海上自衛隊のUS-1Aが全機退役しました。長年、救難活動に従事していましたが、原型機は違う目的で開発されたといいます。誕生から退役まで、どのような足跡を残したのでしょうか。

国産飛行艇US-1Aが全機退役に

2017年12月13日(水)、海上自衛隊の岩国基地(山口県)において国産の救難飛行艇、新明和工業US-1Aのラストライトおよび引退式典が実施されました。また12月14日(木)付で最後のUS-1Aが退役し海上自衛隊からすべての機が引退しました。

これまで海上自衛隊ではUS-1Aを岩国基地の第71航空隊に配備し、また厚木基地(神奈川県)には分遣隊を常駐させ、両基地において救難出動要請から30分以内に離陸可能とする「30分待機」を24時間365日実施していました。US-1Aの退役にともない現在は後継機であるUS-2に引き継がれています。

四方を海に囲まれた日本において、海洋へ着水可能な救難飛行艇は海難救助において重要な機種です。比較的本土に近い場所であれば垂直離着陸が行えるヘリコプターを用いることができますが、ヘリコプターはその原理上どうしても速度や航続距離に劣ります。一方の救難飛行艇ヘリコプターの倍に達する速度と航続距離を発揮でき、遠洋まで進出することが可能であるからです。

原型機は戦後初の国産飛行艇

「もう一度飛行艇を」

かつて川西航空機として、帝国海軍にも採用された名機「九七式飛行艇」や「二式飛行艇」を開発・生産を手掛けた新明和工業は、1960年代に入り再び新しい飛行艇の開発に取り組みを開始します。そして時を同じくして海上自衛隊・防衛庁は潜水艦の発する音波を探知する「ソーナー」をあらゆる場所に設置可能な飛行艇に対潜哨戒機としての価値を見出し、新明和とともに飛行艇の国産化を目指すこととなりました。

まずはアメリカ製のグラマンアルバトロス」を輸入しこれを原型とする試験機UF-XSを開発し、そして1967(昭和42)年にはついに戦後初となる飛行艇PS-1を初飛行させることに成功します。

PS-1は非常に優れた低速飛行能力をもち、また新しく発明された「溝型波消装置」は水上滑走中の飛沫を防ぐ高い耐波性能を実現、波高3mでの着水を可能としました。波高3mというと、通常の釣り漁船ならば出漁を見合わせるほどの荒天です。

当初求められた対潜哨戒機としての役割は、航空機投下型の「ソノブイ」の実用化などによって、着水の必要がなくなったことからあまり活躍できませんでしたが、その後に続く国産救難飛行艇の祖となり、PS-1の設計をほぼそのまま踏襲した「PS-1改」へと引き継がれました。

DNAは次世代へ、そして世界へ

PS-1改は「US-1」として、1976(昭和51)年に海上自衛隊へ配備されました。またさらにUS-1を原型とし、新しいエンジンを搭載したUS-1Aへと発展します。

PS-1の生産数は23機、US-1およびUS-1Aは20機が生産されたほか、US-1Aを原型にさらに改良を加えた「US-1A改」が開発されており、2007(平成19)年からUS-2の名称で現在なお調達が進んでいます。

US-2インドへの輸出が決まっており、PS-1の系譜は海外へと進出しようとしています。またPS-1で実用化された溝型波消装置の技術は中国もこれを取り入れて独自の飛行艇を開発しており、AG-600の胴体部はPS-1やUS-1、US-2と非常によく似ています。これはコピーというよりも新明和の溝型波消装置の有効性がそれだけ高く評価され参考にされたと見なすべきでしょう。

US-1Aは全機退役してしまいましたが、US-2または海外で誕生した兄弟機を通じて、その設計思想は今後も生き続けることでしょう。

【写真】海自US-1Aの後継機、US-2

救難飛行艇US-1Aは2017年12月13日、最後の9090号機がラストフライト、翌14日付で退役した(画像:海上自衛隊)。