開が迫ってきた日中合作の壮大な歴史ミステリー空海―KU-KAI― 美しき王妃の』(2月24日開)。約1200年前、唐(中国)へ留学した若き修行僧空海は、唐の歴史を揺るがす大いなる解きに挑む。今回はそんな空海について、歴史視点と劇中のキャラクターとしての視点それぞれから掘り下げたい。

大師(火野正平)に、密教を修得するよう道を示された空海は唐へ渡る決意を固める

■ 若き日に、遣唐使船で唐へ留学

空海774年、讃岐(現在香川県)生まれ。幼名は(まお)という。15歳に上ると叔父である学者・大足のもとで学問を習い、18歳大学に進む。しかし虚聞持(インド発祥の記憶術)と出会ったことから彼は大学中退、各地で修行を重ねる。このころ、彼は出して僧となり“空海”と名乗るようになった。空海の名は、彼が洞窟で悟りを開いたときにしただけであったことに由来すると伝えられている。

804年、空海は留学僧として遣唐使船で唐に渡る。遣唐使は4艘の船で出発したが、途中でに遭遇し2艘が難破したと伝えられている。そのしい航は、映画でもリアルに描かれている。2年にわたる留学中、空海寺の高僧・恵果から密教の義を伝授され、806年に帰の途についた。この時、空海は密教のみならず建築学などの当時最新の知識も日本へ持ち帰ったとされる。なお映画では、留学中に起きた怪事件を軸に物語が繰り広げられる。

空海はいまも“生きている”!?

では映画のあと、帰後の空海はどんな人生を送ったのだろうか?816年、嵯峨天皇より高野山(現在和歌山県高野町)を賜った空海は、高野金剛峰寺を建立する。さらに823年には東寺(現在京都市南区)を真言宗根本場とした。この2つの寺は現在でも空海に深く所縁のある地として多くの観光客が訪れている。真言宗を開き教えを広めた空海は、835年にこの世を去るが、その最期は“入定”と呼ばれており、現在高野の院の霊で人々のために尽くしているとも言われている。

死後、醍醐天皇より“弘法大師”の名を与えられた空海。“法も筆の誤り”と、ことわざに使われたり、空海の足跡をたどり八十八の霊場を巡拝する“お遍路”も高い人気。いまだ空海は私たちの身近なところに息づいている。

映画空海は“東洋のラングドン教授

歴史に名を刻む“偉人”だけに、空海と聞き堅苦しいイメージも持つ人もいるだろう。しかし劇中における若き日の空海は、好奇心旺盛で人なつっこく、意外にも行動な好青年として登場。優れた洞察と記憶、豊富な知識で難事件に挑む姿は、僧侶というより名探偵、もしくは『ダ・ヴィンチコード』(06)におけるラングドン教授(トムハンクス)のような趣だ。

そんな空海を演じているのが『寄生獣』二部作や『海賊とよばれた男』(16)などで活躍の染谷将太。物静かな中に情熱を秘めた佇まい、駄のない所作、ユーモアセンスも持ち合わせた知性と、まさに彼のために用意された役のでは?とさえ思えるハマりぶり。やかな抜き通りから人けのない裏路地まで、相を追いめ大都市・長安を飛び回る空海。その活躍に、もが引き込まれるだろう。(Movie Walker・文/トライワークス)

染谷将太が剃髪して、5か月間にわたる中国ロケで空海を好演