1992年福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」では、無実を訴えていた久間三千年元死刑囚(享年70)が2008年に死刑執行された翌年、遺族が再審請求を行った。誤ったDNA鑑定が冤罪を生んだことで有名な「足利事件」同様、犯罪捜査に導入されてまもないDNA鑑定が有罪の決め手にされていたため、冤罪を疑う声も少なくない。

そんな飯塚事件に関し、再審弁護団がこのほど本を出版した。題名は「死刑執行された冤罪・飯塚事件 久間三千年さんの無罪を求める」(現代人文社)。福岡高裁で行われている再審請求即時抗告審では、近く再審可否の決定が出る見通しだが、そんな時期に本を出版した意図は何なのか。弁護団で共同代表を務める徳田靖之弁護士に話を聞いた。

●伝えたいのは「久間さんの無実」と「死刑の問題」

――出版の意図は?

再審請求してから、私たちは繰り返し会見を開き、自分たちの主張を記者の人たちに説明してきましたが、なかなか大きく報道されませんでした。そこで世間にもっと私たちの主張を伝え、広めたいと考えていたところ、出版社の人から出版の話を頂いたのです。

――本で伝えたいことは?

1つは、久間さんは無実だということ。もう1つは、死刑の問題を考えてもらいたいということです。死刑制度の存廃には色々な意見がありますが、この事件のように無辜の人の生命を国家が奪うこともあるという点から死刑制度を根本的に考え直すべきだというのが私たちの意見なのです。

――いつ頃から久間さんが無実だと思っていたのですか。

私が弁護人になったのは裁判の控訴審からですが、私たちは弁護活動の際、先入観を持たないようにしますので、久間さんのことも当初は無実だと決めつけないようにしていました。しかし、控訴を棄却され、最高裁に提出する上告趣意書をつくっていた頃には、証拠からしても、人柄からしても「彼は絶対にやっていない」と確信するようになっていました。

――死刑制度には反対ですか。

私は、死刑は廃止すべきだと思っています。理由は大きく2つです。1つは、この事件のように冤罪で死刑になる人がいること。もう1つは、人は変わりうるということです。私はこれまでの弁護士としての経験から、どんな凶悪な罪を犯した人でも更生できると思っています。

●「ザリガニのおじさん」と呼ばれ、好かれていた久間さん

――本には、再審可否の審理で争点になっているDNA鑑定血液型鑑定、目撃証言などについて網羅的に弁護側の主張が書かれていますが、全部で88ページとコンパクトですね。

再審請求即時抗告審で私たちが福岡高裁に提出した総括的な主張の書面を出版社の人がわかりやすくまとめ直してくれ、それを改めて私たちが見直して完成させました。コンパクトにしたのは料金を考えてのことです。研究者のような人たちだけではなく、色んな人に読んでもらいたいので、ブックレットにして値段を抑えたのです(※本の価格は1200円+税)。

――捜査機関の不正を告発したような記述も多いですね。

こんな捜査で人が死刑にされたのだということも私たちが伝えたいことだからです。たとえば、科警研(警察庁科学警察研究所)が行ったDNA鑑定の鑑定書では、添付された鑑定写真はポジの一部が切り取られたうえ、暗くプリントされていました。科警研はなぜあんなことをしたのか。切り取られた部分に写っていた久間さん以外の人物のDNAを隠すためだと考えないと説明がつかないのです。

――本では、久間さんが獄中から奥さんに出した手紙も紹介しています。

久間さんがどんな人かを知ってもらいたいからです。こんな事件の犯人とされてしまいましたが、本当の久間さんは非常に優しい人で、近所の子どもたちにも色々遊びを教えていたりして、「ザリガニのおじさん」と呼ばれて好かれていました。

自治会の活動も一生懸命やっていました。いま、地元では再審を支援する会ができていますが、その会をつくったのも久間さんと一緒に自治会の活動をしていた人たちです。

●死刑執行後、しばらく立ち上がれなかった

――奥さんへの手紙では、久間さんが死刑判決を受けた大変な状況の中、冷静に家族のことを心配している様子が窺えました。

私と主任弁護人の岩田務弁護士が最後に面会に訪ねた時も久間さんはそういう感じでした。死刑確定から2年経っていたので、私たちは「早く再審請求しなければ、死刑を執行されてしまうのでは」と焦っていました。しかし、久間さんはニコニコしながら、「大丈夫ですよ」と言っていました。

