物によって作成された「洩矢神社公式ホームページ」は、この事件の後に、地域の神社委員の管理へと移行している。それでも、この人物はいまだに神社神様ビジネスの場にしようと蠢いていると聞いている。近年、新聞やテレビでも当たり前のように報じられるマンガアニメ発の「聖地巡礼」。そのと影の両方を、洩矢神社にはあった。

 これまで、いくつもの「聖地巡礼」を体験し取材してきた。それは、必ずしも歓迎されるものではなかった。それは、時として地域の生活に負の要素をもたらす。人が増えれば、必ずしもよい人ばかりはやってこない。むしろ、迷惑な人や怪しげなビジネス企画する人は、ここぞとばかりに寄ってくる。

 神社は、そうした人々が土足で踏み入ってよい場所であるはずがない。

 実のところ『社にほへと』は、さまざまな問題のほんの一部に過ぎない。神社マンガアニメの舞台となり「聖地巡礼」する人々が集まっている。あるいは、神社の中にも、作品とのコラボをしてマンガアニメファンに盛んにアピールをしているところもある。こうした話題のネガティブな面が報じられることは、極めて少ない。いわゆるオタクメディアの書き手は、そうしたネガティブな面を、私よりも知っているはずだ。けれども、そうした人々の多くは「御用」であることを相争い、を背ける。

 だからこそ、めて神社の存在理由や、神道というものについて、詳しく知りたい、ひとつの文章にまとめなくてはと思った。

 そこで、神社本庁アポイントメントを取った。神社本庁は、日本でもっとも多くの神社が加盟する宗教法人として知られている。ただ、キリスト教における教皇庁のような教義やら何やらを隅々まで導する総本山ではない。あくまでも、全の多くの神社が相互に協し連絡しあうための組織といえる。

 ただ、そうした役割は必ずしも正しく理解されてるとは言い難いと思う。やはり、総本山的な理解をしている人は多いし、昨今、左翼的な思想の人は政権批判と絡めて、その存在までをも批判する。これまた、神道への理解や、信仰というものが失われていっていることを示す、一つの事であろう。

 ただ、そのような状況だから、少し敷居の高さを感じたのも事実である。話の入口は、ゲームの話である。ともすれば「ゲームなんかの話で」と、断られるのではないかとか、どこから説明すればよいのか、考えながら電話した。

 でも、それは杞憂であった。こちらの取材の趣旨を告げ『社にほへと』の件に触れると「そういうのもあるみたいですね」と、既に知っていたのである。

 電話で応対してくれた、神社本庁広報際課課長の岩二氏は、すぐ翌日に会ってくれた。

 冒頭、和歌山県出身という岩氏は「関西弁でもいいですか」と言った。その言葉や立ち振る舞いには、神職らしい「来る者は拒まず」の姿勢を感じ取れた。取材の中でも決して難しい言葉などを用いることがなかったのも、人柄を示すものだろうと思う。

 そうして始まった取材。最初は、やはり発表になったばかりのゲーム情報まで知っていることに驚いた、私の感想から始まった。聞けば『ポケモンGO』をはじめ、神社に何かしら関連があったり、影が懸念されるコンテンツには、常にアンテナっているのだという。だから『社にほへと』も、知ってはいた。ただ、実際に事前登録をして「おみくじ」を引いたりはしていなかった。

 現在開されている『社にほへと』では、「事前登録」のボタンを押すと、ページが遷移する。そこでは「おみくじ一覧」として、神社の名前を持つ美少女キャラクターを見ることができる。そして、Twitterで『社にほへと』のアカウント@yashiro_staff)をフォローすれば、毎日1回「おみくじ」を引くことができるという仕組みだ。

 私の持参したノートパソコンで「おみくじ一覧」を見てもらったとき、岩氏の顔が少し曇った。その「おみくじ一覧」には、キャラクターレアリティ(希少度によるキャラクターランク付け)によって大吉から小吉までが割り当てられているようであった。このレアリティが、どのように設定されているのかはわからない。ただ、ある神社は大吉、あるいは小吉とカテゴライズされているようだった(ゲームが稼働前のため、詳細なレアリティの設定などは不明)。

