幽玄な世界を表現する能舞台。この舞台に立つことが許されているのは、シテ方(主役・謡)、ワキ方(相手役・謡)、狂言方(狂言の役者・能にも出演する)、囃子方(楽器演奏)、だけです。なかでも音楽演奏を担当するのが囃子方で、それぞれの楽器が複数の流派を持ち、独自の演奏法や技術を数百年という長い間継承しています。国立能楽堂の研修を経て師匠に弟子入りし、笛方としてさまざまな舞台で活躍されている森田流の槻宅聡さんに、能楽師囃子方の仕事について伺いました。

役を与えられた全員が平等な能舞台の世界

Q1. 仕事概要と一日のスケジュールを教えてください。

囃子方は能楽(*)の音楽演奏を担当しており、笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方で成り立っています。それぞれの楽器に複数の流派があり、流派ごとの演奏の仕方や規範を数百年かけてつくりあげています。「この演目に対してはこう演奏する」という細かな設計図のようなものが各流派にあり、私たちはその演奏技法を師匠から学び、体に叩き込んで舞台に立ちます。音楽担当は役者を引き立てるものという考え方ではなく、能ではシテやワキといった役者も、音楽を担当する囃子方も対等な関係。人間国宝級の人も初舞台を踏む新人も対等です。舞台に関わる人たちがそれぞれの「役」を担い、その役に上下はなく、各々が役を全うすることで舞台をつくり上げるという考え方です。

* 能と狂言を合わせて能楽といいます。

舞台の企画が立つと、主催者から出演の依頼が入ります。地方公演や海外公演は若手が優先されますので、若いときはせっせと地方や海外へ赴き、経験を積みます。能舞台ではリハーサル(能楽では「申し合わせ」といいます)が通常1回程度。「申し合わせ」なしで本番ということも少なくありません。それは演者や奏者が自分たち流派の持つ規範をしっかりと身に付けているからできること。私が学んだ国立能楽堂の養成制度は6年で修了ですが、一人前になるまでには10年程度はかかるといわれます。

<一日のスケジュール
※例えば12時開演の公演がある日
10:30 楽屋入り、挨拶、演出の確認や着替えの後、道具の準備
12:00 本番 
13:00 演奏終了(演目によって上演時間は異なる)
13:00 休憩 次の演目が始まるまで待機
13:30 次の演目が始まるのを確認し、着替えて退出。繁忙期には、別会場の催しに出演するため移動する日もある


Q2. 仕事の楽しさ・やりがいは何ですか?

充実した舞台ができたときです。これは自分が上手に演奏できた、ということではなくシテや地謡、他の囃子の方々の芸が良かったときに感じます。良い演奏ができたかどうかは自分では分かりにくいものですが、自分を通して誰か別の人が吹いているような感覚になるときがあります。そういうときは、役を終えたときに浄化されたような、文字どおりゴシゴシきれいに洗われた後のような気分です。このようなときの舞台がお客様にどう見えているかはまったく分かりませんが、能が神事に起源をもつことを実感します。

師匠に仕えることで身に付く芸と処世術

Q3. 仕事で大変なこと・つらいと感じることはありますか?

この世界は師匠に師事して修行をするのが大原則です。師事の「事」は人に仕えるという意味ですので、文字どおり個人的な用事から、掃除や身の回りのお世話などもします。不条理なことや、筋が通らないことは日常茶飯事。つらい、と言うならその部分でしょうか。しかしそこで学んだ処世術などは、その後の仕事に非常に役に立ちました。

私が学んだ国立能楽堂の研修では、専門が決まる前に楽器や謡・舞といった全ての分野について最初の数カ月で手ほどきを受け、そこで見込みがあるとなれば師匠が採用する、いわば入門者の品評会のような仕組みをとっています。そこで「本当は小鼓をやりたかったけど、太鼓の師匠から声がかかった」という場合など、本意ではない道に進まざるを得ないこともあります。入門先が見つからなければ、この道自体を諦めなければいけませんから、そこで人生の選択を迫られる人も時々います。


Q4. どのようなきっかけ・経緯でその仕事に就きましたか?

