自民王国・山口県の知事選挙で、無党派として真っ向勝負を挑み、敗れた飯田哲也氏。

7月29日に行なわれた開票の結果は、当選した山本繁太郎氏(自公推薦)の25万2461票に対し、飯田氏は18票5654票を獲得。だが、過去の知事選では毎回、約35万票を獲得して自民系候補が圧勝してきたことを考えると大健闘といえる。

今回の選挙の手応え、そして今後について、敗戦直後の飯田氏に聞いた。

***

■政権交代選挙以上の盛り上がりを感じた

―どんな知事選でしたか?

「非常に手応えのある選挙でした。沿道に出てきて手を振ってくれる方が日を追うごとに増えて、街宣車の運転手やウグイス嬢の方が『過去にこんな選挙は見たことがない。政権交代をした2009年の衆院選でも、これほどの盛り上がりはなかった』と言っていました。

期日前投票の出口調査でもほぼ互角の戦いをしており、かなりいい線いくと思っていました」

―有権者との握手なども自然にされていましたが。

「選挙中、握手を拒否されることはほとんどなかった。商店街に入っても、本当に喜んで握手をしてくださった。典型的な反応は『よく立ってくれた』というもので、これまで県民には選択肢がなかったということでしょう。もうひとつは『変えましょう』『必ず勝って変えてください』と祈るような反応。そのふたつが典型でした」

―どんな有権者層に反応が良かったですか。

「一例として面白かったのは、大きな事務所の中にお父さんと若い息子さんがいて、中にデカデカと対立候補の方のポスターが張ってある。で、お父さんは背を向けたままなんですが、息子さんが出てきて『飯田さん、よろしくお願いします』と。やはり世代間の違いがあるのだなと思いました。

実感では、若者と女性とリタイアしたシニアの方には反応が良かった。特に学生や子供たちには人気がありました。一方で、中年層には自由業の方を除いて反応はいまひとつでした。組織に属している男性の方は、表立っては反応できない。県庁前で辻立ちをしても、みんな能面のような表情で、見ているのに見えないふりをする。『縛られているのだな』と感じました」

―この知事選は、具体的にはどんな戦術で戦ったのですか。

「『ネットワーク選挙』ですね。若い人たちはインターネットやフェイスブックを活用しましたし、年配の方はご縁のネットワークで考えを広げていった。『インターネット上』と『人のご縁』というふたつのところで信頼のつながりをつくった。単に『一票を投じる』ということだけではなくて、新しい社会の形が見えてきたと思う。

これまで夢も希望もなく閉塞感に覆われて、遠目から見ると『超保守県だ』といわれてきた山口県ですが、その分厚い鉄板の下には抑圧されたマグマのようなものが間違いなくある。それをかなり紡つ むぐことができたのではないか。

あまりに鉄板が分厚すぎて、政治に対して諦めてきた無関心層と、分厚い鉄板で抑圧されてなんとも言えない不満を感じてやってきた人たち。その両方の人たちが、私の登場でお互いをつなぎ直すことができたと思う」

―相手の山本陣営が、自陣が出した比較ビラで「一騎打ち」と書くほどいい勝負になった理由は。

「候補者4人のキャラクターが明確に色分けできていた。山本氏は官僚出身かつ自公推薦、もうひとりの方は辞めたとはいえ民主党、もうひとりの方は県庁出身だった。そして私はまったく無党派だし、官僚でもない。そのなかで私が訴えたのは『今のこの社会の根本にあるものがおかしいんじゃないか。人の顔をした政治や経済や社会にもっていかないといけないのではないか』ということ。単に脱原発ということではなくて、その部分が県民の皆さんの心、琴線に触れたのだと思います」

■5歳の女の子からもらったラブレター

―選挙戦で最も印象深かったことはなんですか。

「ひとつは5歳の女の子からいただいたラブレターでした。『飯田さん、子供たちのことを考えてくれて、ありがとう』と書いてあって、風車の絵まで描いてあった。何度読み返しても涙が出てくる。すごく重たいものを背負ったなと感じました。あと、97歳のおばあちゃんには『生まれて初めて投票したいと思う人に出会った』と言っていただきました」

―落選はしましたが、今後の活動予定は。

「明治維新で長州藩は敗れに敗れに敗れて、最後にひっくり返しました。それもあり、投開票日(29日)の敗北確定後の記者会見で私は『新しい出発』と言いました。 知事選は得たものが本当に多かった。これだけ多くの県民の皆さんに集まっていただき、熱く燃えて、最後には落選したのに私を胴上げまでしていただいた。

カンパも2000万円を超え、ボランティアの方も1000人をはるかに超えました。これを一過性に終わらせず、ちゃんと形にしようということで、名前はまだ募集中ですが、『新しい山口をつくる市民のネットワーク』を立ち上げるということを決めました。

知事にならなくてもできることは山のようにありますから。『こんなことをしましょう』という提案をみんなで実現していく。要は『新しい山口を一緒につくっていきましょう』ということです。

もっと具体的に言うと、これからは地方と世界を直接結ぶことに取り組んでいきたい。自然エネルギーは『創造のエネルギー』でもあります。第2次世界大戦後、フランスドイツが二度と戦争を起こさないように「欧州石炭鉄鋼共同体」をつくった。当時は石炭はエネルギーの柱で“産業の米”といわれた。そういう歴史を参考にしながら、日中韓で「東アジア自然エネルギー共同体」のようなものをつくりたい。

尖閣問題にしても根底にあるのはエネルギー問題ですから、これは平和プロジェクトになります。山口は韓国に近く、アジアに開かれているからこそ、こうした取り組みができる。

今月には韓国に行き、今年冬の『脱原発世界会議』にメッセージを送っていただいたソウル市長との連携を深めたい。海外の要人との会談は、知事だと公式訪問となりますから知事でないほうがやりやすい。

政治に対する出口感のないところに出口をつくって、それを強化する。県民の皆さんに気づいてほしいのは、誰もが政治や選挙や民主主義というものを諦めていた現状に対して、今回の選挙を通してその一端を感じていただくことができたのでは、ということです。

一人ひとりの可能性というのはすごく大きい。ひとりが動くことで、本当にいろいろな大きなことが動く。誰にでも可能性がある。そうした本当の民主主義を山口から始めていきたい。

山口には造り酒屋が多くて、限界集落寸前の地域で酒造りをしている。しかもおいしい。それを日本のブルゴーニュ(フランスのワインの名産地)にしたい。これが新しい地域の形です。 お酒は上手に発酵をさせるとおいしいお酒になりますが、へたにやると腐る。山口の政治は長年『腐る発酵』をさせていた。これからは上質のお酒を造る新しい発酵をさせていきたいと思います」

***

投開票日の翌7月30日飯田哲也氏は音楽家坂本龍一氏との対談で、こんな決意表明をした。

「現代の『明治維新』である“21世紀維新”を山口から実現していきたい。『維新』と言うと、別の人(橋下徹大阪市長)が出てきますが」

すると、「『維新』という言葉をぜひ(橋下市長から)奪い取ってほしい」との声が飛び出し、参加者からは大拍手がわき起こった。

近いうちに「山口維新の会」のような新組織が発足。その代表として飯田氏が脱原発、自然エネルギー拡大、増税反対などを掲げる第三極のニューリーダーとなる……。そのとき、日本はもっといい国になれるかもしれない。

(構成/横田 一)

飯田哲也(いいだ・てつなり)


1959年1月8日生まれ、山口県出身。環境エネルギー政策研究所所長。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。