今年で誕生から100周年を迎えた日本のアニメ――。日本が世界に誇る一大コンテンツのメモリアルイヤーに、週プレNEWSでは旬のアニメ業界人たちへのインタビューを通して、その未来を探るシリーズ『101年目への扉』をお届けする。
第5回目は、声優の佐倉綾音さん。現在放送中の『十二大戦』や『ボールルームへようこそ』、『宝石の国』など多くの人気作・話題作に出演しているだけでなく、雑誌の表紙やグラビアにも登場する注目の若手声優だ。
まずは、若干23歳ながら、すでに7年近いキャリアを持つ彼女の転機について話を伺った。
■自己顕示欲がなさすぎて声優の道へ
―デビューは16歳とかなり早いですが、実は子どもの頃から声優になろうと思っていたわけではなかったそうですね。
佐倉 中学生の時に所属していた劇団(劇団東俳)のボイストレーニングの先生から声の仕事をしたほうがいいと言われたことがきっかけですね。
―最初は役者志望だったんですか?
佐倉 とても真剣な夢というわけではなくて。私は小さい頃からカラダが弱くて、総合的に体力をつけられる習い事をしようと思っていたんです。それで演技の他にも日本舞踊やストレッチ、殺陣やボイストレーニングなどいろんなことを学ぶことができるからと東俳に入りました。
あとは昔から映画やアニメのメイキングを観るのが好きで、裏方の世界に憧れがありました。メイクさん、衣装さん、美術さん…。役者になりたくてというより、劇団ならそういう人たちの仕事が垣間見れるんじゃないかと思ったことも大きいですね。
―そこからどうして声の仕事に?
佐倉 中学生なりの思いつきで劇団に入ったのはよかったんですけど、実際にステージに立った瞬間、「あ、違う」って思ってしまったんです。
―違う、とは?
佐倉 自己顕示欲があまりないタイプだったので、自分が何を表現すればいいのかわからなくて。劇団ってエチュードみたいな、自由に演じてくださいってお芝居をよくやっていて。でも、私は表現欲求がゼロだったから何も返すものがなくて。それで「役者は向いていないかもしれない」と初めて気が付いたんです。
―でも、先生に勧められたくらいですから、声のお芝居には向いていたわけですよね?
佐倉 いやー、演技はできなかった分、ムダに声は大きく出していたので、そのせいだと思います(笑)。
―いやいやいや。
佐倉 マイクに乗りやすい声質というのはあったのかな。あと、私は台本を覚えるのがめちゃくちゃ下手だったんですけど、読みながらのお芝居は割とできたんですよ。そういうところも見てくれていたのかもしれません。
■通過儀礼となった2013年
―しかし、「演技には向いていなかった」と言いつつも、声優に転向してすぐにデビューが決まっていますよね。
佐倉 そうなんですよね。だから、ものすごく困っちゃいました。当時の記憶はほとんどなくて。TVアニメのレギュラーが初めて決まった時の電話を自分でとったことは覚えているんですが、そこから先の記憶はブツブツなんです。
―それはどのくらいの期間?
佐倉 下手したら…3年くらい。
―めちゃくちゃ記憶喪失の期間が長いじゃないですか!
佐倉 声優としてのはっきりとした自我が芽生えたのは2013年からです。
―まるで生まれたての赤ん坊が成長したみたいな言い方です。
佐倉 (笑)でも、実際にこの年にものすごい転機があって。はっきり覚えているんですが、『ビビッドレッド・オペレーション』というTVアニメの第2話のアフレコ収録の1時間前に全く声が出なくなったんです。病院に行ったら声帯結節という病気でした。
「私、この仕事をやめないといけないのかもしれない」と思いました。それから完治まで1年半かかって、もがき苦しみながら毎回仕事をする中で「これを次の仕事につなげるためにはどうすればいいのだろう」と真剣に考えるようになったんです。
―つまり、仕事の危機に直面して初めてプロとしての責任が芽生えていった、と。
佐倉 この仕事をこんなに好きだったんだとか、マネージャーさんがどれだけ自分のために動いてくれているかとか、そういうことが全部見えてきて。私、それまではマネージャーさんのことをあまり人間だと思っていなかったんですよね。
―人間だと思っていなかった…って?
