運動が苦手な者にとって、「体育」の時間は苦痛以外の何ものでもない。先日、女性専用コミュニティサイト「ガールズちゃんねる」に「体育が本気で冗談抜きで嫌だった人 」との呼び掛けがあった。

トピ主は、「体硬い 、持久力ない 、空間認知能力がゴミ。なので、器械運動もマラソンも球技もかなり苦痛でした…」と訴え、なぜマット運動など「みんなの前で発表させるのか」などと嘆く。同志を募ったところ、1000以上ものコメントが集り、「体育」には実に様々な闇が潜んでいることも見えてきた。(文:okei

「子供は風の子元気な子」そんなの大人が勝手に決めんな

体育、好きでした?

ちなみにトピ主は「何もないところで転んで靭帯損傷して松葉杖ついてた」というから、気の毒でかける言葉が見当たらない。そういう筆者も運動オンチで、子どもの頃自治会運動会が嫌で押し入れに立てこもったぐらいなので気持ちは分かる。小学校から中学・高校にかけて、運動能力ゼロであることのハンデは大きい。

レスは「体育でバスケするたびに突き指。ほとんどボールを触る機会ないのに」から始まり、身体を自由に操れない人のケガエピソードも多い。

寒風吹きすさぶこの時期がマラソン大会で、「本当に嫌だったー」と書いた人は、

「子供は風の子元気な子って大人言うけど、そんなの大人が勝手に決めんなって思ってたわ」

と本音を吐露。ドッチボールなど危ないし痛いし、何のためにやるんだという怒りもある。

また、別の精神的ダメージを受けるのが「チーム・団体競技」だ。

「体育は嫌な事のオンパレードだったな。はい2人ぺアつくってー!」

という言葉からは、ふだんから友だちがいなかったことや、ペアになるのを嫌がられたトラウマが蘇る。

「クラスメートの『お前と一緒にやるの嫌だな』オーラが一番嫌だった」
「クラス全員参加リレーのとき総叩きされ、一人で教室に戻り号泣した」

など、苦い思い出を語る人も少なくない。

体育は全員で同じことをやる必要があるのか?

さらに始末が悪いのは、先生が運動オンチに甘くないという場合だ。

「運動できない奴、軽いイジメしてくる教師いるよね」
「大嫌い!! まず先生が嫌だ。できないだけなのにやる気がないと言われるし」

いくら先生に厳しく言われようとも、出来ないものは出来ないのである。先生はいじめているつもりなど無いかもしれないが、本当に出来ない生徒とっては耐え難く、いじめと同じと感じてしまうだろう。

怒りが高じて、「体育ってそもそも何で皆で同じ事をしなくちゃいけないの?」など、体育そのものに対する疑問や指摘も次々に上がっていた。

体育は、外遊びの機会が少ない現代っ子にとって、体力をつけるために必要な教科だ。ただ、勉強ができる子と出来ない子がいるように、身体的な向き不向きは必ずある。全員が同じことをしなくてもいいのではという意見には、筆者も大いに頷くところだ。

大学選びは気をつけて「体育が必修じゃないところ」へ

運動オンチには辛い学齢期だが、救いは大学生や社会人になれば「もう体育がない」ことである。「大学選びの必須条件は体育が必修じゃないことだった」と書く人もいた。

しかし、大学によっては体育もちゃんとあるので油断禁物。大学なのに1年の時に必修で「スポーツ」の科目があったという人は、「大学生なのに授業の途中で家帰って捜索された」という。どうしても体育が嫌な人は、志望する前によく調べておくことが重要だ。