「これはちょっと……」

 そう言葉を漏らし、少し間をおいてから、岩氏は続けた。

「ここまでは見ていませんでした。信仰を持つ側としては気分のよいものではありません。いったい、なんの根拠があって、やっているのでしょうか……」

 岩氏は決して、偏狭な考えから話しているのではない。あくまで、しごくっ当な懸念であった。

「気になるのは、お宮自身が承諾をしているかどうかです。これが、ご祭名であれば、逃げられるんですが……春日大社があるのに、鹿島神社もありますよね」

 春日大社鹿島神社は、同じ建御之男を祭とする神社である。神社を「擬人化」というのが『社にほへと』のコンセプトのようではあるが、開発段階で祭を同じくする神社が重なっている。そこに、神道への理解の浅さを感じているようであった。

 とりわけ、私も驚いた「おみくじ」の部分には、それを感じているようだった。大吉を引くと登場するキャラクターは、それを喜ぶ。かと思えば中吉のキャラクターは「せいぜい、中途半端な一日を過ごすとよい」と言うのだ。

おみくじは、明確な定義のあるものではありません。大吉中吉小吉とあり、よく幸運の度合いを示すと理解している人もいらっしゃいますが、それはあくまでも現状のことであって、例えばが出たからといって、お先っ暗なわけではありません。大吉を引いたからといって、人生遊んで暮らせるわけではありません。今はいいけど、気を抜かないでねという意味合いのもの。内容を見て、努して善していけばやがてよくなるというものです。ですから、ここには、やはり意味の取り違え、単純に格付けとして理解している感がありますね」

 日本神社には、熊野八幡諏訪などさまざまな「系列」は存在する。また、神社の社格というものあるが、これは、いわば朝廷や政府が管する上での分類。どこそこの神社は、○○っているから強いとか、御利益はほかの神社の三倍などということはない。だから、日本神様ランク付けができるような存在ではないはずだ。

「確かに天照大神が一番神様とはいわれますが、その一方で、天照大神のお一方ではできないこともあります。日本神様は人間と同じく得手不得手もあるのです。たとえば、オモイカネ(思・常世思)という世の中のすべてを知っている神様もいらっしゃいますが、オモイカネは自分自身では動くことはできないのです。なので、神様同士でを合わせて世の中をよくしていくというのが、日本神様なんです。モチーフとしてこういうところに使うという気持ちはわかりますが、なぜ神様じゃなくて神社なんだという疑問はありますね」

 ならば、こうしたゲームが登場したことによって、どのようなことが懸念されるのだろうか。

神社とか日本神様に対して、意識の薄い人たちが純ゲームとして楽しむかもしれません。怖いのは、そういう方たちが『舞台だから、登場人物だから』というだけで神社に行ったときに、ほかの参拝の方がいらっしゃる中で、不敬な行為を行うことです。神社側としては節度を保って下さいとは言うのでしょうけど、ほかの参拝の方の気分をしないのか、と」

 マンガアニメなどの作品により深く寄り添いたいと「聖地」を訪れるファン。彼らは作品の舞台を訪れたことに喜びを感じているかもしれない。けれども、その「聖地」が神社だったとき、彼らは神社をどのようなところとして捉えているのか。岩氏は、そこに、いささかの疑問を感じているようだった。

埼玉県鷲宮神社が『らき☆すた』で注を集めてから以降も、神社が舞台になることはよくあります。最近では『君の名は。』も、そうですよね。でも、訪問される皆さんが、そこを神社として認識しているのか、あるいは、単にアニメの舞台だから行っているだけなのか、そこはこちらとしては疑問です。もちろん、神様も人が来て賑やかになることは好きですし、歓迎なんです。けれども、そこがお宮であること、そこには神様がいらっしゃるということをまったく埒外にして、記念写真だけ撮って帰るとかになるは、どうでしょうか」

 意味を取り違えたまま、神社を訪問してしまう。それは「聖地巡礼」に限った現ではない。もはや、定着した感のある「パワースポット」でも、似たような問題は起こっている。神社本庁に隣接する明治宮では、一時期内にある「清正の井戸」が「パワースポット」であるとして、整理券も出すほどのブームになったことがある。けれども「清正の井戸」を写真に収めた後、お詣りもせずに帰る人もいたというのだ。

