自衛隊最大のミステリーと語り継がれる「自衛隊機乗り逃げ事件」、45年経過した2018年現在も、その真相は闇のままです。その日、はたしてなにが起きていたのでしょうか。

その夜、LM-1は忽然と姿を消した

古今東西航空機や船舶が消えるというミステリーはよくありますが、そうした世にも奇妙な物語自衛隊でも起こっています。1973(昭和48)年にあった「自衛隊機乗り逃げ事件」です。

それは梅雨真っただなかの6月23日夜9時ごろのことでした。

栃木県宇都宮市にある陸上自衛隊宇都宮駐屯地(宇都宮飛行場)から、突如1機の小型機が離陸、夜空に向けて飛んでいってしまったのです。この飛行場、自衛隊の駐屯地ではあるものの、主力部隊は陸上自衛隊航空学校宇都宮分校(当時。のち宇都宮校に改称)というパイロット教育を主任務とする教育部隊であり、航空機の夜間運用は災害派遣などの非常時でない限り行っていませんでした。そのため運用時間は通常朝8時から夕方5時に限定されることから、管制塔は閉鎖されて無人であり、駐屯地内は騒然となったのです。

すぐさま点検が行われた結果、格納庫内に収容されていたLM-1連絡機が1機見当たらず、また隊員の点呼をしたところ、整備士のK三等陸曹(当時20歳)が行方不明であることが判明しました。しかも彼は行方不明になる直前に駐屯地内の隊員クラブ(要は隊員限定の酒場)でビールを飲んでいた姿が目撃されており、そこから彼が酔っぱらって急に飛行機を操縦してみたくなり、機体を無断で持ち出したと考えられたのです。

このLM-1という飛行機は、当時陸上自衛隊で連絡機として使われていた単発プロペラ機で、それまでライセンス生産していたアメリカ製のT-34「メンター」初等練習機をベース富士重工が独自に改良を施して誕生させた準国産機です。パイロット1名のほかに最大4名乗ることが可能で、天井部分に大型ハッチがあるため、軽輸送機としても使用可能な汎用性を持っている優秀機でした。最大速度は174ノット(約322km/h)、航続距離は725海里(約1342.7km)で、事件発生時には約1300kmぶん、おおむね5時間20分程度飛行できる燃料が積まれていたそうです。

なぜ追尾できなかったのか

機体は南に向けて離陸したのが目撃されていましたが、そもそもK三曹が乗り込んだかは不明で、状況証拠でそう理由付けられただけでした。しかもその後の足取りは誰にもわからず、レーダーにも捉えられることなく忽然と姿を消してしまったのです。なお離陸後、飛行場は航空無線で何度か連絡を試みましたが、無線の使い方を知らないからか、それとも意図的になのか、LM-1から返信されることは最後までありませんでした。

ちなみに航空自衛隊は国籍不明機の領空侵犯に対処するため、全国各地にレーダーサイトを設置しており、事件当時より現在まで宇都宮近傍に限っても、福島県の大滝根山と千葉県の峯岡山、新潟県の佐渡ヶ島の3ヶ所に存在します。しかし機体は低空飛行を続けたのか、これらのレーダーで機影は捉えられていませんでした。

捜索は自衛隊だけでなく、警察や海上保安庁も総力を挙げて1か月に渡って行われましたが、残骸ひとつ見つかることはなく、結局K三曹は同年8月1日付けで行方不明(生死不明)のまま懲戒免職となりました。また関係者7人も航空機の管理責任を問われる形で処分されています。

そもそも、なぜこんなに簡単に飛行機を外に出すことができたのでしょうか。実は、陸上自衛隊では過去に格納庫の火事が起きた際、扉を施錠していたために収納されていた航空機を外に出すことができずに亡失したことがあり、その教訓からいざという時に航空機を動かせるように、格納庫には外からかんぬきをかけるのみで、錠前はかけないようになっていました。そのため状況を知っていればひとりでも扉を開けることは可能で、それが完全に裏目に出てしまったと言えるでしょう。

飛び立ったLM-1はどこへ向かったのか?

しかしK三曹は前述したように整備士であり、操縦士ではありません。整備士も修理後の点検飛行などで機に同乗することはありますが、その経験についても当該機のLM-1で2時間10分、ヘリコプターでも4時間35分の、合計6時間45分しかなかったのです。そのため各種スイッチやラダー、スロットルなどの操作方法を知っていたとしても、単独で夜間飛行できただけで奇跡的であり、最も難しいとされる夜間着陸は未経験ですからまず無理です。K三曹は操縦学生の試験を受けていたようですが、仮に酒酔い状態で操縦していたとすると、市街地などに墜落して二次被害が出なかっただけでも奇跡といえるでしょう。

しかも、少なくとも陸地に墜落、不時着すれば存在はすぐさま暴露するため、予想としては海まで飛行し、洋上で燃料が尽きて着水し、そのまま沈んだと考えるのが自然です。とはいえ、船舶の往来の激しい東京湾であれば、確実に着水したところを航行中の船に見られるでしょうし、日本海の場合は越後や木曽といった山脈を越える際に高度を上げねばならず、そうすると瞬時に前述の空自のレーダーサイトなどで捕捉されるため、飛行ルートを悟られずに飛び続けることは難しいです。

そう考えていくと一番近い茨城県沖の太平洋に飛んで行ったと推測されるのですが、結局誰も見ていないため真相は藪の中であり、自衛隊最大のミステリーとしていまも語り継がれているのです。

K三曹はどうなってしまったのでしょうね。他国に亡命したのか、はたまた時空の歪みに落ちたのか、それとも異星人にさらわれてしまったのか……2013年には、このLM-1事件の詳細が書かれた小栗新之助さんの著書『自衛隊青春日記』(共栄書房)が出版されていますが、それでも、そもそもK三曹がLM-1に乗ったとは断言できません。案外、機体は別人が乗り逃げして、当の本人は名前を変えて貴方のすぐそばで暮しているかもしれませんね。

【地図】LM-1はどこへ向かったのか、考えうるルート

陸上自衛隊のLM-1連絡機。1983(昭和58)年までにすべての機が退役している(帆足孝治撮影)。