7月30日、全高校総体(インターハイ男子サッカー競技2回戦が宮城県内各地で行われた。日大藤沢高校神奈川2)は、この日から登場となるシード校・高校埼玉)と対戦。1点を先に奪われる苦しい流れの試合となったが、68分に途中出場のFW三田の起死回生の同点ゴールで流れをつかむと、その直後にオウンゴールから逆転。前年度4強の優勝補を下し、見事に3回戦進出を決めた。

 立役者となった三田野は将のDF安松元気から「ちょっと見たことがないくらいに変わっている。本当に個が強い」と評される“個性キャラクターの強い選手に対する導には定評のある佐藤監督も、「1、2年生のころの三田野は本当にヤンチャな子で、大変だったんですよ」と何かを思い出したような顔をしながら笑顔で振り返る。ただ、「今年になって本当に大人になってくれた。以前だったら、スタートメンバーでないことを受け入れられなかったと思う。でも今は自分の役割を受け入れた上で、やってくれた」

 変化のきっかけについて本人に話を向けると、一つの別れがあった事実を告げられた。昨年末、まだ11歳の若さだった三田野純さんが突然病気に倒れ、帰らぬ人となってしまったのだ。

「それからですね。『が頑らなきゃ』と、スイッチが入った。サッカーをやっていて、トレセンとかにも選ばれてて、『一緒に日本代表になろう』と言い合っていた。自分にとって家族であると同時にサッカー友達。一緒にサッカーの話をしたり、ウイイレをやったり、そういう関係だった。だから家族サッカー仲間を一緒になくしたというか、2倍悲しいような感覚だった」(三田野)

 ちょうどこのころ、自身はサッカー部の中で沈んでいるタイミングだった。Bチームに落とされ、「大したケガでもないのに長く休んでいたりした」(三田野)という少し腐り気味の状態。だが、もうそんな甘えたことを言っているわけにはいかなくなった。葬儀の2日後にはくも合宿に参加。「そこから一気に切り替えた」。もう一度、大好きなサッカーへ、すべてをぶつけていく覚悟を固めた。

 の遺が納まったペンダントを家族全員が普段から身に付けており、「いつも一緒」なのだと笑って言う。試合中は装身具に関する規制があるため、のことも知っていたというマネージャーに着けてもらっているそうで、ピッチから試合を見守ってもらっていた。

 こんなふうにちょっと重い話を聞いているはずだが、本人のり口は至って明朗で、時には冗談も交えて暗いムードを一切作らせない。“お涙ちょうだい”ではなく、本人がどこまでも前向きで挑戦的なのも印的で、何より魅的だった。監督仲間がそろって「ムードメーカー」と評していたのも納得である。この日もウォーミングアップからを出し続け、ゴールが決まれば「マジで気持ち良かった」と絶叫してみせた。

「本気でプロになりたいと思ってるんで」。殊勲のストライカーはそう言って笑った。すのは「ホントにカッコイイ」と憧れるズラタン・イブラヒモヴィッチ。さまざまな感情も背負いつつ、しかしどこまでも明るく前向きに、情熱的に。「日ズラタン」はこれからもまた、大好きなサッカーを全で表現する。

取材・文=川端

普段から妹の遺骨が納まったペンダントを身に付けている三田野慧 [写真]=川端暁彦