「やはり清正の井戸明治宮の内にある意味を考えていただきたい。もちろん、深く知る必要があるとは思いませんが、日本神様というのはより人間の近いところにいる存在です。よそのにお邪魔したときに、庭だけウロウロして挨拶もしないで帰るのと一緒になってしまいます」

 だからといって「聖地巡礼」や「パワースポット」が、すべて神社にとっていらないもので、お断りというわけではない。むしろ、最近では『ポケモンGO』でもなんでも、せっかく来てくれるのであれば、積極的に働きかけていこうとする気運も神社側にはあるという。

「気づきがある人が三割いればありがたいと思っています。お越しいただいた中の三割に過ぎなくても、その方達が周りに広げてくれると思っていますから」

 最近では、神社アニメコラボしてキャラクターの描かれた絵御朱印帳などの頒布を始めたりもしている。岩氏は、それをっ向から否定したりはしない。

「時代を捉えているとは思います。定期的にお宮に来ていただく手段としては、あり得ると思います」

 一方でやり過ぎのある神社があれば、神社本庁として導していかなくてはならないともいう。ただ、テクノロジーがどんどん発展し、新たなビジネスの溢れる現代において、何をどのように導していくかも難しい。例えば、すでにどこそこの神社で祈願しており、こういう御利益があるなどと謳った「祈願済み」の商品。これは、あってはならないものと即答する。

神社というのは、そこに行って、神様に直接お願いすることに意味があるものです。なんとかご祈祷済みとか、ご祈願済みとか、こういう御利益がある商品というのは、つまり神様の名前を使った商売になってしまう。神社も商売といわれると、そこまでなんですけど。やはり、お宮の中で起こっていることと、外で行われていることは違うと思うんです」

 一方で、意外だったのはインターネット参拝に対する意見だ。2000年代半ばに登場したこれは、多くの神社サイトに設置したが、神社本庁は06年に「信仰の根幹に関わる問題だから、もう一度考えていただきたい」と注意喚起を出している。

「あれは、判断が難しいことでした。というのも、神社の信仰の中に拝(ようはい)というものがあります。例えば、式典では国旗を通じて伊勢神宮拝することがあります。それが、バーチャル参拝とどう違うのかといわれることもあるんです。多分、その作法が長く定着しているので受け入れられているのだと思うのです。伝統的なものとテクノロジーの発展というのは、かみ合うようになるまで時間がかかると思います。お賽銭電子マネーが使える神社議論を呼びましたが、お賽銭というのも貨幣経済が発達してから登場したものです。私自身も抵抗はあるけど、100年後にはインターネット参拝は、当たり前になっているかも知れません」

聖地巡礼」も、インターネットが発達したことによって流行しているという一面がある。もはや、どんな作品であっても「モデルはここではないか」という情報が流れ、訪問記も当たり前のように見ることができるからだ。だから、ビジネスチャンスと考えるのを止めることはできない。でも、欲にまみれて、やり過ぎたりしていれば神様はちゃんと見ていることを、岩氏はる。

「そこにを入れすぎると、神様が軌修正をします。急にブームがぴたっと終わってしまうでしょう。ですから、神主としては、欲に走ることなく、あくまで神社なんだということを常に忘れずにやっています」

 だから「聖地巡礼」や「パワースポット」で神社に関心を持った人には、むしろ地域の氏にも参って欲しいという。

日本どこでも、どこかの氏子地域なわけですよね。いつも面倒をみてくれている神様がいるわけですから、そこにご挨拶に行かずに有名な神様のところに行っているのは、いけないと思うんですよね。私がから言われたことですが、神様は頼むものではなく讃えるもの。大事にするから、おかげがいただける。お願いするのは自分が十分やってからあとの話なんです」。

 やはり、神社とは歴史に裏打ちされた、数多の人間の想いによって成り立っているもの。それがゲームキャラクター、それも、それぞれが一枚のカードのようなものにされてしまうことには、違和感を拭えなかった。

