西郷隆盛は、言わずと知れた幕末明治期の英雄です。彼の存在は大きすぎ、茫洋として現代ではなかなか理解しにくい部分があります。今回はそんな西郷隆盛の歩みを10のポイントに絞ってとことん分かりやすく解説します。来年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の予習にもご活用ください。

① 薩摩の農村の窮状を藩主・島津斉彬に送り続ける

薩摩(鹿児島県)の下級武士の貧しいに生まれた西郷隆盛18歳に出仕するも当然に謁見できるような身分ではありませんでした。しかし彼は一縷の望みを持って、薩摩の農村の窮状を毎のように手紙(建書)に書いて当時の薩摩島津斉彬に送り続けました。まさか自分の手紙読まれていないだろうと思っていた西郷ですが、なんと・斉彬はその手紙をしっかり読んでいました。

があると認められた西郷は、異例の大抜邸の庭を整える御庭方(おにわがた)に。なぜ御庭方かというと、庭は、・斉彬が身分の低い西郷にも気軽にをかけることのできる一の場所だったからです。こうして、西郷は斉彬にをかけられるようになります。

 

島津斉彬像 出典元:Wikipedia

② 藩主斉彬の片腕となり、一橋慶喜を将軍に押すため各地で奔走

ペリー来航後、・斉彬の参勤交代に付いて江戸に行った西郷は、各を回って知識をつけ、斉彬の秘書的存在になります。そして一慶喜(のちの徳川慶喜)を次期将軍にすべく、水戸京都など各地の一を繋ぐパイプ役として奔走します。しかし結果は徳に敗れ、失意のうちに斉彬が急死。西郷絶望期に突入します。

③ 禁門の変で大活躍

安政の大などにより二度の遠後、時が流れ罪を赦された西郷は、上して軍賦役(薩摩軍の令官)に就任。長州が挙兵して天皇の住む京都御所に攻め込んできた禁門の変で、西郷率いる薩摩軍は大活躍し、勝利します。西郷は一度会えば命をげて付いて行きたくなるようなカリスマ性のある大将であり、その配下で薩摩兵は存分にを発揮したのです。

禁門の変の図 出典元:Wikipedia

 

④ 第一次長州征伐の参謀となり、長州に寛大な措置を与える

朝廷の敵となった長州には厳罰が必要と考えていた西郷ですが、幕府軍艦奉行・勝舟と出会い、考えは一変します。「私利私欲に固執する幕府の役人に外交を任せてはいけない。長州を含む賢いの大名が合議して外交に当たるべきだ」という勝の意見に共感したのです。この事で、西郷は武による長州征伐を中止し、寛大な処置に留めました。

⑤ 薩長同盟を結ぶ

西郷長州五郎と結んだ長同盟。は禁門の変などで薩摩にやられた恨みをこじらせており、薩摩長州にいかにひどい所業をしたかという話を顔をくしたりくしたりしながら西郷に延々とぶちまけ続けました。

対する西郷は、大きな身体を小さくしてうなだれ、一言も言い返さずに「いちいち、ごもっともな事でごわす」と頷いて聴き続け、最後には西郷から頼み込むかたちで同盟のための会談が始まったといいます。西郷の辛抱もあって、長同盟は成ったのです。

次回「戊辰戦争編」につづく・・・

参考文献:

画像出典: Wikipedia

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