昨年、生誕100周年を迎えた日本を代表する美術家・岡本太郎。没後いまなお人気は衰えず、『自分の中に毒を持て』『強く生きる言葉』『壁を破る言葉』などの本がロングセラーになるなど、若い世代にもファン層が広がっている。そんな彼の代表作といえば、やはり「太陽の塔」。この傑作が誕生したときの、驚きの伝説が明らかになった。

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 秘話を披露したのは、『TV Bros.』6月9日号に掲載されたミュージシャン・岡村靖幸の連載『あの娘と、遅刻と、勉強と』にゲストとして登場した作家・荒俣宏。都市における“異界”について語るなかで「太陽の塔」が話題にのぼったのがきっかけだ。

 大阪万博シンボルゾーンの中央は、建築家・丹下健三がディレクターを務め、近代的な未来のイメージで広場づくりが進められていたが、なぜかそこで呼ばれたのが、岡本太郎。当時“縄文”に傾倒していた岡本と、モダニズム建築の旗手だった丹下という組み合わせもいかがなものかと思うが、問題は岡本が、丹下デザインの大きな屋根に穴を開けて塔をつくると言い出したこと。激怒する丹下に、引き下がらない岡本…。ここで、とんでもない決着が図られたのだと言う。

 「これは本当か嘘かわからないんだけど、『じゃあ腕っぷしで決めよう!』って岡本さんが言い出して、それになぜか丹下さんも乗ってふたりでケンカして、岡本さんが勝ったからあれができた、っていう都市伝説もある(笑)」
 
 アートの争いがまさかのガチファイト! 真偽は別として、いかにも岡本太郎らしい伝説といえよう。さらに荒俣は、太陽の塔は壊す予定だったものの、莫大な費用がかかることがわかり残すことになったという“後日談”も紹介している。
これに対して岡村は、「結果的に万博の最大のシンボルになった。つまり『勝った』というわけですね」と美しく締めくくっている。

ダ・ヴィンチ電子ナビより)

『岡本太郎と太陽の塔』岡本太郎(小学館クリエイティブビジュアルブック)