「自分の信仰が」だからではない。日本歴史2677年、そしてや人間の営みは、それ以前から存在する。それを、わずか数十年に満たない期間の間で勃した「オタク文化」の中で弄んでよいものだとは思えないのだ。近年、マンガアニメは、日本の中心的な産業のごとく位置づけられ、政府や行政機関までもが利用するものとなった。確かに、今、この間は価値とを持つ文化なのかもしれない。だからといって、祖先から受け継いだ神社神様を、簡単に弄んでよいものだろうか。でも、それは判断が難しい。100年後には全なメインカルチャーとなっていているかもしれない。現在神様の肖像として紹介される画像が、浮世絵日本画であるように、未来では神社られている神様はすべてアニメキャラクターになっているやもしれない。

 でも、今はどうなのだろうか。

 神社本庁への取材の後、編集部と相談して神社にも取材をすることにした。電話で話を聞いたのは「」に割り当てられている石清水八幡宮である。対応してくれた担当者は、電話口の向こうで、けっこう驚いているようであった。

「私が広報なんですが、こうした連絡はありません。断使用です」

 数日後、めて電話をくれた担当者は「ほかのお社さんとも話をして」しばらくは、様子を見ることになったと教えてくれた。当初は、すぐにでも削除を要請することも考えていたようだが、まだリリース前でもあり、ゲーム自体がヒットするかどうかもわからないため、事態の推移を見守るという方針に落ち着いたようだ。一方で、正直な気持ちも伝えてくれた。

「あまり気持ちのいいものではないですね」

 担当者は、キャラクターの名前を「石清水八幡宮」ではなく「石清水八幡」と、一文字だけ削ることで神社関係に見せる意図を感じ取っていた。それは、断使用される以上に不快なものだったのだろう。

 この取材と同時に、DMMにも取材を申し込んでいた。質問事項として送ったのは、次の二点である。

1.このタイトルでは神社擬人化が行われておりますが、これは該当する神社には許諾あるいは、なんらかの事前折衝を行っていらっしゃいますでしょうか?

2.当方でも事前登録をさせて頂きましたが、キャラレアリティに応じて大吉~に振り分けがなされております。これは特定神社が、になってしまうことであり、当該の神社はよい気持ちを得るとは思えないのですが、いかがでしょうか?

 願わくば、ぜひ会ってゲームの意図を聞きたいと思ってた。なぜなら、決して制作側も神道を貶めることを的として開発している淫祠邪教の徒ではないはず。多くの人々に喜んでもらいたいと思ってゲームを開発しているはずである。イラストレーターキャラクター情をこめて執筆しているはずだし、声優もそうであるはずだと思ったからだ。

 しかし、願いはわずメールで次の回答が返ってきた。

1.「社(やしろ)」の擬人化について

ゲームは「神社」をイメージした「フィクション」である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません。また、実在する地域や神社等の関係性につきましても、一切関係がございません。

2.事前登録おみくじについて

事前登録おみくじは、結果の運勢に「社(やしろ)」が紐づいているものではなく、結果の運勢についてキャラクターが説明しているものになります。

 めて、ネットでこのゲーム事前登録し「おみくじ」を引いている人たちが、どのような感想を得ているのか検索して見た。自分の縁のある神社の登場を期待する人。手に入れたキャラクターを喜ぶ人も多いが、やはりゲームとしてキャラクターの強弱やレアリティを気にしている人の存在も否めなかった。

 これは、なんなのだろうか。

 強弱どころか、多くのキャラクターがそうであるように、二次創作の形でエロを期待している人を見つけたときには、言葉にならない根的な恐ろしさを感じた。

 でも、それをっ向から批判しても、なんら解決にならない。西洋的な異端邪教を狩る行為は、日本には似合わない。誤りに気づき、感じさせるのこそが日本的な精根本であろう。

 だから今は、この推移を見守るしかないと思うのだ。

 そう考えながら、しばらく氏神様にご沙汰してしまったのを思い出して、参拝に向かった。

 参拝の後、祭りの準備が進む内を散策し、おみくじを引くと大吉が出た。けれども、決して思いのまま万事が上手くいくようなことは書かれていなかった。

 めて神道の意味を感じた。

(文=ルポライターたかし http://t-hiruma.jp/)

『社にほへと』公式サイトより。