2012年7月30日に掲載されたTechCrunch Japanの「実名制がコメント荒らしを解決できない、驚くほど確かな証拠」という記事が話題を呼んでいる。コメント欄に実名制度を適用しても「罵倒や悪意のあるコメントの一掃に効果がない」ということを、韓国の事例を元に紹介している。

ほぼデイリーでネット媒体に記事を書いている筆者には、たいへん興味深い内容であった。筆者は署名記事を書いているのだが、書けば反応があり、その反応には賛成も反対も含まれることは、言うまでもない。

とりわけ、「ペット」に関する内容や「在日」、「ナショナリズム」、「日本軍」などをネタにすると反応があり(というか「荒れて」)、反対意見の中には内容がどうこうと言うよりも、筆者への誹謗中傷を行うために反応している人も数多くいる。

しかし、それはネットで署名記事を書いている限り、覚悟の上でのことである。記事を読んで、まともな感想をくれたり、まともな議論を望む読者は、しっかりと自分の所在を明らかにしてくる。匿名なのは、ただ文句を言いたいだけの読者であることが多い。その良し悪しは抜きにして、それが「ネット」なんだと筆者は理解している。

ユーザーの側が、万人に開かれた環境でネットを機能させ続けたいのであれば、実名や匿名にこだわるのはナンセンスだと思う。「なんでもあり」だからネットは便利なのだから。そして、「なんでもあり」にはネガティブな側面もあり、ユーザーがそれを引きうけるからこそ、万人に開かれた環境が実現しているのだとも言える。

人には欲望がある。暴力への欲望は、人が生涯にわたってなくすことのできない欲望のひとつである。「罵倒や悪意のあるコメント」とは、言うまでもなく暴力だと言える。この手の暴力を抑えるためには、理性や理知が必要だ。「書かれた側の気持ちを考える」という理性が発動されれば、実名・匿名に関係なくそういったものは減る可能性がある、と思われる。

その国やその地域の人々が、どれだけ理性や理知を保てるのか。その指標となるのが、「民度」と呼ばれるものである。この民度は、リアル社会のみならず、ネット社会にも露骨に反映されると筆者は見ている。そして、民度が高くても「罵倒や悪意のあるコメント」ははびこるとは思うが、民度が低いときよりはマシな状況になると考えている。

以上のような理由で、実名制がコメント荒らしを解決できるとは筆者も思わない。

(谷川 茂)