「日本で初めて花火を見たのは誰?」気になるけれど意外と知らないこの謎には諸説あり、1613年に徳川家康が見たという定説のほか、その24年前に伊達政宗が見たのではないかという説もある。両者ともに誰もが知る歴史上の人物だ。

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文献に残る当時の様子を想像するのは歴史好きや戦国武将ファンでなくともワクワクするもの。今回は二人の戦国武将にまつわる花火のエピソードを紹介しよう。

■ 引退後の家康が徳川御三家初代藩主と共に花火観覧

徳川家康が1613年(慶長18年)8月6日に駿府城で花火を見たことについては、複数の文献に記述が見られる。家康が将軍職を秀忠に譲り駿府(静岡市)に引退した後の日々について記した日記風記録『駿府政事録』には、漢文体で「花火唐人」「立花火御覧」といった言葉が確認でき、徳川家康の伝記『武徳編年集成』には「花火精錬ノ大明商客長崎ヨリ参府シテ」と記されている。

8月3日、長崎に商館を建てたイギリス人ジョン・セリーが明の商人と共に徳川家康に面会し、献上した花火を8月6日に尾張、紀伊、水戸の徳川御三家初代藩主とともに家康が見物をしたと記録されており、これは日本におけるごく初期の観賞用花火見物と言える。ちなみに、このときの花火は筒を立てて黒色火薬を詰め、これに点火すると火の粉が噴き出すというものだったようだ。

■ 異国人と花火で盛り上がる伊達政宗23歳の夏

一方、伊達政宗には家康よりも前に花火を楽しんだとされる記述が存在する。『天正日記』や『伊達家治家記録』に、1589年(天正17年)7月に米沢(山形県米沢市)の居城で行われた花火の記録が残っているのだ。

7月7日「夜になって、外国人(大唐人)が三人来て、花火を行い、その後、歌も歌った」、7月8日「夜になって、外国人が花火を配った。伊達政宗様がなさいました。一段と見事でした」、7月14日「その後、外国人が四人来て、花火を行った」、7月16日「お帰りになって、花火をなさいました」と、何度も繰り返し居城に招き入れて花火を行っている様子が記されており、当時23歳の伊達政宗がいかに気に入ったかが伝わってくる。

この花火は、配られた花火を伊達政宗がやった、ということで現在の玩具花火のようなものだったと推察される。

家康と政宗の一騎打ちかと思われた「日本人初の花火鑑賞は誰か」という謎。実は両者よりもさらに前に、ポルトガルのイエズス会の宣教師によって花火鑑賞が日本にもたらされていた、という説も存在する。

鎖国時代ゆえに日本の記録には残っていないものの、ポルトガルの記録『イエズス会日本年報』『フロイス日本史』には、大分県臼杵市のイエズス会聖堂において三千の燈籠と種々の花火の仕掛けがあったと記されているという。

当時の様子を文字から想像してみるのも楽しいもの。花火の光に魅せられる人の気持ちは今も昔も変わらないようだ。(東京ウォーカー(全国版)・ウォーカープラス編集部)

静岡県静岡市の駿府城公園