室町時代からの長い歴史を持つ「能」は、武家階級の人々に保護されながらその芸を継承し、能面をはじめとする道具類もその時代のものが今も使われているという驚きの伝統芸能です。極限まで無駄を削ぎ落とした簡素な舞台に繰り広げられるのは、私たちの想像力をかきたてる幽玄な世界。そんな舞台の音楽を担当するのが「囃子方」と呼ばれる楽器演奏の役です。囃子方の笛方を担う槻宅聡さんに、私たちが知ることのなかった能世界の裏側をいろいろと伺いました。

「人が倒れても能舞台は続ける」武家式学としての誇り高い歴史

――舞台の後ろでじっと座っている人がいますが、何をしているのでしょうか?

あれは「後見(こうけん)」といって、何か不測の事態が起こったときのために控えている人で、シテの装束や小道具を整えたりもします。不測の事態というのは、例えばシテが倒れたり具合が悪くなれば代わりに舞い、舞台を続行するために備えているのです。能では舞台を中断せずに最後までやり切ることが何よりも優先されます。「芸」のために人がいるという考え方なので、我々の命は比較的軽いです。

重要な演目では囃子方でも全ての楽器で後見が控えており、もし私が舞台でバタリと倒れれば、そのまま舞台後方にズルズルと引っ張られて退場させられ、後見が続きを勤めるという決まりになっています。先日、京都の催しで、私の流儀の高齢の先輩が舞台で倒れられ、舞台上で心臓マッサージをしている横で後見が吹いていたそうです。ですから後見の「不測の事態に備えて」というのは、形だけではなく本気なのです。

なぜそんなに舞台を続行することが重んじられるかというと、江戸時代には武家式楽と呼ばれ、将軍や大名に披露することが多く、途中で止めることは許されなかったからだ、と説明されることが多いようです。より歴史をさかのぼれば、神事に起源を持つことも要因のひとつだと思います。人間の都合で神様への奉仕が中断されることは許されませんから。


――リハーサルはほとんどしないそうですが、本番は緊張しませんか?

そういうものだと思っていますので、リハーサルが無いことによる緊張はあまりありません。ちなみにリハーサルのことを、私たちは「申し合わせ」といっています。

能はその長い歴史のなかで、演奏方法を確立し、細かな決まりや規範を作り上げました。この規範・設計図のことを、囃子方では「手付け」と言うのですが、私たちは手付けに従って演奏し、突発的なことが舞台で起これば、その都度その場で対応します。臨機応変な対応は、規範に則った基礎の技法がしっかり習得できていて初めて可能になるものです。

例えば舞台への橋掛(はしがかり)が長くてシテ(主役の役者)が舞台に登場するまで時間がかかれば、演奏を少し伸ばして待ちますし、その逆もする。シテにも「そろそろ演技が終わりますよ」という合図の足踏みがあったり、太鼓や大鼓のような演奏をリードする楽器なら「もうすぐ演奏をやめましょう」という「止めの手」を打ったりします。

また能面をつけて舞っていると視野が限られるため、舞台の縁が見えずにシテが舞台から落ちてしまうことが時々ありまして……その場合も演奏を続けてシテが上がってくるのを待ちます。舞台を作りあげるには、お互い合図を出し合い、見計らいながら、それぞれが与えられた「役」を全うすることが大切なのです。

――規範通りに演奏するなら、個性はあまり出ないのでしょうか?

私にとって「個性」は、規範通りに一生懸命演奏しているうちに、いつしか出てくるもの。自分で出すというよりも、無自覚ににじみ出たものをお客様に感じ取っていただくのだと思っています。

「手付け」は、それぞれの流派や楽器によって違いますので、同じ曲でも各楽器が少しズレることがあります。そのズレをどう解決するかを、演奏前に話し合うことがあるのですが、例えば「この曲のこの部分はこう演奏するから、合わせてくれますか?」という要望がある場合、合わせられれば付き合いますし、流派として「付き合わない」と決まっている場合は「すみません、ウチは付き合わないように師匠から言われてるので……」と伝えると「あ、そうですか。それじゃちょっとずれますけど、それでいきましょう」となる。それは別に意地になっている訳ではなく、お互いの流儀を尊重して大切にしているだけです。

多少のずれは許容されて、その違和感も含めて体で覚えるという何とも懐の深い世界です。ずれといっても、恐らくお客様には気付かれない程度の微妙なものです。

狂言はその笑いの力で能の幽幻な世界を中和させる

――能のときと狂言のときで演奏を変えるのでしょうか?

狂言の演目で囃子が必要なものは約3割あります。私たちは「能を囃(はや)す、狂言をあしらう」と言って、能のときは正面を向いて吹きますが、狂言のときは横向きになります。これは決して狂言を軽く見ている訳ではなく、おかしみや飄逸(ひょういつ:世の中のわずらわしさを気にせず、のんびりすること)感を出すために、横を向いてくつろいだ雰囲気で吹く訳です。能と狂言はセットで演じられることが多いので、能の荘重かつ幽玄な空気を狂言の笑いで中和させ、お客様に楽しんでいただくということでもあります。


――この業界独特のしきたりなどはありますか?

現代の音楽専用ホールにはリハーサル室や練習室が用意されていますが、能楽堂の楽屋では練習ができません。大きな音を出すこともできません。これは舞台と楽屋が近いところに作られているので、楽器の音が舞台やお客様にも聞こえてしまうことが理由です。能楽は仮設舞台で行われてきた歴史が長く、モニターなどが無い時代でしたから、笛の音で演目の進行を知らせていました(知らせ笛と言ったりします)。楽屋で待機している次の出演者たちは、この笛で準備を始めるため、笛の音を聞き漏らさないよう楽屋では不用意に音を出さないようにしているのです。

また先ほどの「舞台を続行することが最優先」という話にもつながりますが、自分の出番が終わっても次の役の人がまだ来ていないときは到着まで待ちます。もしその人が間に合わない場合は代役としてとりあえず舞台に立ち、切りがよいところまで吹いて、代わることも時々あります。逆に自分が遅れそうなときは、「○分くらいには着くので、始めの部分だけ吹いておいてください」とお願いしたりして、とにかく舞台に穴を空けない。規範通りに演奏することが重んじられているのは、誰が吹いても基本的には成立するという状態をつくるためだと思います。


――その流派にしか伝わらない秘伝の書みたいなものはありますか?

歴史ドラマに出てくるような巻物とは姿が違いますが、あります。でも最初から見せてもらえる訳ではなく、きちんと解読でき、理解できるようになると師匠から見せてもらえます。それを一生懸命写し取って身に付け、また後輩たちに伝えていきます。

ちなみに稽古をつけてもらうのも、師匠の前で吹いて直してもらうという稽古は初心者の頃だけです。基本的には、質問に対して決まりごとや規範を口頭で、あるいは文書を見せてもらって教わります。



「人が倒れても舞台は続行する」「音のずれもお互い許し合いながら演奏する」など、驚くような話が次々と出てくる能楽師の世界。そこには「人のための芸ではなく、芸を継承するための人」という、能楽師たちの清々しいまでの謙虚さと覚悟と誇りがありました。ちょっぴり遠くに感じていた能の世界も、人間らしく楽しい側面も見え隠れして、身近に感じられますね。


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