鉄道では、利用者に親しんでもらうことなどを目的に、路線名や列車に愛称や通称がつけられることがあります。しかしながら、定着することなく消えていった言葉も。それらにはどのような意味があったのでしょうか。

JR発足とともに誕生した「E電」 しかし…

鉄道では、利用者に親しんでもらったり、わかりやすくしたりする目的で、路線名や列車などに愛称や通称がつけられることがあります。しかし、なかには事業者自身が提唱し使っていた言葉が、いつの間にか使われなくなるケースもありました。

そのひとつが「E電」。1987(昭和62)年4月の国鉄分割民営化にともない、「国電(こくでん)」と呼ばれていた山手線など東京近郊の電車に対する新たな呼称として使われた言葉です。発足したばかりのJR東日本が一般公募し、翌5月に発表しました。「E」は「East」のほか、「Electric」「Enjoy」など複数の意味が込められていました。

「国電からE電へ」というキャッチフレーズが書かれたポスターのほか、「こんにちはE電」などと書かれたヘッドマークも列車に掲げられるなど、「E電」は華々しく登場しました。しかし、一般にはあまり普及せず、1993(平成5)年ごろには駅の案内板などでも使われなくなっていると、当時の複数の新聞が報じています。JR東日本「会社要覧」の年表に載っていたE電の愛称決定という項目も、1992(平成4)年版から削除されたそうです。なぜ「E電」は使われなくなったのでしょうか。

1993(平成5)年3月11日付の日刊スポーツによると、東京駅の駅員の話として「あくまで総称ですし、乗客の方から“〇〇に行くには何線を使えばいいのですか”と尋ねられて“E電の中の××線で”なんて言いにくいですし。E電が決まった当時も、具体的な線名で答え、E電とはあまり呼ばなかったです」としています。

「E電」が使われなくなった要因には、現場の業務にもあまりなじまなかったという側面があるようです。ただ、「E電」は完全になくなったわけではありません。駅窓口でも使われている『JR時刻表』(交通新聞社)の「普通運賃の計算」ページには、現在も「東京の電車特定区間(E電)」との表記が見られます。

マスコミから無視された「『長野行』新幹線」

駅の案内板などでも表示されながら、あまり普及しなかった名称といえば、「長野行新幹線」もあてはまるでしょう。駅案内板などでは、「行」の字をほかの字よりも小さく表示していました。

これは1997(平成9)年10月、北陸新幹線の高崎~長野間が開業した際に登場した名称です。長野止まりだった北陸新幹線は、2015(平成27)年3月に金沢へ延伸するまで「長野新幹線」と案内されていましたが、その最初期には「長野行新幹線」との名称がJR東日本の公式発表などで使われていました。

高崎~長野間も正式な路線名としては「北陸新幹線」です。しかしこの当時、長野から先の開業はめどが立っていなかったうえ、東京~金沢間は上越新幹線北越急行ほくほく線経由の在来線特急「はくたか」を乗り継いだほうが早かったのです。北陸へ向かう人が誤って乗ってしまうおそれがあることから、JR東日本は案内上の名称をいったんは「長野新幹線」にしようとしましたが、これに対し北陸の自治体から「長野で止まってしまう(=長野以北の工事が中止されてしまう)印象がある」といった反発が寄せられ、「長野行新幹線」に決まったのです。ただし、東京方面へ向かう上り列車のホームでは単に「新幹線」と案内されていることもありました。

この「長野行」との名称は、実際にはJRや鉄道趣味誌などでしか使われなかったようです。1997年10月26日付の読売新聞によると、「『《長野発東京行きの長野行新幹線》では読者が混乱する』などとして、この名称を使う全国紙はない。テレビも大半は『長野新幹線』と報じている」「『E電』の二の舞いとなりそうだ」としています。結局、翌1998(平成10)年には長野以北への延伸が決まったこともあり、JR東日本の公式発表や『JR時刻表』においても、「長野新幹線」に改められました。

ちなみに、このような名称や愛称がいったんは決まったものの、日の目を見ることなく消えてしまった例に「東京環状線」と「ゆめもぐら」があります。いずれも、一部区間の開業時には「都営12号線」と呼ばれた都営大江戸線につけられるはずだったものです。1999(平成11)年に路線名が公募され、得票数の多かった路線名「東京環状線」と、その愛称として「ゆめもぐら」がいったんは決まりましたが、当時の石原慎太郎都知事がこれを一蹴。大江戸線は実際には「6」の字を描き、完全な環状線ではないことから難色を示したのです。その結果、ほかに得票数の多かった「大江戸線」の案を知事も推挙し、愛称なしでこれが路線名として決まりました。

【写真】大江戸線、「12号線」だった名残

1987年のJR発足当時に東京を走っていた103系電車(画像:photolibrary)。