久間さんはこの時、死刑が確定した人のリストをつくっていて、「自分より先に死刑が確定して執行されていない人がまだこんなにいますから」と見せてくれました。それでも、私たちは「内容が乏しくなっても、とにかく早く再審請求をしよう」と話をして別れたのですが、それから1か月ちょっとで久間さんは死刑を執行されたのです。

――死刑執行を知った時はどんな思いでしたか。

どう言ったらいいのか…。「しまった」というか、自分たちの怠慢で久間さんを殺させてしまったというか、早く再審請求をしていれば、死刑を執行されずに済んだのではないかという後悔の念でいたたまれない思いになりました。しばらくは立ち上がれませんでした。

――再審請求したのは死刑執行のちょうど1年後でしたね。

私たちは当初、自分たちに再審請求の弁護人をやる資格はないと思っていました。しかし、岩田弁護士と一緒に久間さんの奥さんと息子さんにお会いし、お詫びしたところ、奥さんから「夫は先生方をとても信頼していました。引き続き、お願いします」と言われ、私たちは立ち上がれたのです。それから他の弁護士に呼びかけて弁護団をつくりました。

そんな中、足利事件の再審で動きがあり、本田克也先生(足利事件の再審で弁護側のDNA鑑定を手がけた法医学者)を知りました。そこで本田先生に相談したところ、本田先生のDNA鑑定の鑑定書を新証拠として再審請求することができたのです。

●再審では、私たちが久間さんにどう応えられるかだと思っている

――本には、久間さんの奥さんの手記も掲載されていますが、久間さんの無実を信じて疑っていない感じが伝わってきます。

久間さんの家は、奥さんが働き、久間さんが家事をやるという普通と異なるスタイルでしたが、久間さんはしょっちゅう家族をドライブに連れて行くなど家庭的な人だったようです。久間さんの逮捕以来、家族は家に石を投げられたり、息子さんが学校で「クマの子、オニの子」と言われ、仲間外れにされるなど凄まじいイジメを受けていましたが、それでも久間さんに対する家族の信頼はゆらぎませんでした。

――報道では、久間さんはサングラスをかけた無表情の写真で紹介されることが多かったですが、本の裏表紙では、息子さんを肩車した笑顔の優しそうな写真が掲載されています。

あれが久間さんの素顔です。久間さんは我々弁護人のことも信じ切っているというか、すべてを任せてくれていました。死刑判決が出ると、弁護人は被告人の人から色々批判や注文を受けることが多いのですが、久間さんはそういうことが一切ない人でした。

――再審請求即時抗告審では、近く再審可否の決定が出るとみられています。

再審については、久間さんに対し、私たちがどう応えられるかということだと思っています。自分たちの犯した過ちからすると、私たちは再審で無罪判決を受けることでしか久間さんに応えられないと思っています。仮に今回、福岡高裁の即時抗告審で再審が認められなかったとしても、私たちは生きている限り、何回でも何年でも再審を求め続けます。

飯塚事件の経緯】

1992年2月、福岡県飯塚市で小1の女の子2人が登校中に失踪し、小学校から遠く離れた山道脇の草むらで他殺体となって見つかった。1994年になり、地元住民の1人である久間元死刑囚が殺人などの容疑で検挙されるが、一貫して無実を主張。しかし裁判では、2006年に最高裁で死刑が確定し、2008年に執行された。

翌2009年、栃木県1990年に起きた幼女殺害事件(足利事件)で無期懲役刑に服していた男性・菅家利和さんがDNA鑑定のやり直しで冤罪だと判明。久間元死刑囚も菅家さん同様、犯罪捜査に導入初期の科警研のDNA鑑定を決め手に有罪とされていたため、冤罪を疑う声が一気に広まった。同年10月に久間元死刑囚の妻が福岡地裁に再審請求し、2014年に棄却されたが、弁護側は福岡高裁に即時抗告した。

【ライタープロフィール】

片岡健:1971年生まれ。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。

(弁護士ドットコムニュース)

飯塚事件弁護団の徳田弁護士、死刑執行に深い後悔、「再審を求め続ける」原動力に…主張まとめ出版