高校生の頃、趣味でギターチャランゴアンデス地方の民族楽器)を弾いたり、ケーナという縦笛(同じく南米の民族楽器)を自分で作って吹いたりしていました。その頃NHKラジオで故・小泉文夫さんの「世界の民族音楽」をよく聴いていました。その次の時間が「能楽鑑賞」、つまり「謡曲」の番組だったのです。謡曲とは能の「謡(うたい)」の部分で、演劇でいう脚本の部分ですね。ラジオですから、そのまま引き続き聞いていて「謡曲もいいなぁ」と思ったのが、能の世界に触れたきっかけでした。大学の謡曲サークルで宝生流の謡曲を少し習って、卒業後、国立能楽堂の三役研修制度に応募し、笛の師匠に入門を認めていただいたというのが今の仕事に就くまでの流れです。

技術よりも実地で身に付ける対応力が大切

Q5. 今の仕事に就くために学んだことはありますか?

研修の六年間は、朝から夕方まで、謡(うたい)・小鼓・大鼓・太鼓まで、全般にわたって稽古を受けます。稽古が終わると大学や文化財研究所から先生がいらして、能だけでなく日本の伝統芸能全般の歴史、技法論など座学の講義もほぼ毎日ありました。当然笛の稽古は毎日ありますし、とにかく技術的なこと(加えて少しの学術的知識)は研修で徹底的に学びました。

しかし実際の舞台に立ってみると、突発的なこと、予期せぬことが起こって、教わったようにはできないことが多いものです。舞台上では基礎的な技術に加えて、臨機応変に対処する「対応力」が必要です。これは楽屋に出入りして、師匠が勤める舞台を観ることでしか学べません。楽屋での先生方同士の雑談もかなり重要な情報源です。技術的な基礎は国立能楽堂の稽古場で、実践的な対応力は楽屋と舞台で身に付けました。


Q6. 高校生のときに抱いていた夢が、現在の仕事につながっていると感じることはありますか?

高校生の頃は、芸術全般に興味があって空想・妄想が好きな学生でした。油彩画を描いたり、楽器を弾いたり、独りでスペイン語を勉強したりしていました。宗教的な世界にも惹かれていました。能はあの世とこの世を行き来するような作品が多く、幻想的な世界を表現する芸術ですから、そういう意味では素養があったのかもしれません。

「蛇のように賢く、鳩のように素直に」生きること

Q7. どういう人が囃子方に向いていると思いますか?

妄想力が強い人がいいのではないでしょうか。あえて「妄想」というのは、自分の場合を振り返ってみると、「想像」というには少し常軌を逸している要素も含んでいて、芸事に関わっていなければ人間としてのバランスを崩す恐れもあったという自覚があるからです。そんな「妄想」やその下地となっている情動"emotion"を「好き」や「興味がある」分野に投入して、継続していける人が向いていると思います。この気持ちがあると、辛抱できる。辛抱強さがないと簡単に弾かれてしまう世界でもあります。


Q8. 高校生に向けたメッセージをお願いします。

囃子方に限りませんが、仕事に関して「勝算がある」つまり「稼げる」とか「成功できる」から目指そうという考え方は、私はあまり好きではありません。この仕事と心中するくらいの気持ちで選んでほしい、舞台芸術はそんな世界です。できれば「仕事」や「働き方」を超えて、「生き方」を探すという気持ちで職業を選んでほしいと思います。

また若い頃に理不尽な思いをするのはいい経験です。師匠や上司に仕えると、つらい思いや大変な経験もたくさんしますが、賢明に対処する方法も覚えます。私が人生の指針にしているのは、「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」という言葉です(新約聖書『マタイによる福音書』10章16節)。自分の誠意や努力を無駄に費やすことなく、しかし人の善意を素直に信じて、情熱的に生きてほしいと思います。



それぞれの楽器や演奏方法に歴史と作法があり、「舞台での演奏は常に他流試合」と話してくださった槻宅さん。他の楽器との押したり引いたりのエネルギーのぶつかり合いが、よい舞台をつくりあげるのだそうです。シテ方の動きや能面、衣装などに目が奪われがちですが、囃子方の演奏にも耳を傾けてみると、これまで分からなかった日本古来の楽器の魅力に気付くきっかけになりますよ。


profile】能楽師囃子方 笛方 森田流 槻宅聡