近年、スーパーやコンビニエンスストアの弁当売り場で、さまざまなパック詰めの寿司を見かけるようになりました。中でも定番といえば、素朴な味わいのいなり寿司とのり巻きの詰め合わせ。一般的に「助六寿司」と呼ばれるものですが、そもそもこの「助六」とは何を意味しているのでしょうか。全日本いなり寿司協会のPR担当で「いなり王子」こと、坂梨カズさんに取材しました。

歌舞伎の演目「助六所縁江戸桜」が関係

 坂梨さんによると、いなり寿司とのり巻きの詰め合わせのことを「助六」と呼ぶようになったのは江戸時代中期。歌舞伎の宗家である市川団十郎家のお家芸として現在でも人気の高い演目「助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」が、庶民の間で大流行した時代です。

「当時、いなり寿司とのり巻きの2種類を詰め合わせた寿司折りは、油揚げの『揚げ』とのり巻きの『巻き』から『揚巻(あげまき)』と呼ばれていました。そして、この演目に登場する主人公・助六の愛人である、吉原の花魁(おいらん)の名前も同じく『揚巻』であったことから、演目の人気にあやかれるようにと、いつしか『助六』と呼ばれるようになったとされています」(坂梨さん)

 ほかにも、助六が頭に巻いていた紫色の鉢巻をのり巻きに、愛人の揚巻をいなり寿司に見立てたという説や、演目の幕間に出される弁当が、いなり寿司とのり巻きの詰め合わせだったという説もありますが、いずれにせよ「助六~」に由来する、江戸時代らしい「洒落言葉」であるのは間違いないようです。また、いなり寿司が文献に登場し、わずか30年ほどで全国的に広がったのは「助六~」などの芝居のおかげとされています。

「『助六』が食べられていた当時、江戸の町にはぜいたくを禁止するための倹約令が出されており、江戸前の魚を使った握り寿司は減少しました。その代わりに、油揚げを使ったいなり寿司と、さまざまな具をのりで巻いたのり巻きが、素朴な寿司として庶民に親しまれていたのです」

(オトナンサー編集部)

いなり寿司とのり巻きの組み合わせ、なぜ「助六」?