2003年に滋賀県愛知(えち)郡(現在は東近江市)の病院で男性入院患者が殺害されたとされる事件で、無実を訴えながら懲役12年の刑を受けて服役した女性の再審請求の行方に注目が集まっている。

女性は彦根市の元看護助手・西山美香さん(37)。大阪高裁(後藤眞理子裁判長)で行われている再審可否の審理では、「男性入院患者は(殺害されたのではなく)致死性不整脈により病死した可能性が高い」とする複数の医師の意見書が弁護団(井戸謙一団長)より提出され、すでに結審。大阪高裁は近く、再審を開始するか否かの決定を下す見通しだ。

逮捕から13年、無実を訴え続けた思いを西山さんに聞いた。(ルポライター・片岡健)

●「明るくしてへんと、冤罪を訴える活動はしていかれへんのです」

西山さんは現在、支援者らと一緒に街頭で大阪高裁に再審開始を求める署名を集めたり、勉強会を開いたりと雪冤のために精力的に活動している。逮捕から13年以上も獄中での生活を強いられ、今年8月に服役先の和歌山刑務所を満期出所したばかりだが、話しぶりはとても朗らかだ。

「明るくしてへんと、冤罪を訴える活動はしていかれへんのです」と西山さん。そう語る表情からも日々の生活が充実していることが窺えた。

西山さんが殺人の容疑で逮捕されたのは、看護助手として働いていた2004年7月のこと。容疑内容は前年5月、植物状態で寝たきりだった男性入院患者(当時72)の人工呼吸器のチューブを外し、窒息死させた疑い。逮捕当時24歳だった西山さんはこの時点で容疑を認め、「看護助手の待遇に不満があった」などと動機を供述していた。

西山さんによると、この時に自白した一番の原因は、取調官のA刑事に好意を持ってしまったことだという。

「私は、2人のお兄ちゃんが優秀なのに、自分が勉強できへんからコンプレックスを感じていたんです。A刑事はそういう身の上話を聞いてくれ、『わかる。わかる』とすごい同情してくれて。好きになって欲しくて、自白してしまったんです」

冤罪を訴える人が説明する自白の理由としては特異だ。が、西山さんは服役中に受けた医師や臨床心理士の検査により軽度の知的障害や発達障害があると診断されており、「刑事への好意」から自白したことにはその影響もあるのではないかと指摘されている。

それに加え、大阪高裁で行われている再審可否の審理では、亡くなった男性入院患者の死因が人工呼吸器のチューブを外された窒息死ではなく、「致死性不整脈」だった可能性を指摘する医学的見解も示された。次第に西山さんの再審可否の行方に対するメディアの注目度も高まり、今はテレビや新聞の取材申し込みが後を絶たない状態という。

●支えてくれた人たち

そんな西山さんだが、逮捕から13年間を振り返ると、当初は苦難の連続だった。裁判では一審、二審、上告審共に無実の訴えを退けられ、「警察や検察にはわかってもらえなくても、裁判所にはわかってもらえると思っていたのに・・・」と落ち込んだ。和歌山刑務所での服役生活でも自暴自棄になり、扉を蹴飛ばしたり、扉に頭をぶつけたりして何度も懲罰を受けた。

「今振り返れば、暴れていたのは発達障害も原因だと思うんですけど、『なんで閉じ込められないといけないんや』『私は冤罪や』ということを体で表現していたんです」

そんな辛い状態が何年も続く中、転機となったことがある。2013年に中学時代の恩師・伊藤正一さんが支援団体「西山美香さんを支える会」をつくってくれたことだ。

「伊藤先生は『無実だと信用します』という手紙をくださり、面会にも訪ねてきてくださって。和歌山刑務所は『知人』の面会は許さないということで、結局、一度も面会できなかったんですが、それでも何度も訪ねてきてくださったんです」