佐倉 10代でデビューしていたので、「大人」というものがよくわからなかったんです。周りの人はみんな何を考えているかわからない存在でした。でもこの時、他人に迷惑をかけてしまったことで、いかにそういう大人たちが自分のために動いてくれていたか実感しました。それからは同じ人間としてきちんとマネージャーさんのことも見られるようになって。
それで気が付いたんですけど、私はそれまでの人生で他人と深く関わる機会が少なかったんですよ。小学校ではそれなりに友達がいたものの、大きなグループに属することはなく、いろんなグループを転々として、中学校は途中で転校し、高校では行っていたものの、仕事をしていたせいで友だちはひとりしかできなかったですし。そして常に周りの目を気にして暮らしていたので、誰かと深く関わることができなかった。
そういう青春だったので、他人を自分と同じ人間として見られなくなっていたのかなって。
―そう考えると、声が出なくなったのは大人になるための通過儀礼みたいなものだったのかもしれませんね。
佐倉 そうかもしれません(笑)。ちょうど19歳から20歳になる時でしたし。本当に人生が変わった1年半でした。
■早く30歳、40歳になりたい
―そんな人生の転機と仕事の転機が重なった時期を経て、どのように変わりましたか?
佐倉 そうですね…。昔より、さらに自分より他人のことが大切になりました(笑)。
―すっかり人間らしい感情が芽生えて(笑)。
佐倉 デビューして4年が過ぎてようやく(笑)。あとは社会の仕組みを理解しましたね。マネージャーさんはこういう仕事をしていて、スタッフさんはこういう仕事をしている、だから自分はこういう仕事をしないといけないって考えられるようになりました。
―プロになったというだけでなく、何よりも大人になったということなんですね。
佐倉 それもあるでしょうね。先輩たちともお話できるようになったり、一気に世界が広がっていきましたから。
―この世界に入ったのも、アニメや映画のメイキングが好きで、大人の世界を垣間見たいと思っていたことがきっかけということですから、その一部になれたという意味では夢が叶ったといえる?
佐倉 確かに昔から大人への憧れはありました。ずっと早く大人になりたいと思っていて、今でも早く30歳、40歳になりたいと思っています。
―佐倉さんはグラビアに登場する機会も多いですが、年齢を重ねるのは怖くない?
佐倉 結構、楽しみですね。それに私はお仕事に対して長いスパンで考える癖があって、それこそ若いコたちが下からどんどん出てきているじゃないですか。自分はいつまでこの世界にいられるんだろうとか、年齢を重ねた自分に何ができるだろうとか、今からそういうことを考えています。
―いや、まだ23歳じゃないですか!
佐倉 たぶん、20歳になってからが濃かったせいだと思います(笑)。いろんなことがギュッと凝縮されていて、それまでの人生の何倍も多くの経験をしてきたような気がしています。
★後編⇒考えすぎる人気声優・佐倉綾音は可愛げがない!?「どうやら、声のお芝居だけでは生き残っていけないぞって…」
(取材・文/小山田裕哉 撮影/河西 遼 ヘアメイク/福田まい[addmix BG])
■佐倉綾音(さくら・あやね)
1994年生まれ。東京都出身。2010年に声優デビュー。主な出演作に『ご注文はうさぎですか?』『艦隊これくしょん -艦これ-』『僕のヒーローアカデミア』など。現在『ボールルームへようこそ』(花岡雫)、『十二大戦』(庭取)、『宝石の国』(ボルツ)などに出演中。雑誌のグラビアやラジオ番組「セブン-イレブン presents 佐倉としたい大西」の人気も高く、声優業に留まらず多岐にわたって活躍
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