2015年からは、数々の冤罪事件を支援してきた人権団体「日本国民救援会」も支援に乗り出してくれた。布川事件の桜井昌司さん、東住吉女児焼死事件の青木惠子さんら服役後に再審で無罪判決を勝ち取った「冤罪仲間」が支援してくれたことも力になったという。

「冤罪でも『中の生活』も大事にしないといけない」

桜井さんや青木さんからそう助言され、西山さんは刑務所内での生活を改めた。すると刑務所内での評価が良くなり、面会できる回数が月2回から3回に、手紙を出せる回数も月4通から5通に増えた。それまでも毎月2回、彦根市の実家から片道3時間半かけて面会に来ていた父の輝男さん、母の令子さんも「面会できる回数が増えた」と喜んでくれたという。

この間、2010年に行った最初の再審請求は実らず、2012年に行った第2次再審請求も大津地裁に退けられた。しかし、大阪高裁に即時抗告後、現在に至るまで再審請求の状況も次第に好転していった。

●「無罪が証明されるまで闘っていかないといけない」

もっとも、逮捕から13年の間に失ったものはいくつもある。ショックだったのは「2人のおばあちゃん」が亡くなったことだ。

「最初は裁判中に、お父さん方のおばあちゃんが亡くなって、その時はご飯が食べられなくなりました。そのため、その後の服役中にお母さん方のおばあちゃんが亡くなった時は、お母さんは私がショックを受けるからと教えてくれませんでした。出所して実家に帰り、おばあちゃんの遺影があった時には驚いて・・・」

西山さんが事件前、看護助手の仕事をしていたのは元々、おばあちゃんたちが好きだったことからお年寄りの世話をする仕事をしたいと思ったからだ。孫が警察に捕まり、ショックを受けていた2人のおばあちゃんに再審無罪の知らせを届けられないのは残念な思いという。

24歳の時に逮捕され、37歳まで獄中生活を強いられたため、「20代の人生はもう取り戻せない」という思いにかられることもある。ただ、西山さんは前向きだ。

「A刑事のことを信じて嘘の自白をしなければ、私だって普通に恋をして、結婚、出産をして、今は大きな子どもがいたかもしれないと考えることもあります。でも、まだまだこれから頑張っていかないといけないし、無罪が証明されるまでは闘っていかないといけないと思っています」

再審開始の決定をうけ、無罪判決がとれたら、資格をとって介護福祉士になり、最終的にはケアマネージャーの資格もとりたいと考えている。看護助手の仕事をしていた中で辛い目にあったが、やはりお年寄りの世話をする仕事が好きだと思えるからだ。

仕事以外で、無罪をとれたらやりたいことは?と尋ねると、色んな希望が口をついて出た。

「車を運転して、お父さん、お母さんと色んなところに行きたいですね。それから弁護士さんや伊藤先生も出所したときにお食事会を開いてくれたんで、お返しがしたいです。福祉の大学にも通いたいし、ピアノキーボードも買いたいし、美顔器もやってみたいです」

再審可否の行方については、「散々裏切られているから、裁判所を信じられない」との思いもあるそうだが、今は不安より希望のほうが大きいようだ。

【事件の経緯】

2003年5月22日の朝、滋賀県愛知郡の病院で寝たきりの男性入院患者が死亡した件に関し、滋賀県警が業務上過失致死の疑いを抱き、当直の看護師と看護助手を1年余り断続的に追及。看護助手が「人工呼吸器のチューブを外し、殺害した」と自白したことから殺人の容疑で逮捕した。その看護助手が西山さんだった。

西山さんは裁判で自白を撤回、無実を主張。決め手となる証拠は捜査段階の自白しかなかったが、2005年に大津地裁で懲役12年を宣告され、控訴、上告も退けられて2007年に有罪が確定した。しかし、西山さんはその後も無実を訴え続け、2度に渡り再審請求を実施。現在は大阪高裁で第2次再審請求の即時抗告審が行われている。

【ライタープロフィール】

片岡健:1971年生まれ。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。

(弁護士ドットコムニュース)

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